I Shall Return. [パソコン]
今日は修理のパソコンが帰って来るというので、在宅。
と言うか、これ以上外に出ていたら寝不足もあって夏バテ必至。
明日は遠出しようかなとも思っていて、行くんだったら高速バスだなぁ、だったら家に一々帰っていられないなぁ…などなど考えていたら在宅にしかならなかった訳で。
でも、今の時間、こうしてブログを書いているので、遠出は諦めました。
せめて昨日を在宅にしていれば、リハビリを済ませる事が出来て、明日からは1泊2日で遠出が出来たのですけど、昨日は来客があった為に出社するしか無く、今日は休診日なのでリハビリに行けず、と言うのもあり日帰りしか出来ません。
名古屋に行くのだったら、明日に県営名古屋に出掛け、土曜日にセントレアに行って帰るという行動が取れますし、大阪だったら明日は関空、土曜日に大阪か神戸空港という風にチョイスが出来るのですが、日帰りだとちょっと厳しい。
おまけに今週も猛暑日と来ている。
仙台や新潟も猛暑で動きようがございません。
なので、色々と諦めた。
そんなこんなしている内に、修理からDellのノートパソコンが帰ってきました。
一応、スピーカーの修理は済んだみたいだし、ヒートパイプもちゃんとシロッコファンに接続されていて、バッテリーも新品に変わっていました。
先ずは外した部品を元に戻すために裏蓋の螺旋を外して裏蓋を外す。
修理の中身を確認して、SSDとメモリーを戻し、蓋を閉じたのですが、上手く裏蓋の螺旋が締まらずに、右往左往。
再び裏蓋を外して、ゆっくり締め直したら、気が付くとかなり沈んでいて螺旋の頭が馬鹿になりかけていました。
いきなり修理上がりに何をやっているんだか。
で、電源を挿してスイッチをオン…してもウンともスンとも言いません。
また、何か壊したかと思い、戦々恐々として何度もスイッチを入れたのですが、画面すら出ない。
正直、何か又遣らかしたか、と冷汗が背中を伝ったのですが、HDMIケーブルを挿したら暫くして何事も無かったようにBIOS画面が起動しました。
どうやら、バッテリーを交換した直後だったので、起動電流が無かったようです。
ほっと一息でしたが、テストした際に別のユーザでデスクトップに入った時に何か弄ったのか、コンパネとPCのアイコンが増えていました。
まぁ、それくらいはどうでも良いのですけどね。
変なものが仕込まれていさえしなければ。
ただ、何かが変わったのか、メンテナンスツールを導入しようと色々弄ったからなのか、ATIのドライバはインストールできなくなりました。
そう言えば、LenovoにもAdrenaline Editionを入れようとしてOS潰したのがありましたっけ。
何かこの辺は鬼門なのかも知れません。
取り敢ず、暫くはこのまま使って見ようかなと思っています。
でもって、明日は引き籠りかなぁ。
せめて猛暑日で無くなれば出掛けるんですけどねぇ。
一月ぶりのリファービッシュ品 [パソコン]
昨日、久々に睡眠導入剤を飲まずに寝たのですが、ばっちり2時間後に目が覚め、それから1時間おきに目が覚める状態。
かなり睡眠が浅く、ポヤポヤして会社に出掛けました。
さて、先月ベッドの隣に山積みになっていた本の山から落っこち、液晶が壊れたDellのパソコン。
今はHPの予備機を寝室パソコンに用いているのですが、メモリがオンボードの4GBと増設が16GBで、アンバランスな配置になっている所為か、安定するまでに結構時間が掛かります。
同じ64bitOSに同じCPUなのですが、恐らく何かのソフトが裏で動いているのだとは思いますが。
一方のDellは如何したかと言えば、長らくサポートの中国人と遣り取りして、やっとこ修理に出す事が出来ました。
それが1週間前。
ピックアップの予定が1日遅れたのですが、修理に入ってからは順調に推移したらしく、明日戻ってくるようです。
元々は液晶の破損、ついでに裏蓋部分も歪んでいたので交換と相成りました。
しかし、戻ってきたパソコンは、片方から音が出ない状態。
どうやら、片方のスピーカーがいかれたようです。
またCPUのシロッコファンとヒートパイプの間が固定されていませんでした。
一応は裏蓋を閉めれば、シロッコファンとヒートパイプは密着するので良かったのですが、この部分は当初から接続されていなかったのか、この前の落下の衝撃で外れたのが不明なまま。
なので、サポートと遣り取りして、2度目のピックアップ。
