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流浪の機体 [飛行機]

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今日は会議日。
明日は何も無かったので休もうかと思いましたが、何時の間にか会議を入れられてしまいました。
来週何処かで休んでやろうか。

さて、昨日はAn-14の話でしたが、今日はその発展型のAn-28について。

折角An-14を作ったものの、Aeroflotに拒否され、その改良に時間を要してしまい、1960年代になると既にピストンエンジンでは時代遅れの機体になってしまいました。
この為、AntonovはAn-14のターボプロップ化を検討する事になり、1967年にAn-14Mと言う機体を設計します。
この機体は、フランス製のAstazouエンジンを搭載した双発機で11名の乗客を運ぶ事が出来るというもの。
実際には西側のエンジンを搭載する事は無く、810shpのIsotov TVD-850エンジンを搭載する事になりました。

1969年9月、KievでV.Terskyの手に依って初飛行した機体は、An-28と名称が変わり、当初は引込脚でしたが、1973年に尾部に改良が加えられた際に、固定脚となりました。
1975年、更にエンジンは発展型のTVD-10に換装されました。
ただ、この機体も成熟度が低く、Aeroflotの要求に中々応えられませんでした。
しかし、同じソ連製のBeriev Be-30よりは量産に向いていましたし、Be-30よりは早く飛行したので、Be-30よりは多く発注を得る事が出来ました。

とは言え、この分野の機体としては更に性能の良いチェコスロヴァキア製のLET L-410が先行しており、COMECON内の共通使用機として量産が図られていました。
更にL-410の方が輸出市場でも大きなシェアを誇っていて、An-28が付け入る隙が中々ありませんでした。

最終的な仕様では、An-28はAn-14に比べ5.26m客室が延長され、幅は1.66m、高さは1.7mそれぞれ大きくなりました。
この為、通常時には5列シートが取り付けられており10名が搭乗出来ますが、更に狭小シートで横2列にすれば20席を設ける事も出来ます。
これに加えて副操縦士席を潰せば更に1名余計に乗せられます。

主翼は高アスペクト比のものとなり、全幅に渡ってダブルスロテッドフラップが付いています。
Antonovの機体では初めて安全装置がきちんと取り付けられ、エンジンが停止しても、操縦士によって安全に着陸出来る機構が設けられました。
この他、航法装置や北国の機体らしく防氷装置、暖房装置も完備されています。

客室は非与圧で後部に貨物ドアがついています。
試作機では、このドアは左右に開くクラムシェル型のドアでしたが、生産型では上下に動く電動式のスイングドアに変更されました。

客室のレイアウトは多彩で、旅客機としては10〜20名、要人輸送用には6〜7名の座席と4基の折りたたみ式テーブル、軍用機としては6名の落下傘兵が輸送出来る装備、救急用としては6床のベッドと5名の付添席、また測量用の装備、農業用には800kgの搭載タンクから配管を中央部または翼下のスプレー装置に廻し、そこから農薬や肥料、種子を播く様な装備が出来る様になっています。

折角Antonov設計局が作り上げた渾身の作品でしたが、An-14同様、余りにも試作期間が長すぎ、本国での生産は少数で終わってしまい、1978年2月からはポーランドのPZL-Mielecに移されました。
国内の混乱もあって、1980年までに生産が開始され、1982年からやっと軌道に乗り、1983年以降は年産200機を予定していましたが、Aeroflot向けに163機が生産されるに留まり、国内向けに50機程度の生産がやっとでした。

とは言え、性能自体は優秀だった事から、An-28はポーランドの手で更に改造され、M-28と名称を変えて復活します。
エンジンは西側スタンダードのPT6A-65Bに換装すると共に、プロペラもハーツェルの5枚羽根になり、アビオニクスも西側スタンダードのものになりました。
ただ、民間機としては売れず、ポーランドの海上警備隊に哨戒型が、コロンビアなどの軍用機として40〜50機程度が売れています。
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