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食育 [日記]

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今日も出勤。
疲労が蓄積して段々と辛くなってくるのですが、今の処何とか気力を振り絞って会社に出掛けています。
ただ、途中で後続電車待ちとか非常停止ボタンが扱われたとか聞くと一気に疲れが倍増するのですが。
ホームドアへの突撃は好い加減にして欲しいところです。
ラッシュ時は5分間隔でやって来る都会の電車なのですから。

さて、ここ最近痛ましい事件が続いています。
給食のうずらの卵をのどに詰まらせて子供が亡くなったというニュースが先日ありました。
それに対して、教育委員会が執った措置は、うずら卵を給食から外すと言うもの。

思ったのは、こうやって次から次へと食べ物の種類を狭めていくと、遂には給食は脱脂粉乳くらいしか残らないのでは無いかなんて思ったりする。
そもそも、よく噛んで食べると言うのは親の躾だと思うのですけどねぇ。

子供の頃、私なんか箸の使い方こそ矯正されませんでしたが、御飯に味噌汁を掛けると「犬飯」だから止めなさい、とか、お茶碗を持たずに食べてたら「犬食い」、立て膝で食べていたら、「○○人みたいだから止めなさい」とか言われて怒られました。
また、肘をついて食べるとかも御法度でしたし、くちゃくちゃ咀嚼音を出しながら食べるのも「行儀が悪い」と言って怒られました。
今でも、御飯はよく噛んで食べろとか、人が食べているのに勝手に立つなとか文句を言われます(笑。

最近の親は忙しいのか、そう言ったことを口酸っぱく子供に言わなくなったのでしょうかね。
正直、食べるお作法と言うのは、生きるために最低限必要な事だと思うのですが。
世の中タイパタイパと叫ばれて久しいのですが、食べる事に時間を掛けられないと言うのは、人生の楽しみを棄てているような気がしてなりません。

せめて、御飯くらいはゆっくりと、自分のペースで食べさせろと思います。
流石にイタリアのように昼ご飯を2時間も3時間も掛けて食べるのは考えものですが、10分で完食しろとかって、正直子供に対する教育機関による虐待じゃ無いですかねぇ。
何のための食休なのかと。

どうも、最近の教育機関の殆どは、ベルトコンベアの上に子供を乗せて、規格通りの子供になるように操作し、ところてん式に卒業させるのが目的になっている様な気がしてなりません。
こんな事が果たして、国家にとって良いことなのでしょうか。

確かに、人の言うことはよく聞く人間にはなりますし、国家や会社を批判することが無い、為政者や経営者にとって都合の良い人間にはなるでしょう。
そして、間違った方向に導かれても、そのまま何の疑問も抱かずに死んでいくのでは無いでしょうか。
先日報じられたゴルフカートに乗って突撃するロシア兵のように。

毎度書いているのですが、「先生」というのは「先に生きている」だけの存在なのであって、本来は生徒の上に立つものでは無く、生徒の目線に立って共に学び考える存在であるべきなのでは無いかなぁと思います。

毎回毎回、金枝玉条みたいな事勿れ主義が罷り通るから、日本の競争力がどんどん低下するのでは無いですかねぇ。
それは食育のような蟻の一穴から綻んでいくのでは無いか、そんな気がしています。
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