向こうに到着して、検査して貰ったら、スピーカーの破損とヒートシンクの歪みが発見されました。
更に、バッテリー膨張も見つかったと言う事で、バッテリーの交換まで。
ただ気になるのは、バッテリーの交換費用は見積に入っていたものの、他のものは一切入っておらず、しかも修理が1度キャンセルされている点。
もしかしたら、バッテリーだけ交換されて帰ってくるのかも知れません。
そうすると、再度修理に出さないといけないので、またサポートの中国人と不毛な遣り取りを繰返すことになるのですが…。
出来れば、今回で最後にしたいのですけど、どうなることやらと言う感じです。
ま、修理箇所が完全に交換されたら、リファービッシュ品となりますけどね。
ヨーロッパ国際列車追跡乗車記 [読書]
こうも毎日毎日35度超えが続くと、好い加減バテてきます。
毎日会社に行ってはいるのですが、2日目にしてバテてきました。
折角金曜は休みなのですが、猛暑日に近い気温の予報。
とてもじゃないけど出掛ける気力が起きません。
北の方に行こうと思っても、北の方もかなりの猛暑ですからね。
折角の3連休なのですが、まぁ9月は3連休が後1回あるし、土日潰れるとかもあるので(ぉ。
そんな撮影欲が薄れている今日この頃に、一服の清涼剤となる本の話題。
『ヨーロッパ国際列車追跡乗車記』(南正時著/天夢人刊)。
今は撮り鉄と言えばかなり肩身が狭いですが、プロの鉄道写真家は人々の中に上手く溶け込んで、人間を切り取りつつも鉄道を撮影すると言う工夫が凄く旨いなぁと思います。
この人も鉄道写真家の草分け的存在ですが、元々大塚康生さんと同じ職場にいて、その影響を受けて鉄道にのめり込んだらしい。
この人が異色なのは、通常の鉄道写真家は国内の鉄道を被写体にするのですが、当時は海外旅行が珍しかった時代に海外に出掛けて、欧州を中心とした鉄道を撮影していた事。
この写真を売り込んだ国内の鉄道雑誌からは総スカンを食らうのですが、偶々その写真を評価してくれた人がいて、新聞社系のグラフ誌(多分アサヒグラフだと思う)に海外の鉄道写真を掲載したところ、そこから思わぬ世界が拡がり、ドラえもんと共演したり、武田鉄矢主演の映画になったりと、売れっ子として活躍をしています。
この本は、その切っ掛けとなった欧州の特にTEEを中心にした作品群です。
今でこそ、時速200km以上で各国を結ぶ高速鉄道網が張り巡らされていますが、まだ技術が発展途上だった時期、大出力の気動車または電気機関車をプッシュプル式に連結して、フランスと西ドイツを中心にベネルクス3国、スイス、オーストリア、イタリア、スペインと言った西欧の津々浦々まで走っていた特急網がTEEです。
現在の高速鉄道網は、航空機に対抗する移動手段という趣で、旅情も糞もありませんが(そう言う意味では日本の新幹線も良い勝負)、当時は時間を掛けて移動すると言うのを是としていて、その時間をどれだけ有意義に過ごすかという事に重きを置いていました。
だから、食堂車の連結は当たり前でしたし、バーやブティックすら利用出来る車輌が運行されていましたし、夜行列車だと寝台車も連結されていました。
この本では、自身が撮影した各国のTEEを紹介しつつ、その車内設備や乗務員との対話、乗客との対話が聞こえるような写真を掲載しています。
今ではテロ対策で、乗務員との対話すら覚束無い(これもまた味気ない)のですが、当時は人々に余裕があったのか、様々な国々で、奇妙な東洋人とのコミュニケーションを楽しんでいたりするのが写真で伺えるようです。
当然、自身も多分若気の至りだと思いますが、食堂車では正装と言うドレスコードがあるとか言って、羽織袴でカメラに収まったりしています。
まだ日本人が彼方此方に出没していない時代、中国人との違いを見せるために色々と工夫していたのでは無いでしょうか。
車内風景や車窓だけで無く、勿論、この本は旅鉄ブックスの1冊ですからちゃんとした車輌の写真も掲載されています。
但し、現在と違って銀塩カメラですから撮影は一瞬、そして時間には限りが有るので、無念の涙を呑んで見送ったTEEもあった様です。
それでも、有名どころのTEEはちゃんと抑えていますし、時刻表なども掲載していて、1980年代初頭のまだ欧州旅行が非日常的だった時代の風景をちゃんと伝えているのはさすが写真家だなぁと思いましたね。
また、TEEだけで無く、欧州を走っていた国際列車も一通り抑えていますから、読み本としても面白かったです。
