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やれやれ [日記]

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昨日、あれだけ苦労したのに、またドライバアップデートでタッチパネルのドライバを更新してしまい、またもタッチが効かなくなった。
元に戻して事無きを得たものの、何をやっているのやら。

また、昨日まで治っていたお腹の緩いのが、また復活。
と言う事で、再び絶食状態にならないといけない。
いや、一体何をやっているのかねぇ。
と言うか、自分の身体の中で何が起きているのか知りたい気分。

出来れば、明日は早めに上がって医者に行くというのも手なのだが、明後日の会議の資料が出来ていないので動きようがない。

今日は早めに寝て、明日様子を見よう。

てな訳で、今日はここまで。
流石に写真を整理する気力も起きませんです、はい。
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成田詣で−これは祟りか(その2) [飛行機]

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今日は久々にタブレットを開く。
数日間、利用していなかったのでパッチやらソフトやらのインストール。
で、ドライバを更新したのは良いのですが、タッチパネルのドライバを更新したのが運の尽き。
タッチしても反応しなくなりました。
と言う事で、現在、復元中ですが一体何時終わるのやら。

さて、この前の成田詣での釣果貼り貼り。
逆光気味なのもあって、ちょっと不調です。

Cathay Pacific AirwaysのB.777-300。
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こちらサイド離陸は初撮り。

中国東方航空のA.321-200。
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離陸は3年ぶりの撮影。

Garuda Indonesia AirwaysのB.777-300ER。
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こちらサイド離陸は初撮り。

Sri Lankan AirのA.330-300。
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こちらサイド離陸は2年ぶりの撮影。

AmericanのB.777-200ER。
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来年からはB.777-300ERが登場なのですが、200の代替では無く、B.787-9の代替だそうで。
こちらサイド離陸は初撮り。

KLM-Royal Dutch AirlinesのB.777-200ER。
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冬ダイヤからB.777-200ERに機材変更。
離陸は初撮り。

LOTのB.787-8。
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日曜のみB.787-9、それ以外は8で運航。
これも離陸は初撮り。

Jeju AirのB.737-800。
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スペインの航空会社からトルコの航空会社に流れ、更にJejuに流れてきたもので5月受領の機体。
そして、初撮り。

香港航空のA.320-200。
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こちらサイド転がりは初撮り。

Thai Airways InternationalのA.330-300。
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夏ダイヤはA.350が投入されていましたが、顔見せが終了したからか、朝便、昼便とも元のA.330に戻されました。
前のB.787と同じパターン。

中国国際貨運航空のB.747-400F。
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元シンガポール航空機。
離陸は初撮り。

Air IndiaのB.787-8。
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去年7月受領の機体で初撮り。

中国のビジネスジェット運航会社に属するG.550。
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初撮り。

Air BusanのA.321-200。
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こちらサイド離陸は初撮り。

大韓航空のB.747-8I。
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初撮りの機体。

FedExのB.777F。
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こちらサイド転がりは初撮り。

欧州のビジネスジェット運航会社に属するG.550。
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レジがサンマリノ共和国というレアな機体で初撮り。

Iberia Airlines of SpainのA.330-200MTOW。
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初撮りの機体。

英国航空のB.787-9。
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こちらサイド離陸は初撮り。

Eva AirのA.321-200。
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離陸は初撮り。

華信航空のERJ-190。
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これも離陸は初撮り。

流石にここまで逆光が厳しいと、ここでは撮影しづらくなって河岸を変えました。
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ニワカ、歴史を目撃す [音楽]

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ここ最近、バッチが早く終わるので寝る時間もそれにつれて早くなっています。
今日は0時半に寝て、途中2回ほど目が覚めましたが、それを除くと9時間半みっちり寝ていました。
やっと疲れが取れたような気がする。

で、そんなこんなで、今日は大宮でエビ中のコンサート。
短めの秋ツアーですが、先月、システム移行の御陰で秋田に行けなかったので、そのリベンジであると言うのと、地元開催と言う事でチケットを取ったら、週末の座間は落選しましたが、地元の大宮は当選しました。
因みに今日は虫の目で、スタンドから程良い距離感で見る事が出来ました。

