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中国のイタリアン [飛行機]

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今日はシステムの切替があると言うので、早めに行こうと家を出たのですが、直前に東急目黒線で車輌故障があったとかで、電車が団子になり、全然進みません。
結局、会社に着いたら何時もの時間…一体何をしていたことやら。

時に、今日はエビ中の新譜『PLAYLIST』のフラゲ日で、今、その新譜を聴いているのですが、それについて書くのは今日は流石に気が引けるので、ネタバレは明日以降にしようかと。
それにしても、CDよりもライブの方がエモいねぇ、エビ中は。

そんな訳で、今日は埋め草。
そう言えば、香港当局に香港航空のA.330-300が7機、差し押さえられたそうです。
元々、親会社の海南航空も大分怪しい経営状態だったのに加え、最近の香港情勢が追い打ちを掛けてしまったみたいです。

それにしても、航空会社が倒産するときは何時も突然ですね。
今年に入ってからでも、インドのJet Airwaysが運航停止になったのを皮切りに、欧州のチャーター便であるThomas Cook Airlinesグループが破産、南欧の航空会社であったAdrian Airが倒産、今月に入ってからも、台湾の遠東航空が運航停止、と。
こうした突然の倒産は、帰りの便のチケットが保証されないので、海外に取り残されかねません。
海外の航空会社を利用する場合には、こうしたリスクもあると言う事を認識しておかねば。
時に、全日空は大丈夫でしょうかね。

さて、1930年代、日本の軍拡に対抗して中華民国は、様々な国から兵器を買い入れます。
残念ながら、陸戦兵器と異なり、国産航空機産業の規模は、日本に比してかなり小さかったので、輸入に頼らざるを得ませんでした。

それこそ、手当たり次第と言う感じで、米国、英国、フランス、イタリア、ドイツ、ソ連、その上、仮想敵国の日本に至るまで購入先は様々です。
米国やソ連の飛行機とは異なり、いずれも少数機の導入となり、殆ど戦力として体を為していませんでした。
もっとも、中華民国と言っても、実態は中央政府の軍は少なく、地方軍閥の政府の軍も多数有って、政府同士の戦争の時には、兵器のリストを交換して、うちの方が弱いから降参!みたいな冗談のような戦争をやっていましたからね。

イタリアからはBreda Ba.27、Fiat C.R.32が輸入されました。
Ba.27はBoeing P-26に着想を得た低翼単葉固定脚の戦闘機です。
イタリア空軍に売り込みが図られましたが、イタリア空軍は小回りの利く複葉機優勢思考が幅を効かせており(何しろ、第2次世界大戦でもC.R.42を開発した国だし)、不採用となりました。

そこでBredaは海外に活路を見出し、輸出用戦闘機として各国の軍隊に採用を働きかけます。
これに中国政府が引っかかり、18機のBa.27を発注しましたが、実際に引き渡されたのは11機のみでした。
これらの機体は第29中隊に配備され、江蘇省や広東省の基地に配置されていました。
日中戦争が勃発した1937年8月、これらの機体は統べて地上で破壊されてしまい、何等戦争には役に立ちませんでした。

C.R.32は、イタリアが誇る航空機設計者のCelestino Rosatelliが設計した中で最高の戦闘機です。
こちらは格闘戦が得意な複葉固定脚の機体として、イタリア空軍にも採用され、スペイン内戦でも活躍しました。
1935年、イタリア空軍の教官団が中国を訪問した際に、その教官団が操縦した同機の機動力に中国軍関係者は感銘を受け、9機を購入し、空軍第3大隊第8中隊に配備されます。

これらの機体は南京に配備され、首都防衛の第一線で使われました。
日中戦争勃発時から、日本軍の爆撃機を相手に奮戦し、年末までに全機が失われたそうです。

大型機としては、Savoia Marchetti S.M.72が先ず導入されました。
これはイタリア伝統の3発高翼単葉固定脚機で、この機体は先ず最初に、Benito Mussoliniから蒋介石へのプレゼントとして、輸送機バージョンが1機引き渡され、蒋介石は専用機として用いました。
その後、爆撃機バージョンが6機、1935年にイタリアから引き渡され、南昌飛機製造廠で組み立てられます。
これらの機体は、第8大隊第10中隊に配備され、日中戦争時には後方で貨物や人員輸送に用いられています。

次に、同じくSavoia Marchetti S.M.81Bが発注されました。
この機体は、イタリアでは3発低翼単葉固定脚の輸送爆撃機なのですが、輸出型は機首のエンジンは無くなり、空冷から液冷エンジン双発となっています。
この機体も6機が発注され、南昌飛機製造廠で組み立てられていたのですが、工場が爆撃に遭い、3機しか引き渡されませんでした。
これらは第13中隊に引き渡されたのですが、品質が悪かったのか、1938年2月までに宣昌で訓練期間中に全機が失われています。
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