こんなに隆盛を誇ったTEEも、その後TGVやICEなどの高速列車に取って代わられていきますが、その終焉もちゃんと残しているのも良かったです。
大体こうした車輌の写真と言うのは、旬が過ぎれば見過ごされたりするものですから。
個人的には、子供の頃、図鑑とかで見ていた鉄道を写真でも見られたのが嬉しかったですね。
成田詣で-2月初撮り(その2) [飛行機]
最近気が付いたというか先々週くらいに気が付いたのですが、あれだけジージー鳴いていた蝉が、最近はトンと鳴かなくなりました。
代わって、コオロギなどの秋の虫が鳴き始めました。
何だかんだ言いつつも、季節は移り変わっているのだなぁと思ったりする。
ただ、この暑さが何時まで続くのやら、とは思いますけどね。
さて、今日も昨日の続きで2月の初撮り分を貼り貼り。
高雄線の機体ですが、今はA.321-200neoに機材変更されています。
SF AirlinesのB.767-300ER-BCF。
Qantas Airwaysの旅客機として就航した後、SF Airlinesで貨物機に改造されたもの。
Starlux AirlinesのA.330-900neo。
去年5月に就航した機体で、2月は台北線2便ともA.330だったのですが、今は少なくとも1便がA.350に機材変更されています。
とある建設会社の社有機であるHonda-Jet。
Cathay Pacific AirwaysのA.330-300。
6年ぶりの撮影で、塗装変更後初撮り。
UnitedのB.777-200ER。
5年ぶりの撮影で、塗装変更後初撮り。
Jeju AirのB.737-800。
元Norwegian Air Shuttleで就航していた機体。
大韓航空のB.737-8MAX。
去年7月に就航した機体。
中国東方航空のA.350-900。
最近飛来するようになった中国東方航空の最新鋭機。
Greater Bay AirlinesのB.737-800。
香港に去年新たに設立された航空会社で、今年1月から成田線に就航しています。
これも、元Norwegian Air Internationalの機体で、コロナ禍による機材整理で返却された機体を調達したもの。
ANAのB.787-9。
位置取りが悪くメラメラですが、ANA Green Jetの2号機。
米国精密機械工業会社の社有機のG.550。
Starlux AirlinesのA.330-900neo。
去年2月に就航した機体。
米国ビジネスジェット保有会社のG.650ER。
China AirlinesのB.747-400F/SCD。
EmiratesのA.380-900。
元野生動物保護キャンペーン広報機。
と言う事で、2月に初撮りした機体群でした。
成田詣で-2月初撮り(その1) [飛行機]
今日はゆっくり静養日。
先週のばっしょーのライブ配信を見ていたのですが、途中意識が飛んで、気が付くと前半が終わっていました。
音が小さかったのもあったし、昨日の疲れを引き摺ったのかしら。
後は、写真の編集とかしていました。
2月分の初撮り写真をやっと編集終わり。
と言う事で、今日から貼り貼り。
PeachのA.321-200neo。
今年1月に就役した機体なのですが、最近は成田への飛来がありません。
Jin AirのB.737-800。
元大韓航空機。
マルタのビジネスジェット運航会社のCL-600。
豪州のビジネスジェット運航会社のBD-700。
Vietjet AirのA.330-300。
今年1月に就航したもので、これまた元AirAsiaXの機体。
ASL Airlines BelgiumのB.747-400F/SCD。
元は日本貨物航空が発注したものの、当時の不景気で注文流れし、別の航空会社で使われていた機体。その後、ロシアのAir Bridge Cargoに就役し、退役後にこの会社に就航したもの。
Turkish AirlinesのB.787-9。
Vietnam AirlinesのB.787-10。
大韓航空のB.737-900ER。
釜山線が復活し、10年ぶりに撮影出来ました。
Air BusanのA.321-200neo。
一昨年5月に就役した機体。
ブラジルの鉱山会社の社有機であるBD-700。
FedExのB.777F。
台湾の会社の社有機であるA.319-100CJ。
