SSブログ

陸に上がった亀 [飛行機]

画像

今朝起きようとしたら、痺れが半端なくて立つのがやっと。
どうも、気温が急に下がってヘルニアが悪化したようです。
それに、先週から今週に掛けて4日以外は休まずに働いてきたので、疲れも溜っていたのでしょうね。
思い切って…と言うか代休がいっぱい溜っているのでそれを消化するためにも、休み。
何処にも行かず、ゆっくり寝てやっと落ち着きました。

さて、そんなこんなで今日も飛行機話。

昨日はAn-28を取り上げたのですが、ソ連崩壊後、Antonovはウクライナの企業になりました。
ロシアとは常に対立している国になってしまったので、Antonovの機体は有用かも知れませんが、ロシア社会に受容れられるのが難しくなります。

このAn-28についても同じ様に受入が無くなりました。
ポーランドのM-28と同様、本家AntonovもAn-38と言う名称で近代化改修及び西側のアビオニクスやエンジンを取入れた機体を開発します。
これはインド政府からの依頼を受けて胴体延長型を開発したもので、TPE-331を装備した100型と、ロシア製のTDV-20を装備した200型がありますが、全部で11機程度しか生産されていません。

このクラスの機体の勝者となったのはチェコスロヴァキア製のLET L-410でした。
実はもう1機、An-28同様に競争試作されたのが、Beriev設計局のBe-30と言う機体です。

Beriev設計局と言えば飛行艇のイメージが強いのですが、飛行艇と言うのは特殊な機体で需要が少ないため、Beriev設計局は陸上機を開発し、Aeroflotの採用を受けて安定した経営基盤を築こうとした訳です。
こうして、Beriev設計局で初めて開発された陸上機となったのがBe-30でした。

その設計コンセプトは成功作となっていたAn-24をスケールダウンしたもので、非与圧の胴体には飛行艇の構造で培った厚板構造を採用し、多方面に亘って非鉄金属材料を利用していました。
高翼単葉の翼内にはインテグラルタンクを4基収納しています。

こうして1965〜66年に掛けて試作が行われ、1967年3月3日にM.I.Mikhailovの手で初飛行が行われましたが、この機体はエンジンが間に合わず、740馬力のAsh-21ピストンエンジンを搭載しています。
真の試作機となったのがSSSR-23166号機ですが、ターボプロップエンジンはフランス製のAstazou12エンジンで、一旦これで1967年半ばに初飛行し、やっとオリジナルのTVD-10エンジンと3枚プロペラを装備したのが1968年7月14日の事。

この機体の最大の特徴としては、2基のエンジンでそれぞれのプロペラを回すのでは無く、2基のエンジンをシャフトで連結し、2基のプロペラを回す様にしている事です。
つまり、片方のエンジンが止まってもプロペラは2基とも回り続け、安全に着陸出来るという寸法。
これは、フランスのSTOL輸送試作機であったBreguet Br.941と同じ機構です。
操舵機構は人力で、An-28とは少し見劣りします。

キャビンは片方に1列ずつのシートが設置出来、通常で14名、副操縦士席を潰せば15名が搭乗出来、患者輸送用ではベッド9床と5名分の付き添い席が設置出来ます。
因みに個々の乗客に対し、冷気吹き出し口が設けられています。
この他、測量用の装備、沿岸警備及び漁業保護任務、VIP輸送などが考えられていました。

このBe-30、1970年半ばからAeroflotに就航したのですが、その頃にはL-410が多数就航し、また先行していたAn-28の引渡しも始まっており、生産設備も貧弱だった事から8機しか生産されませんでした。
また、これを発展させ、TVD-10Bエンジンに換装したBe-32も開発されましたが、そのまま立ち消えとなります。

普通であればこれで終了となる筈でしたが、Antonovがウクライナの企業となり、チェコスロヴァキアも西側のEU陣営に引込まれていくと、ロシアとしては乏しい外貨をこれ以上国外に流出させたくないと言う意識が強くなり、支線用の旅客機で良いものがないか、と国内を見渡したところ、うち捨てられていたBeriev設計局のBe-30/32系列が目に留まりました。

こうして1993年開発が再開され、格納庫から埃を払って出してきたBe-30のエンジンを、西側標準でKlimovがライセンス生産したPT6Aに換装したBe-32Kが1995年8月に初飛行します。
しかし、1998年に生産が開始されたのも束の間、資金不足により2001年に三度開発は中断となりました。
更に、2002年には胴体を延長し、円形胴体を採用して近代化したBe-132の計画が練られましたが、計画は頓挫し、Sukhoiの傘下に入ったBeriev設計局は、陸上機の開発を断念し、飛行艇専門メーカーとなる道を選びました。
nice!(0)