SSブログ

幽霊列車 [読書]

DAL_B777-200ER_866DA_0010.jpg

今日は来週日曜の休日出勤の為の事前準備。
相変わらずプアなマシンが多く、中々上がってきませんでした。
御陰で帰ってきたら午後10時です。
それにしても、折角8両編成が始まったというのに、全く見かけません。
どうせなら、王子神谷行きの後に8両編成を走らせて欲しい。
それで無くとも、王子神谷行きの後の電車は滅茶苦茶混んでいる上に12分待ちとかするんだからして。

ところで、今日は雨でした。
一応、雨の中配達してくれる中の人には頭が下がりますが、折角ビニール袋に入れてくれていても、封をきちっとしてくれてなければ意味が無かった。
回覧板入れに入れてくれたのですが、丁度、水が溜った部分が封の開いていた部分と重なって、そこから水が浸入。

結果的にグズグズになり、返品と相成りました。
折角配達してくれたのに申し訳ない。
かと言って、これを読めるかと言えば読めない訳ですから、返品せざるを得ない訳です。
幸い、2冊あった内のもう1冊は、最初の1冊が盾になってくれた御陰で、何とか持ち堪えました。

丁度、密林の配達を巡って、今日のヤホーニュースを見ていたら話題になっていたので。
うちの場合は、家族がいるのですが、家族が気がつかない事も有りますから結果的に居留守を使ってるのと同じになってしまうこともあって申し訳ないなぁと思ってしまいます。
出来るだけ、家人も気が付く時間帯に配達するようにしているのですが…。

さて、ここ数日、通勤の行き帰りに読んでいた本。
『幽霊列車 ~日本と世界の廃車図鑑~』(笹田昌宏著/イカロス出版刊)。

まぁ、文字通り廃車のオンパレード…かと思いきや、廃車のおどろおどろしい写真は後半に掲載されているだけで、前半は極めて真面目な研究成果的な著作です。
著者は、車掌車とかどちらかと言えばニッチな車輌に情熱を傾ける人で、その作品を読むこちらも結構な臍曲がりなのかも知れません。

話は飛びますが、大学では神戸の東の端から西の端まで電車通学をしていました。
駅を出て、バスに乗って坂道を登れば、先ず小学校、次に中学校、更に高校と進んで、終点が大学と言う所でした。
今は埋め立て地とかに進出して大分通いやすくなりましたが。

最初は、阪神~神戸高速~山電で通っていたのですが、新快速の速さに惹かれて宗旨替え。
三ノ宮で乗り換えてJRで通っていました。
朝一は新快速が走っていないのですが、列車線を爆走する113系快速に揺られていましたっけ。

途中、鷹取駅で旧式客車を何時も横目に見ていました。
思えば、和田岬線のプッシュプル式で運行される旅客列車だったのですが、結構これらが茶色の旧型客車でレトロというか物寂しいと言うかそんな印象を受けていました。
鷹取駅には、引込線が何本もあり、20系寝台客車とかも纏まって止まっていたりしました。

何時しか、それらの列車は数が少なくなっていきましたが。
結局は解体線に放り込まれて重機の餌になってしまった訳です。
何でこんな話を書いたかと言えば、この本の前半は、近畿地方の各地に集積されていた車輌が、鷹取や神戸港駅に送られて解体された経緯を追ったものだから。

今は零落したとは言え元新快速電車やステンレス製の電車や特急電車が行き交う福知山線や山陰線も、その頃は非電化で、ディーゼル機関車に牽引された魑魅魍魎どもが蠢く路線でした。
国鉄末期、これらの客車は電化により一斉に任を解かれます。

取り敢ずは各々の客車区に集積されますが、何時までもそこに置いておく訳に行かず、数両ずつ組成されて、機関車に牽引され、尼崎を通って、吹田機関区に一時的に置かれ、更には解体基地のあった神戸港駅に回送されていったのです。
放置されていた為、窓硝子は投石で割れ、屋根の布は破れ、中はボロボロ、躯体の骨組みが露出しているような、よく走っているなぁと言う列車が、通勤電車の行き交う東海道線を走っていったのでした。

こうした幽霊列車の組成から運行などを一次資料を駆使して解き明かしていったのがこの本の前半部だったりする訳で。
この人、趣味が高じて、幽霊列車への無賃乗車も企てたと言うから筋金入りのヲタさんです。
流石に実行に移すことは無かったですが。

それにしても、様々な車輌、その中には車輌の歴史的に貴重なものも含まれていたのが一気に解体されたのですから、日本の歴史軽視は筋金入りですね。
今でも、近江鉄道の明治期の貴重な電気機関車とか、各地に保存している蒸気機関車をいとも簡単に解体してしまうのですから、日本の物作りが衰退していくはずですね。
つくづく最近の日本は、物を作る、その積み重ねを残すと言う事をしない国です。
その警鐘にもなっている様な気がします。
nice!(13) 
共通テーマ:日記・雑感