Air FranceのB.787-9。
Jin AirのB.777-200ER。
大韓航空から移籍した機体。
AirAsia PhilippinesのA.320-200。
今年から就航して徐々に便数を増やしています。
Tiger Air TaiwanのA.320-200。
楽天モンキーズ塗装。
Thai Airways InternationalのB.777-300ER。
T'WayのB.737-800。
ゲームの宣伝が為されていましたが、ノーマル塗装に戻りました。
FedExのA.300-600R。
まずは、午前中までに撮影した機体。
1年越しの [日記]
今日は午後から出勤。
昨日眠れず、ポヤポヤした状態だったのでどうしようかと思った。
ついでに、久々に肩こりからくる偏頭痛。
とは言え、去年この作業の立会いをすっかり忘れて成田詣でに出掛け、成田空港で業者からの電話を受けた苦い思い出が有るので、出掛けざるを得ません。
幸い、偏頭痛は軽いものだったので、家を出ます。
で、昼からなので電車も余り走っておらず、バスで行くのと変わりないので、赤羽までバスで。
久々に各駅停車のバスで結構時間が掛かりました。
駅に着いて上野東京ラインで出掛けて会社へ。
上野に着く直前にポツポツと雨が降り始め、東京駅で土砂降りだったのですが、会社に着くと狐に包まれた様に雨は降ってませんでした。
折角、ディバッグに常備している傘を取り出す準備をしていたのに。
それでも、会社に着いた途端に雨。
会社までは途中、長い道のりがあるのですが、幸いそこで降られなかったのが幸いでした。
で、作業1時間前に着いて暇なので、普段使わない鯖にパッチ適用。
4ヶ月パッチを充てていない鯖とか有ったので、まぁ今日出て来て良かったな、と。
そうこうしているうちに清掃会社の人から電話。
丁度作業場所に行っていたところだったので、「休日に済みません」なんて言いながら扉を開ける。
毎年やっている作業なのですが、一昨年担当者が停年を迎えて引継いだのに私がすっかり忘れていた訳で。
そして、ビル管理会社からクレームがあったから、今年は早くから予定を入れられて、3日前には上つ方に総務から「ちゃんと立会いして下さい」と言う依頼が来ていたと言うね。
はい、前回すっぽかした私が悪いのです。
因みに、予定ではそのフロア全部の床清掃の予定でしたが、急に中止になり、私の担当する鯖室だけが対象となってしまい、清掃会社の人も少し勝手が違ったようです。
取り敢ず、乾燥のために扉を開けるのですが、入退出のセンサーが着いているので、ピーピー五月蠅い。
センサーを無効化して、後は同じフロアで鯖のパッチ当て続き。
まぁ作業の人達が何してるかは判りますからね。
ただ、向こうからは見えてなかったみたいで、作業が終わったら目の前にいるのに電話を掛けられました(苦笑。
去年クレームを付けられた作業は、まぁ無事に終わり、扉の施錠をし直して、最後にパッチ適用の鯖を再起動して帰ってきました。
まぁ、2時間作業したから、行き帰りに2時間掛かっても一応ペイ出来ているかな。
帰り、秋葉原に寄るかを迷ったのですが、偏頭痛が続いていたので、同じルートで赤羽まで出て、パン買って飯食って本屋に寄って帰ってきました。
で、偏頭痛は相変わらずだったので、帰ってから1時間ほど寝てやっと解消。
どうも最近、低反発枕の形が変わっていて、首にあたる部分がヘタって圧が結構掛かっているのでは無いかと思ったりしています。
今度、イオンモール川口に行ったついでに買い直そうかなぁ。
ま、1回ちゃんとやっておけば来年からはやいのやいの言ってこないでしょう…そう思いたいです。
北海道鉄道旅行写真帖 [読書]
今日は二度寝して完全に寝坊。
とは言え、明日は午後から出勤して作業の立会いをする事になるので在宅。
運が良かったです。
ここ数日、寝ると2時間もしないうちに蒸し暑くて目が覚めて、クーラーを付けて寝て、今度は寒くて目が覚めて、クーラーを消して寝てと言う事をしているので、大分身体にダメージが来ている感じです。
だからか、勤務先の人達やその家族にコロナ感染が増えているように思います。
で、明日は出勤なので早めに終わってリハビリに出掛け、帰りにスーパーに寄って米を調達。
この暑さからか、全然人がおらず、私が最後の患者さんだったようです。
さて、先月の肺炎で臥せっていたときに読んでいた本の紹介。
