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船渠の巡洋艦 [日記]

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色々疲れて今日は何もする気力起きず。
帰ってくるのもそれなりに遅かったので、写真の整理も出来ず。
帰りは雨だったので、かなり陰々滅々の気分です。

てな訳で、今日は埋め草。

ここ最近、オランダ海軍の巡洋艦の話を書いているのですが、第1次世界大戦中に起工して、やっと戦後に竣工したのが、JavaとSumatraと言う2隻の巡洋艦。
虎の子の2隻でしたが、1930年代に入るともう旧式化が目立ってきました。
幾ら1920年代の竣工と言えど、元々が1916年と1917年に建造された艦ですから、時代に合っていません。

巡洋艦としては、1930年代にDe Ruyterが竣工したものの大恐慌の影響で隻数を増やせず、嚮導艦に毛の生えた軽巡洋艦としてTromp級を2隻建造しましたが、これは蘭印の海域で使えるような艦としては小さすぎました。
そこで1938年、巡洋戦艦の補助を務めるために建造が開始されたのが、Provincien級巡洋艦です。
船体は当初De Ruyterのそれをベースにしており、15cm砲は、De Ruyterで実現できなかった連装砲4基8門を搭載する予定でした。

しかし、最上級などの日本の巡洋艦に影響されてか、計画は変更されて排水量は8,350tとDe Ruyterの1.5倍増となり、一回り大きな艦になりました。
また、兵装も15cm砲が8門から前後に3連装砲塔1基と背負い式に連装砲1基の合計10門と、変則的ながらかなり強力なものになっています。

De Zeven Provincienと、Eendrachtと名付けられた2隻の巡洋艦は、前者が1939年9月5日、後者は1939年5月15日に起工されました。
両艦とも、第2次世界大戦が勃発直前か間無しの起工です。
翌年、オランダはドイツ軍の侵攻を受け、降伏しますが、両艦ともまだ船台上で建造中でした。

そして両艦ともドイツ軍の手に落ちてしまいます。
海軍力の乏しいドイツ海軍は、この両艦の建造を再開するべく、努力を重ねます。
先行して建造が開始されていたEendrachtは、Kijkduinと改名してアトランティック・バウを装備するなどよりドイツ色が強くなりました。
しかし、オランダ国民の抵抗にも遭って作業は遅々として進まず、そうこうしているうちにドイツ海軍は水上艦の建造を中止し、潜水艦や小型艦艇の整備へとシフトします。

そうなると船渠を専有している大型艦は邪魔になります。
両艦とも、最低限の装備を施して船渠を空けるために工事を行い、De Zeven Provincienは1944年12月24日に進水させ、ロッテルダム港の防波堤に使われました。
一方で、Kijkduinはまだ造船台の上に置かれたままで使われずに終わりました。

装備される予定だった備砲などの武装は、ドイツ軍が全部徴発してしまい、戦後は2隻とも荒れ放題だったようです。
この2隻に日の目が当たるのは、1947年の事。
これまた、JavaとSumatraの二の舞を演じてしまいました。
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