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創造された「故郷」 [読書]

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今日はゆっくり起きて、しばらくボーッとしていたのですが、そう言えば昨日年末調整の保険料の書類を送らなければならないことに気が付いて、封筒を探し出し、年に2回しか使わないので飴色になってしまっているセロハンテープを出して書類を貼付け、宛先の紙を切り抜いて糊付けしようとしたのですが、これまた年に2回しか使わないので水分と糊の粘着成分が分離して全然付きませんでした。

そう言えば、と思ってスティック糊を探して貼り付けることでやっと投函準備完了。
親に切手が無いか聞いたら、1964年の東京五輪記念切手とか皇太子(今の上皇)ご成婚25周年記念の切手とか(今の未使用のシートで取引されている値段を知らないので無造作に台紙から切り離して来るのな)を出してきて、結局84円切手は無し。

仕方ないのでコンビニに行くことにしたのですが、ジャージやももクロのトレーナーとかだとちょっと体裁が悪いので、きちんと着替えて出掛ける事に。

コンビニまで歩いて切手を買ったら、直ぐに貼付けられるように店員さんがスポンジを出してくれたので感謝して切手貼り貼り。
そう言えば、もう年賀状を売っているのですね。
ついでに買えば良かった…と言うか昨日パンを買うのにコンビニに寄ったときに切手も買っておけば良かったです。

取り敢ず、最寄のポスト迄歩いたら既に集配が終わったところ。
これだったら慌てて投函しなくても、明日会社に行くついでとかで投函すれば良かった。
集配は午後1回だけだと思い込んでいたので…最近思い込みが多いです。

さて、今日はここ最近トイレで読んでいた本の紹介。
『創造された「故郷」 ケーニヒスベルクからカリーニングラードへ』(ユーリー・コスチャショーフ著/橋本伸也、立石洋子共訳/岩波書店刊)。

以前紹介した池内紀さんの『消えた国、追われた人々』はドイツ人視点で見た東プロイセンへのレクイエム的な作品だったのですが、こちらは追った側、ロシア人視点から見たカリーニングラード州の歴史です。

著者はカリーニングラードに住む歴史学者ですが、そもそもこの本には原著が存在せず、コスチャショーフが以前の著書から新たに書き起こした新著を日本で出版した特異な経過を辿っています。
それだけ現在のロシアにとっても、カリーニングラード州と言うのはナイーブな問題です。

先述したようにカリーニングラード州は元々ドイツの領土で、かつ、プロイセン王国の故地でもありました。
それが第1次世界大戦後にポーランドが成立したことによって飛地となり、そこへのアクセスをドイツがポーランドに求めた事が第2次世界大戦の遠因ともなります。

第2次世界大戦の結果、東プロイセンはソ連軍により占領され、リトアニアに北の国境線沿いが割譲され、ポーランドが南の国境線沿いを吸収します。
しかし、残る領土は安全保障上の理由から赤軍の統治下に置かれ、軍政が敷かれました。

ただソ連軍には統治能力が不足しており、更に国土の荒廃により本土の復興が優先されたため、東プロイセン時代に整備された資本は殆ど機能していません。
また、一部の施設や機械類は賠償として本土に送られてしまいました。

赤軍支配を嫌ったドイツ人は、海上経由やポーランド経由で危険な旅をしてドイツ本国に向ったりしましたが逃れ得た住民は僅かで、大多数が残留させられます。
しかし、施設や住居は悉く没収されて本土から新たに送り込まれたロシア人達に与えられました。

とは言え、その施設や住居で程度の良いものは軍や党の幹部連中に宛がわれ、やって来たロシア人達は砲弾で穴の開いた住居や軍による略奪で荒廃した農場にしか入れません。
しかも知識も技術力も無い彼等は、ドイツ人がいないと無傷で効率が良かった設備を悉く壊してしまいました。

結局、劣悪な環境に送り込まれたロシア人移民はこんな所はごめんだと逃散し、本土に逃げ帰ってしまいます。
結果的に同じ様に騙されてロシア人が送り込まれ、また本土に逃げ帰るという事を繰り返し、1947年にやっと軍政から民政に移管されました。

民政に移管されても、戦後直ぐにソ連全土を襲った飢餓の為に、ドイツ人を始め、ロシア人も多くが餓死してしまい、また人口が落ち込みました。
その上、東西対立が高まると敵性国民たるドイツ人は追放される事になり、いよいよ施設の維持管理が困難になります。

此の地の世情が落ち着いたのは1950年代に入ってからです。
その後はある程度の発展が進みますが、元ドイツ領と言う負い目は残り、ソ連政府は如何にその痕跡を消すかについて非常な努力を行いました。

ドイツの公共施設、特に宗教施設やケーニヒスベルク城などの古い軍事施設やモニュメントは悉く破壊され、跡地には無味乾燥な共産主義的な施設が作られました。
破壊されたのは教会の隣や中心部にあったドイツ人墓地も例外ではありません。
ただ1つ残ったのが哲学者カントの墓とその周辺地域だけでした。

地名についてもドイツ語地名が消滅し、ロシア語地名に置き換えられました。
ただ、戦後の混乱期だったので、同じ地名が続出したそうで、現在でも狭い土地に同じ地名が3つも4つもあると言います。

歴史についても、1945年までの歴史を語るのはタブーとされていました。
ソ連崩壊後もしばらくその余波は続き、20世紀終わり頃にやっと研究成果がボチボチ出て来たという感じです。

地名についてもレニングラードがサンクトペテルブルクに戻ったように、特に悪名高いカリーニンの名を冠したカリーニングラード州そのものの地名を変える動きもありましたが、元々がドイツ領であることから改名は見送られたそうです。
改名してドイツ領を想起させると色々と占領地として不都合があるのでしょう。

大体スターリン時代の歴史が半分以上を占めているのですが、全体として、オーラルヒストリーを中心にカリーニングラードの戦後史を良く纏めている本だと思いますね。


創造された「故郷」: ケーニヒスベルクからカリーニングラードへ

創造された「故郷」: ケーニヒスベルクからカリーニングラードへ

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: 単行本


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