『未来へつなぐ日本の記憶 昭和38年3月 北海道鉄道旅行写真帖』(写真:小川峯生、解説:牧野和人/フォトパブリッシング刊)。
前回は九州だったのですが、今回の舞台は北海道。
北海道と言えば、新入社員で初めて長期休暇が貰えたときに、初めて一人で東京に行き、東京からは寝台特急に乗って北海道へ向い、函館と小樽を観光した後、夜行急行で稚内に行って、雪の中宗谷岬に行って、再び昼行急行で札幌に戻り、特急に乗って根室に行き、納沙布岬で北方領土を眺めて夜行特急に乗って札幌に戻って、帰りは寝台特急に乗って大阪に帰った思い出が有ります。
よく書いてますが、この時、稚内で風邪をひいて熱を出していたのに旅行を強行して、帰ってから気管支炎になったと言う苦い思い出が有りました。
この本でも同じ様に、60年前の3月に弾丸で北海道の各地を撮影旅行した記録で、九州に撮影旅行した翌年に青函連絡船で北海道に上陸しています。
今と違って、北海道も又、津々浦々に鉄路が張り巡らされていた時代です。
国鉄は幹線だけで無く、炭鉱から伸びる支線や建主改従政策で建設された各地のローカル線が未だ生き延びていました。
とは言え、そろそろ自動車の攻勢が強くなり、エネルギー革命によって石炭がメインの動力源から落ちつつある時代。
ローカル線にも経営改革の声が出て、混合列車から客貨分離の実行、また気動車やレールバスの投入が始まりだした頃です。
丁度、時代の変わり目にこの写真たちは撮られました。
これより後だと、国鉄の赤字が酷くなって、何処に行っても所謂国鉄形と呼ばれるキハやディーゼル機関車が導入されて撮影風景が余り変わらなくなりましたし、炭坑鉄道はどんどん廃線となってしまったいたでしょう。
このため、貴重な写真が残されたと言えそうです。
勿論、弾丸旅行ですから、日程は限られていて、炭坑鉄道のめぼしい場所は訪問していましたが、道東を中心に張り巡らされていた簡易軌道の記録はありません。
もしかしたら、簡易軌道は眼中に無かったのかも知れませんが。
60年前の地方の息吹や繁栄していた炭坑町の光景、市街電車の行き交う背の低い町並なども切り取られていて、多分、60年後の現在の光景と比べると隔世の感があるのでしょうね。
今は原野と化して自然に帰っているような場所が、以前は人が溢れんばかりにいた街だったなんてのもありそうです。
編集には些か難がありますが(タイトルを挿入する場所がちょっと判りづらいし、キャプションが全然違ってあれという点がある)、写真を見る分には問題ないと思いますね。
昭和38年3月 北海道鉄道旅行写真帖 (未来へつなぐ日本の記憶)
- 出版社/メーカー: フォト・パブリッシング
- 発売日: 2023/06/26
- メディア: 大型本
長屋住まいの思想 [日記]
今日も出勤。
しかし、朝は大分涼しくなっているような気がします。
矢張り雨が降ると違いますね。
逆に夜はねっとりとした蒸し暑さで疲れ倍増ですが。
さて、今日も与太話。
2月分の写真が中々編集終わらないので。
私の家は一応持ち家です。
後、数年でローンを返済してしまえれば…ですが。
築20年を超えている家ですが、そこまでガタが来ていないし、それなりに修繕はしているので、まだ20年くらいは余裕があるのかなと。
思うに、日本人って持ち家の歴史が非常に浅いのでは無いかなぁなんて思ったりする。
確かに田舎だと藁葺き屋根の農家なんて、築数百年と言う所もある訳ですが、都市部では江戸にしろ、京都にしろ、江戸期なんかでは屡々天災があったりして、忽ちの内に瓦礫の山や焼け野原になってしまう事が多かったのでは無いでしょうか。
だからか、庶民の家は安普請の家が多い印象があります。
所謂、長屋と言うもので、そんなに長持ちするような家では無かったのでは無いかと。
当然、火災や地震などに見舞われて破壊されることが多くても、簡単な構造なので再建が容易に出来たのでは無いかと思います。
その思想が、今の日本の家造りに活かされているのでは無いか、と。
よく欧州の街歩きの番組を親が見ているのですが、彼の地の家はそれこそ築数百年で、それを手入れしたり、改造したりして現代の生活にマッチさせて、住み続けていて、日本のようなスクラップビルドは少ないのでは無いかと思ったりする。
石造りと木の家とは異なると言う向きもありますが、ちゃんと手を入れさえすれば、木の家でも何百年
と保つ訳で。