物販は生写真のみで、Blu-rayの予約をして、特典の宝くじを引いたのですが、毎度の事ながら引きが弱く、生写真もサインをゲット出来ず、宝くじも私の後の人が続々当選すると言うね…。
ま、こんなところで運を使い果たす訳にはいかん。

後、ファンクラブの更新を行って、いざ座席へ。
先ほども書いた様に1階席の前の方だったのですが、目の前では無く、程良い距離感で見る事が出来ました。

今回のツアーのテーマは「義務教育からの卒業」。
エビ中も今年で9年目であり、来年はももクロ同様に10周年を迎えます。
運営も、徐々に彼女達にプロデュースの一端を担わせようとしているのかも知れません。
事実、今回のコンサートでは、「日直」なるものが出来て、それぞれの公演にメンバーが1人選ばれ、日直が、セトリの一部を差配したり、演出を手がけたりしています。

今迄は、ぽーちゃん、ひなた、彩ちゃんの3名が行って、今日の公演。
ぽーちゃんが残っていれば、埼玉はぽーちゃん一択でしたが、先にやってしまったのでその目は余りありません。
と言う事で、千秋楽は真山に取っておいて、今日は美玲ちゃんかな、と思ったのですが、まさかの真山さん。

そこで、今日のお題はエビ中の歴史的なものとなったらしく、セトリの前半はエビ中の初期の曲とか、初期メンバーが歌っていた曲が中心。
そう言う意味では、今となっては十分に干され曲となっている作品が多数出て来て、懐かしさを覚えましたし、当時の不安定な歌唱力を見ていた者にとっては、今の圧倒的な歌唱力で歌われる同じ曲との違いに改めて感銘を受けました。

このセトリは、殆どプロデューサーの近藤キネオさんが作っているのですが、途中虫食い状態になっている部分があって、ここにその日の日直が自分で合うと思った曲を入れ込むと言う趣向が凝らされています。
勿論、この虫食いの部分にも元々キネオさんが考えていた楽曲があるのですが、そこは明らかにせず、その日の日直に任せてそのギャップを楽しむと言う裏趣向もありました。

流石に最古参の真山さん。
ほぼキネオさんの思惑を読んでいましたが、反骨精神旺盛な彼女は、そのキネオさんの思惑に対して敢えて逆張りをすると言う事をやってのけます。
とは言え、それをしたからと言って全くセトリが成り立たない、テーマが成立しないと言う訳ではありません。
そのテーマを立てつつ、「私ならこうする」と言う彼女の主張が見事に織り込まれていました。
これも、エビ中の楽曲の振り幅が広いからと言うのがあるからだと思ったり。

例えば、セトリの最初の方に出て来た「I'm Your Manager」。
実はこれが虫食い曲で、キネオさんは「Go!Go!Here We Go!ロック・リー」を予定していました。
セトリ的には勢いを付ける意味でこの曲を入れる意味がありますが、真山さんはこの曲が余りに定番過ぎて面白みに欠けると判断したようです。
その代わりに真山さんがこの曲を入れたのは、世代を継ぐと言う意味を持たせるため。
この曲の中には語りの部分があるのですが、何時ものひなたと真山さんの掛け合いでは無く、この部分はかほりこに変えています。
これは、現役学生世代の彼女達にこの部分をパフォーマンスさせる事で、次の世代にもこの曲を継いでいくという意味を持たせました。

こんな感じで、セトリの中に入れた曲に微妙な演出を加えて更に幅を持たせる事に成功しています。
それは「EBINOMICS」でも示されました。
元々、「EBINOMICS」はぽーちゃんの口パクで始まっているのですが、これをひなたちゃんの生歌に置き換えたのです。
ぽーちゃんの口パクはそれはそれで面白いのですが、ひなたちゃんはこの部分を軽々と歌い熟してしまいました。
以前、ラスベガスで本場のパフォーマンスを目の当たりにしたり、路上ライブをしたりと様々な経験を積んでいた訳で、それが良い形で出ているなぁと。

彼女ばかりでは無く、彩花ちゃんのフェイクも大分堂に入ってきましたし、歌のパフォーマンスはどれだけ伸びるのか判らない、空恐ろしい子達です。

初期の曲もどんどん進化していて、何時までも最初のパフォーマンスに拘泥している訳ではありません。
ライブが曲を育てると言う話も聞きますが、正に彼女達のパフォーマンスはその言葉通りだと思ったりします。
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成田詣で−これは祟りか [飛行機]

