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モーターカノン [飛行機]

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先日来、止まっていた案件の打開をすべく、色々な調整。
しかし、一番悪い方向で落ち着きそうです。
全く相性が悪くて、5回目の卓袱台返しなので、疲れました。
もうどーにでもなれ、と言う感じ。

御陰で、PLAYLISTを聴き込むことが出来ません。
取り敢ず、ポルカドットスティングレイやら石崎ひゅーいなどの旬のアーティストから提供を受けた、アイドルとしては完全に変化球とでも言う楽曲群を彼女達は楽々と歌い熟している様な感じを受けると言うのと、相変わらずCDで聞くよりライブで聞いた方が何倍も良いと思いました。

出来れば、週末のエビクリまでにちゃんと聴き込みたいなぁと思ってみたりして。

今日もそんな訳で日中戦争の中国的天空について書いてみる。

1932年、フランスのEmire Dewoitineは米国のP-26に着想を得て、固定脚ながら、全金属製低翼単葉の戦闘機D.500を開発します。
この機体の特徴は、プロペラ軸を通して20mm機関砲を発射できるモーターカノンと呼ばれる武装を組み込んでいたことです。

それから2年後、Dewoitineはその発展型でエンジンを強化し、更に各部を改良したD.510と言う機体を開発します。
D.500はフランス空軍が主力戦闘機として採用し、D.510もフランス空軍が主力戦闘機として引き続き採用しました。

D.510は各国に売り込まれ、モーターカノンという強武装が魅力的で、様々な国が購入しました。
その中にはリトアニア空軍とか、トルコ空軍、中にはスペイン内戦で共和国空軍が使用した機体もありますが、共和国空軍向けは輸出規制を掻い潜るために、サウジアラビア空軍が購入した体を装って発注されたものです。

因みに、D.510は日本にも輸入されました。
1935年にモーターカノンに興味を持った陸海軍の意向で三菱が研究用として2機を輸入したものです。
9月に横浜に到着し、10月7日に所沢でフランス人飛行士の手に依って初披露され、その時は軍首脳に深い感銘を与えたそうです。

その後、陸海軍のパイロットにより国産戦闘機との比較が行われました。
しかし、当時格闘戦万能主義が幅を効かせていた陸海軍パイロットの眼から見ると、三菱のA5M1や中島のキ-27に比べ中高度、低高度に於ける運動性に難があり、昇降舵や補助翼の操作が重く、各舵の釣り合いに癖がある、更にモーターカノンの給弾装置に欠点があり、実用性に劣るとの評が為されました。
そもそもが、思想的に高速での一撃離脱を主戦法にする機体に格闘性能を求めるのが間違っているのですが…。
それでも、20mm機関砲の強武装は魅力的で、陸軍は中島キー12、海軍は三菱A5M3と言うモーターカノン装備の機体を開発させますが、何れも採用になりませんでした。

日本では散々に言われたD.510でしたが、中華民国中央政府は1936年に24機を発注し、D.510Cと命名された機体は、仏印経由で1937年末に引き渡され、折柄の日中戦争では昆明の第41中隊でフランス人義勇兵によって運用されましたが、その義勇兵の質は悪く、1938年8月に契約打切りとなってしまいます。

こうして引揚げられた機材は、一時的に昆明軍官学校で高等練習機として用いられた後、1939年7月からは生き残っていた12機が、第5大隊第17中隊に再び配備され、重慶と成都の防空任務に就いていました。
戦果の程は不明ですが、この期に及んで漸くこの機体は本来の使われ方をされたのかも知れません。
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