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天皇陛下の味方です [読書]

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今日は無茶苦茶体調が悪くて休み。
体温はそんなに上がっている訳では無いのですが、身体の倦怠感が凄くて動く気力もありませんでした。
季節の変わり目だからか、或いは先週無理しすぎたからか分かりませんが、2週間に1回休んでいるので、まだ本調子では無いのでしょうかね。
昨日、一昨日は導入剤無しで寝ていたので、その影響でダメージが来ていたのかも知れない。

さて、そんなこんなで通勤の行き帰りに読んでいた本をやっと読み上げたので紹介。
『天皇陛下の味方です 国体としての天皇リベラリズム』(鈴木邦男著/バジリコ刊)。
帯のキャッチコピーに、「人は右翼というけれど、中国人や朝鮮人をやっつけろというのが右翼なら、日本人が一番エラいというのが右翼なら、核武装せよというのが右翼なら、そして「愛国」を強制するのが右翼なら、私、右翼ではありません。」
と書かれていて、何じゃこりゃと手に取ったのが切っ掛け。

著者は言わずと知れたバリバリの民族派である一水会を主宰していた人です。
本来だったら、全くの右翼なのですが、今ではこの人ですらネトウヨとかその辺の人達から見たら、左翼になってしまっているのが恐ろしい。

本書は自らの体験を書きながら、天皇制とは何かと言うのを考察している本でもあります。
そう言う意味では、内田樹の『街場の天皇論』と良い勝負なのかも知れない。

著者は民族派ですが、民族派と言うのは、一般の街宣右翼とかネトウヨとは異なります。
街宣右翼やネトウヨが、戦前と同じ様にアジアに君臨する日本を指向しているのに対し、民族派は寧ろ米国からの独立を訴えている点が大きな違いかな、と。
前者は、米国従属については全く問題視していないか、或いは米国の虎の威を借る事には全く肯定的なのに対し、後者はそれこそが日本の独立を妨げている問題だとしています。

かと言って、戦前の日本への回帰を志向している訳では無く、アジアに対しては反省すべきは反省し、全体としてバランスを取りながらの真に独立した日本を指向すると言う考えだと思いました。

憲法改正についても、最近の前政権や自民党が指向している権威主義的な憲法改正に反対して、あくまでも国民主権を前提に、改正するのであれば、9条の一部を変更するだけで十分であるとしています。
そう言う意味では、民族派は今や護憲派に極めて近い存在です。

愛国心だとか愛国者だと喚いている人々は自国中心にしか考えていません。
なので、他者に対する思いやりは全く無いと喝破しています。
本来はこうした柔軟性に富んだ考え方こそ尊重されるべきだと思いますが、今の世の中は本当に0か100かの二者択一になっているので、こうした考え方は直ぐに批判されてしまいます。

また巷の右翼を、主義主張が無く、お金で直ぐに転ぶ連中とこっぴどく批判しています。
日本の右翼運動史にも触れていて、最初は純粋に国を憂うような事をしていたのが、何時しか権力と密接に絡み合って、傾城の勢力になっていたのでは無いかと書いています。

そして、本題の天皇論。
近代の明治、大正、昭和の各天皇を取り上げ、天皇像がどの様に造られていったか、そしてどの様に歪められていったのかを詳細に考察して書いています。
明治憲法下でも立憲君主制と言う考え方を是としていて、大正天皇はそれを体現された存在、昭和天皇もそれを継承しようとしたのですが、相次ぐ戦勝で夜郎自大になってしまった軍部や官僚、そしてマスコミに煽動された国民によって、戦争へと流れていき、やがて1945年の破局を迎えます。

その後、占領軍によって統治される際に、再び立憲君主制を復活させ、それを強化していきました。
此の時に、昭和天皇は御簾の後に隠れる天皇では無く、国民と共に歩む天皇へと天皇像を軌道修正していった訳です。

先帝もそうした方向を継承され、日本国憲法に基づいて益々国民との距離を近くされたのですが、最近では前政権が再び御簾の後に押し込めようとしたのでは無いか。
前政権は明治回帰が露わになっているのですが、先帝は天皇制についての考え方を、明治のような近代では無く、それより遙か以前、それこそ飛鳥や奈良時代まで遡って学び、検討して、今の天皇像を作り上げられたのでは無いか。

その結果が象徴天皇であり、国民に寄り添う君主であり、そして、国民の為に祈る祭主としての位置づけでは無かろうか、と、だから前政権とは全く相容れぬ状態であり、意のままに操ろうとする前政権との対立を招いたのでは無いか。

何故なら退位問題、或いは皇位継承問題で露わになっているように、前政権は「保守」とは名ばかりで、それの本質は反天皇主義者だと言う事を著者は弾劾している訳です。
この考え方は、奇しくも『街場の天皇論』の著者の考えと非常に似通っているのですよね。

懐を大きく持っている人の考え方はこうも似るのでしょうか。
因みに鈴木邦男と言う人は、今やネトウヨ界隈ではかなり嫌われている人みたいです。
在日認定だとか金儲けだとか左翼のスパイだとか言われているらしい。

若い頃はそれでも一端の右翼だったそうで、例えば井上ひさしさんの家に嫌がらせ電話をしたのですが、電話を掛ける人がみんなスゴスゴと退散したそうな。
で、この人が「復讐戦だ」と電話を掛けたら本人が出て、「歴代の天皇さんの名前を言えますし、教育勅語も暗誦できます。右翼の人は当然言えますよね。今言ってみますから、間違っていたら直して下さい。」と言って、天皇の名前をスラスラと言い出したそうです。
戦後教育世代の著者はぐうの音も出ず、結局電話を切ったとか。

それなら、奥さん子供を脅しつけようと、再度電話を掛け、奥さんが出たまでは良かったのですが、奥さんも奥さんで、相手を質問攻めにして辟易させ、電話を切らせる名人だったと。
そして、何年か後に本人と会った際、「実はあの時の犯人は僕です」と言って謝ったら、笑って許してくれたとか。
それ以来、井上ひさしさんには頭が上がらなかったらしい。

右でも左でも、人に惚れっぽいところが頭の固い右翼とは異なるのでしょうかね。
なので、柔軟性に富んだ考え方が出来るのかな、と読んで思った次第です。

天皇陛下の味方です[単行本]

天皇陛下の味方です[単行本]

  • 作者: 鈴木邦男
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2017/08/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



街場の天皇論

街場の天皇論

  • 作者: 樹, 内田
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2017/10/06
  • メディア: 単行本



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