天災の多い国だから、寿命が短くても問題ないやと思って、家造りを続けてきたのでは無いでしょうか。
それが戦後の高度経済成長期まで続いて、現在に至ると。
それが急速な少子高齢化で、負の遺産になってしまっている皮肉。
昔は、家と土地があるのはそれなりに資産として計算出来た訳で、そうした資産がある人とない人はかなり裕福さに差があった様な気がしました。
それこそバブルの時は、猫の額ほどの土地であっても、都会にありさえすれば、それを売るとかなりのキャッシュが手に入ったし…。
今は住宅なり土地なりを相続する人もおらず、法定相続人になったら、莫大な相続税が掛けられる可能性があるそうです。
物納とか色々手はあるのでしょうが、更地にするにもお金が掛かりますから。
死んだ人の土地を収用して、生きている人に安く譲渡する仕組みが出来たら、みんな色々とハッピーなんじゃ無いかなぁなんて思うのは私だけでしょうか。
そもそもが、安普請の家では無くて、100年以上保つような家を増やすのが先決だったのかも知れませんけど、今となっては遅すぎますね。
処暑 [日記]
今日は二十四節気の1つ、処暑だそうで。
ここから涼しくなっていくと言う事になるはずですが、来週までずっと35度超えです。
来週は既に9月ですけどね。
例年9月初旬は会社が休みになるので、さて、何処かに行くべえかと考えていて、現時点の気象予報だと関空が終日南風運用なんですよね。
勢いに任せて、高速バスのチケットを買うべきかどうか悩んでいます。
ただ、週末3連休でも、日曜日にばっしょーのライブを入れたので、疲れを残さないという意味であれば、金曜日だけ何処かに行って日帰り若しくは弾丸1泊2日と言うパターンにするべきかなどと思っている。
関空展望ホールはまだ営業時間が10時~17時なので、8時過ぎに天王寺辺りに着く高速バスで行っても、御飯を食べて、身支度をするくらいの時間が十分にありますね。
流石に18時過ぎだと東京行き昼行バスはないので、LCCで帰る事になるかも知れませんが。
来月は23日と24日が休み無しなので、落ち着いてから再来月に行っても良いのかも知れません。
それにしても、今年は余り休みが期待できなくて、23日と24日が土日なんですよね。
せめて彼岸を迎えるまでには気温が落ち着いてほしいのですけどね。
渇水も発生しだしたという話もありますから。
成田詣で-1月初撮り(その2) [飛行機]
今日は蒸し暑くて目が覚めました。
御陰様で早めに出勤出来ましたが、夕方になると電池が切れてパフォーマンスが悪くなります。
時に、ここ数日、私の周りでコロナ感染が増えてきたので、戦々恐々としております。
皆様もご注意くださいませ。
さて、今日も昨日の続きを貼り貼り。
UPSのB.747-8F。
一昨年12月に就役した機体。
去年の年末くらいからUPSはB.747が2便体制になっています。
偶にB.767が補完で飛来します。
韓国の新興航空会社Air PremiereのB.787-9。
去年9月に就役した機体で、元Norwegian Air UK。
年末から成田に就航していますが、先日のFly Gangwonと違って、規模がどんどん拡大しています。
朝日航洋のBK117-C2。
ドクターヘリ…少し遠かった。
深圳航空のA.330-300。
今は夕方便になり、B.737-800に機材変更されました。
China AirlinesのB.737-800。
高雄線の機体で、今はA.321-200neoに機材変更されています。
春秋航空のA.320-200。
千葉県警のEC135T3。
去年1月に就役した機体。
UnitedのB.767-400ER。
元Continental Airlinesの機体で、日本では滅多に見られないもの。
ANAのB.787-10。
去年10月に就航した機体。
Cathay Pacific AirwaysのB.777-300ER。
中距離型のB.777-300が飛来することが少なくなり、長距離型の飛来が増えました。
China AirlinesのA.350-900。
米国投資銀行が保有するBD-700。
遊技機メーカーの社有機らしい。
HawaiianのA.330-200。
A滑走路には滅多に降りてこないのですが、よく遭遇します。
MIAT Mongolian AirlinesのB.737-8MAX。
春秋航空のA.320-200。
と言う事で、1月に初撮りした機体でした。