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The Last Battle [読書]

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今日は初詣に出掛けようと思いましたが、余りの寒さに断念。
家の中にいても何処からか隙間風が入ってくるので、暖房を付けても中々暖まりませんでした。
しょうがないので、布団に入って温もっていました。

御陰様でよく寝られましたが。
そんな事をしながら、半年前の写真がやっと残り1,000枚を切った。
この3が日、撮り始めを考えていたのですが、余りに寒くて何処に出る気力もありません。
まぁ、昨日、郵便ポストまで出られたので良しとする。

今日は今年初の本の紹介。
実は本編は先週初めに読み終えていたのですが、原註のところも結構読み応えがあったので今日まで掛かってしまいました。

『The Last Battle』(Stephen Harding著/花田知恵訳/原書房刊)
邦訳にすると思い切りネタバレになってしまうので、敢えて原題を掲げたのですが、邦訳の題名は『ドイツ・アメリカ連合作戦 第二次世界大戦の「奇跡」と言われた捕虜収容所奪回作戦』という長いもの。

「国際情勢は複雑怪奇」と言って辞めた内閣がありましたが、第2次世界大戦欧州戦線で、最後の1週間に繰り広げられた、オーストリアに有った古城を巡る親衛隊(ワッフェンSS)と米軍、ドイツ国防軍、フランスの退役兵達との戦闘を描いた本です。

中身はそのままスティーブン・スピルバーグがハリウッド映画にしそうな冗談みたいな内容。
フランス軍と米軍なら何となく判るのですが、そもそもドイツ国防軍と米軍が手を組む?
表題に気を引かれて7年前に購入したのですが、今まで積ん読の中に入っていました。

欧州戦線最後の1週間というと、総統たるアドルフ・ヒトラーは既に自殺を遂げ、ドイツは既に崩壊しつつある時期です。
それでも戦闘を続けていたのが親衛隊でした。
彼等は戦闘集団も含んでいたものの、本質は収容所などを管理していた集団で、戦争が終わると真っ先に摘発される者達でした。

オーストリアとドイツとの国境地帯から少しオーストリア側に入ったところに築かれた山城、イッター城がこの戦闘の舞台となりました。
この城は、中世に築かれましたが、戦闘任務を解かれてからはゲストハウスやホテルとして使われていました。

ドイツによるオーストリア併合後もホテルとして機能を果たしていましたが、ドイツの敗色が濃くなる1943年、ドイツ国内に建設された収容所の中でも、特に重要なフランス人達を収容する為に徴発されます。
その中に収容されたのは歴代首相、将帥達、労働運動指導者、ペタンの腹心、ジロー将軍の一族、クレマンソー将軍の息子、ド・ゴール将軍の姉、その夫や妻や愛人達。
恐らく、連合軍と交渉するときの交渉材料として、ヒムラーが利用しようと考えたのかも知れません。

1945年5月、ドイツが崩壊していく過程で、この城を監督していた指揮官が自決し、警備部隊は雲散霧消してしまいます。
フランス人達は突然解放されるのですが、周辺にはまだ戦闘を諦めない武装親衛隊が多数闊歩していました。

丁度その頃、米軍の先鋒部隊がヴェルグルと言う町に入り、この地区を抑えていたドイツ国防軍少佐とオーストリアレジスタンスの降伏を受容れます。
そして、更に進撃しようとしたとき、イッター城から城の様子を伝えるために派遣された人物と巡り会えました。

事態を悟った米軍先鋒部隊の指揮官は、戦車2両を先頭に、自軍の持てる兵力をイッター城に向けました。
兵力が足りないので、ドイツ国防軍少佐の指揮する国防軍残存部隊と共に。
一方で、イッター城の重要人物を抹殺しようと親衛隊も派遣されていました。

先に城に入ったのは米軍とドイツ国防軍の混成部隊。
また、城内には第1次世界大戦の猛者たるフランス人達も、親衛隊がいなくなった後の武器庫を開けて、城を守っていました(ただ、彼等は決して一枚岩では無かった)。
機先を制された親衛隊は、75mmPak対戦車砲や20mm高射機関砲を持ってきて、総攻撃を掛けようとします。
戦車は対戦車砲に破壊され、ドイツ国防軍の少佐は狙撃兵に撃たれて絶命しました。
弾薬も尽き掛けて、最早これまでかと思ったときに、正義の騎士宜しく米軍の援軍が間一髪で到着して、親衛隊を排除し、イッター城救出に成功する…とまぁこんな感じです。

正に、「事実は小説よりも奇なり珍なり摩訶不思議なり」で、本当に映画に出来そうです。
ただこれを映画にすると、かなりフランス辺りで問題になりそうですけどね。
勿論、これでめでたしめでたしと行かないのが小説と違うところで、ちゃんと後日談も取材して書いています。

この本が執筆された当時は、参加した兵士達の中にまだ存命の人もいましたから、ちゃんとその裏付けも取れたのでしょうし、多数の資料や回顧録を渉猟して書いたのだなぁと言うのが、巻末の膨大な註に現れています。

因みに、註の中にも興味深い話があって、イッター城救出に参加した第103歩兵師団の指揮官が、とあるドイツ人の屋敷を接収して指揮所にしようとしたときに、その屋敷の主が彼等に近付いて、「私が作曲家のリヒャルトです」と言って、『薔薇の騎士』の楽譜と米国のとある都市の名誉市民証明書を差出したそうです。

その指揮官はクラシックに造詣が深く、この屋敷の主がR.シュトラウスのことだと判ると、「指揮所はここで無くとも良い」と言って、踵を返してジープを走らせたそうです。
その時、建物に「立入禁止」と言う札を貼ったそうな。

こんな事がサラリと書いてあるので、註も中々読み終えられなかったと言うのも有りました。



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