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二代目は辛いよ [飛行機]

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今日は本来だったら朝9時に入っておかないといけなかったのですが、6時50分に目が覚めて、それから2回目は7時10分には覚めたのですが、そのまま二度寝してしまい、目が覚めたら7時50分!
慌てて飛び起き、家に置いてある会社端末でシステムの起動だけは確認し、朝ご飯を食べて出動。
9時半に駆け込み、何食わぬ顔をして移行翌日の状況報告を行っていたりします。

幾ら寝たとは言え、やっぱりほぼ休み無しで働いていたら、見えない疲れが出るんですかねぇ。
ここ数日は要注意です。

さて、久々に飛行機ブログ再開。

この前からマイナー飛行機を取り上げているのですが、今日もほぼマイナー機。
以前取り上げた農業機の世界で、ソ連の農業機として一番活躍しているのがAntonov設計局が設計した複葉機、An-2である事を書きました。
しかし、1940年代の設計で単発大馬力のエンジンは、農業機としてはそれなりに有用なものの、ローカル線用の民間旅客機としては、いまいち経済性が良くありません。

そこで、Antonov設計局は1955年、Aeroflotから戦後の民間機に相応しい機体を依頼され、An-2及びYak-12の後継機となる機体を開発します。

これがAn-14です。
この機体は、複葉大馬力エンジン単発で、実用一点張りのAn-2から180度変わり、同じ設計チームが製作したものながら、瀟洒な機体になっています。
機体は高翼単葉機で、近代的で太く広いキャビンを持ち、乗員1〜2名と乗客なら6名、貨物なら720kgを収容出来る様になっています。
また、これらの貨物の出し入れがし易いように、後下方に観音開きのドアが設置されていました。
キャビン内は暖房装置や防音装置が備えられ、コンパス、電波高度計、ILSまで備えた航法装置など、至れり尽くせりの装備がてんこ盛りされています。

最も大きく変わったのがエンジンで、An-2が1,000馬力の単発だったのに対し、当時ソ連で最も信頼性のあったAI-14R250馬力エンジン双発になり、これで可変ピッチ3枚プロペラを回します。
馬力は低くなったのですが、燃料消費量は1時間約70リットルと少なく、経済性は向上し、また双発にした事で安全性が向上しました。
因みに、全備重量状態でも片発停止で離陸出来ると言う優れものとなっており、更にSTOL性能は優秀で、アスペクト比の大きな矩形翼とその後縁全域に亘るスロッテッド・フラップにより滑走距離は僅か60〜100m程度と言われています。

初飛行は1958年8月14日にキエフでV.Izgeyimの手に依り実施され、広報も力が入って、初飛行後直ぐに公開されると言う異例の展開を辿っています。
ところが、その後8年の間、この飛行機の音沙汰は無くなりました。
と言うのも、Aeroflotの手でテストをしていると、彼方此方不具合が出て、最終的に引渡しを拒否された為です。
特に主翼関係の問題は非常に重大でした。

結局、主翼は矩形翼からテーパー翼へと刷新され、Ivchyenko AI-14Rエンジンは300馬力に増大したAI-14RFエンジンに換装され、プロペラは定速プロペラに変更されました。
水平尾翼には上反角がつき、垂直尾翼の形状も五角形から長方形へと変更されています。

翼関係の駆動やブレーキ、エンジン起動には空気圧が利用され、エンジンの暖気は客室の暖房や防氷装置にも用いられました。
なお、後期型では暖房は電気暖房も併用されるようになっています。
元々オプションだった後下方のドアは標準化されています。
前輪は油圧で左右70度に動き、敏捷性を増しました。
ついでに、機首はストンとストレートに切り落とされていましたが、装備品を収納するスペースとしてドーム状に面積が増えています。

こうしてやっと生産に目途が付き、生産はVladivostok近郊のArsenyevに設置されたProgress Worksで開始されました。
ただ、生産までに8年が掛かった時点で、既にピストンエンジンは時代遅れとなっており、大々的に生産が行われずに200機程度の生産で終わってしまいました。

これの後継機として開発されたのが、An-28です。
と言う事で、明日は時間が有ればAn-28の話に移る。
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