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10月後半から体調を崩し、週末は雨になったり、土日徹夜しないといけなかったりと、色々ありまして、11月は全く成田に行けず。
で、そんな時に限って、Qatar Airways CargoのB.777Fが飛来したり、Singapore Airlines CargoのB.747-400Fが飛来したり、来月だか再来月だかにシップチェンジするAeroflotがB.777-300ERを飛ばしたり…などなど撮影したいのが目白押しでした。

今日、やっと復調して、朝から晴れているし、北風運用だけど行ってみようかと重い腰を上げ、行ってきました。
一番の目的は、今迄撮影した事のないウクライナのAntonov Design BureauのAn-124-100がここ最近やって来ているので、成田発の便を捉えようと思った訳ですが、ここ最近、Antonovについてのネガティブな話を書いていたからか、ウンともスンとも動きません。
しかも、駐機している場所たるや、ANAの首無し(エンジン交換中)機の間と言う撮影しにくい場所にあり、撮影したものの全然悔恨の残る状態でした。

Antonov Design BureauのAn-124-100
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もう少しANAのB.787-8が横に寄っていれば鮮明に写せたのに。
何時かリベンジをしないといけませんね。

と言う事で、今日の釣果その1。
…この前、Paint Shop Proの更新があったのを忘れて編集していたら、ロスレスエンコーディングの設定が消えていると言うね。

Jetstar JapanのA.320-200。
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23号機ですが、Jetstar Japanとしては最新鋭機ですが、スペインのVuelingからの中古機。
今年10月受領なので、初撮り。

Cathay Pacific AirwaysのB.747-8F。
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初撮り。

Swiss International AirlinesのA.340-300。
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2年ぶりの撮影。

Atlas AirのB.747-400F(SCD)。
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こちらサイド離陸は初撮り。

香港航空のA.330-300。
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こちらサイド転がりは2年ぶりの撮影。

Asiana AirlinesのA.321-200。
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2年ぶりの撮影。

Western Global CargoのB.747-400(BCF)。
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元日航機。

UnbitedのB.777-200。
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冬ダイヤからグアム便はシップチェンジして大型化。

Philippine AirlinesのA.330-300。
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意外にも初撮り。

ANAのA.320-200neo。
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今年9月受領の新鋭機で初撮り。

何か色々疲れたのでここまで。
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満身創痍 [日記]

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昨日、お腹が緩かったのですが、今朝はそうでも無くなりました。
念の為、今朝はパン1個、昼間もパン1個と言うダイエットメニュー。

そして、朝から予算審議書と格闘。
新しいシステムになったのは良いのですが、費目が設定されておらず、予算管理部署と長々とやりとり。
2日以上掛けてやっと審議書の承認に至ったのですが、トップの承認を得なければならず、来週に持越です。
…と言うか先月重役会で承認を得た案件だっちゅーに。

それにしても昨晩は、途中何度も目が覚めました。
1時間ごとに目が覚め、トイレに行っては直ぐに寝ると言う繰返し。
それに、一昨日同様に足が痺れる状態だし。
遂には、睡眠導入剤の厄介になりました。
余り呑みたくは無いのですが、眠れないのなら致し方ない。
ブラセボ効果か、コテンと寝て、目が覚めると朝。

足の痺れが少し残っているので、今日は早引けしてほぼ2週間ぶりのリハビリへ。
腰と首を引っ張って貰って大分マシになりました。

そして今日の夜御飯は御飯と鯖の味噌煮で軽く。
この調子でお腹の緩いのが治って欲しいです。

明日は天気が保ちそうなので、久々に成田にでも行ってこようかと思っています。
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一進一退 [日記]

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今日は会社へ。
しかし、途中から腹具合が悪くなり、トイレに幾度も駆け込む羽目に。
昨日までまともだったのに、再び黴菌かバクテリアかそんなものが腸に落っこちたようで、またも難行苦行が始まる事になりました。
御陰でトイレが近くて大変です。

今日も晩ご飯は饂飩。
明日からまた朝と昼はパン1個とかになりそうです。

それにしても、折角良い調子で戻ってきたのに、再び腸に来るとはどうしたことか。
薬を飲もうかどうしようか、ちょっと迷います。
ここで飲んでしまうと、確かに治まりはしますが、恐らくまた脱水状態になりそうだし。
明日くらいまで様子を見て、今日は早く寝る事にします。
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陸に上がった亀 [飛行機]

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今朝起きようとしたら、痺れが半端なくて立つのがやっと。
どうも、気温が急に下がってヘルニアが悪化したようです。
それに、先週から今週に掛けて4日以外は休まずに働いてきたので、疲れも溜っていたのでしょうね。
思い切って…と言うか代休がいっぱい溜っているのでそれを消化するためにも、休み。
何処にも行かず、ゆっくり寝てやっと落ち着きました。

さて、そんなこんなで今日も飛行機話。

昨日はAn-28を取り上げたのですが、ソ連崩壊後、Antonovはウクライナの企業になりました。
ロシアとは常に対立している国になってしまったので、Antonovの機体は有用かも知れませんが、ロシア社会に受容れられるのが難しくなります。

このAn-28についても同じ様に受入が無くなりました。
ポーランドのM-28と同様、本家AntonovもAn-38と言う名称で近代化改修及び西側のアビオニクスやエンジンを取入れた機体を開発します。
これはインド政府からの依頼を受けて胴体延長型を開発したもので、TPE-331を装備した100型と、ロシア製のTDV-20を装備した200型がありますが、全部で11機程度しか生産されていません。

このクラスの機体の勝者となったのはチェコスロヴァキア製のLET L-410でした。
実はもう1機、An-28同様に競争試作されたのが、Beriev設計局のBe-30と言う機体です。

Beriev設計局と言えば飛行艇のイメージが強いのですが、飛行艇と言うのは特殊な機体で需要が少ないため、Beriev設計局は陸上機を開発し、Aeroflotの採用を受けて安定した経営基盤を築こうとした訳です。
こうして、Beriev設計局で初めて開発された陸上機となったのがBe-30でした。

その設計コンセプトは成功作となっていたAn-24をスケールダウンしたもので、非与圧の胴体には飛行艇の構造で培った厚板構造を採用し、多方面に亘って非鉄金属材料を利用していました。
高翼単葉の翼内にはインテグラルタンクを4基収納しています。

こうして1965〜66年に掛けて試作が行われ、1967年3月3日にM.I.Mikhailovの手で初飛行が行われましたが、この機体はエンジンが間に合わず、740馬力のAsh-21ピストンエンジンを搭載しています。
真の試作機となったのがSSSR-23166号機ですが、ターボプロップエンジンはフランス製のAstazou12エンジンで、一旦これで1967年半ばに初飛行し、やっとオリジナルのTVD-10エンジンと3枚プロペラを装備したのが1968年7月14日の事。

この機体の最大の特徴としては、2基のエンジンでそれぞれのプロペラを回すのでは無く、2基のエンジンをシャフトで連結し、2基のプロペラを回す様にしている事です。
つまり、片方のエンジンが止まってもプロペラは2基とも回り続け、安全に着陸出来るという寸法。
これは、フランスのSTOL輸送試作機であったBreguet Br.941と同じ機構です。
操舵機構は人力で、An-28とは少し見劣りします。

キャビンは片方に1列ずつのシートが設置出来、通常で14名、副操縦士席を潰せば15名が搭乗出来、患者輸送用ではベッド9床と5名分の付き添い席が設置出来ます。
因みに個々の乗客に対し、冷気吹き出し口が設けられています。
この他、測量用の装備、沿岸警備及び漁業保護任務、VIP輸送などが考えられていました。

このBe-30、1970年半ばからAeroflotに就航したのですが、その頃にはL-410が多数就航し、また先行していたAn-28の引渡しも始まっており、生産設備も貧弱だった事から8機しか生産されませんでした。
また、これを発展させ、TVD-10Bエンジンに換装したBe-32も開発されましたが、そのまま立ち消えとなります。

普通であればこれで終了となる筈でしたが、Antonovがウクライナの企業となり、チェコスロヴァキアも西側のEU陣営に引込まれていくと、ロシアとしては乏しい外貨をこれ以上国外に流出させたくないと言う意識が強くなり、支線用の旅客機で良いものがないか、と国内を見渡したところ、うち捨てられていたBeriev設計局のBe-30/32系列が目に留まりました。

こうして1993年開発が再開され、格納庫から埃を払って出してきたBe-30のエンジンを、西側標準でKlimovがライセンス生産したPT6Aに換装したBe-32Kが1995年8月に初飛行します。
しかし、1998年に生産が開始されたのも束の間、資金不足により2001年に三度開発は中断となりました。
更に、2002年には胴体を延長し、円形胴体を採用して近代化したBe-132の計画が練られましたが、計画は頓挫し、Sukhoiの傘下に入ったBeriev設計局は、陸上機の開発を断念し、飛行艇専門メーカーとなる道を選びました。
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流浪の機体 [飛行機]

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今日は会議日。
明日は何も無かったので休もうかと思いましたが、何時の間にか会議を入れられてしまいました。
来週何処かで休んでやろうか。

さて、昨日はAn-14の話でしたが、今日はその発展型のAn-28について。

折角An-14を作ったものの、Aeroflotに拒否され、その改良に時間を要してしまい、1960年代になると既にピストンエンジンでは時代遅れの機体になってしまいました。
この為、AntonovはAn-14のターボプロップ化を検討する事になり、1967年にAn-14Mと言う機体を設計します。
この機体は、フランス製のAstazouエンジンを搭載した双発機で11名の乗客を運ぶ事が出来るというもの。
実際には西側のエンジンを搭載する事は無く、810shpのIsotov TVD-850エンジンを搭載する事になりました。

1969年9月、KievでV.Terskyの手に依って初飛行した機体は、An-28と名称が変わり、当初は引込脚でしたが、1973年に尾部に改良が加えられた際に、固定脚となりました。
1975年、更にエンジンは発展型のTVD-10に換装されました。
ただ、この機体も成熟度が低く、Aeroflotの要求に中々応えられませんでした。
しかし、同じソ連製のBeriev Be-30よりは量産に向いていましたし、Be-30よりは早く飛行したので、Be-30よりは多く発注を得る事が出来ました。

とは言え、この分野の機体としては更に性能の良いチェコスロヴァキア製のLET L-410が先行しており、COMECON内の共通使用機として量産が図られていました。
更にL-410の方が輸出市場でも大きなシェアを誇っていて、An-28が付け入る隙が中々ありませんでした。

最終的な仕様では、An-28はAn-14に比べ5.26m客室が延長され、幅は1.66m、高さは1.7mそれぞれ大きくなりました。
この為、通常時には5列シートが取り付けられており10名が搭乗出来ますが、更に狭小シートで横2列にすれば20席を設ける事も出来ます。
これに加えて副操縦士席を潰せば更に1名余計に乗せられます。

主翼は高アスペクト比のものとなり、全幅に渡ってダブルスロテッドフラップが付いています。
Antonovの機体では初めて安全装置がきちんと取り付けられ、エンジンが停止しても、操縦士によって安全に着陸出来る機構が設けられました。
この他、航法装置や北国の機体らしく防氷装置、暖房装置も完備されています。

客室は非与圧で後部に貨物ドアがついています。
試作機では、このドアは左右に開くクラムシェル型のドアでしたが、生産型では上下に動く電動式のスイングドアに変更されました。

客室のレイアウトは多彩で、旅客機としては10〜20名、要人輸送用には6〜7名の座席と4基の折りたたみ式テーブル、軍用機としては6名の落下傘兵が輸送出来る装備、救急用としては6床のベッドと5名の付添席、また測量用の装備、農業用には800kgの搭載タンクから配管を中央部または翼下のスプレー装置に廻し、そこから農薬や肥料、種子を播く様な装備が出来る様になっています。

折角Antonov設計局が作り上げた渾身の作品でしたが、An-14同様、余りにも試作期間が長すぎ、本国での生産は少数で終わってしまい、1978年2月からはポーランドのPZL-Mielecに移されました。
国内の混乱もあって、1980年までに生産が開始され、1982年からやっと軌道に乗り、1983年以降は年産200機を予定していましたが、Aeroflot向けに163機が生産されるに留まり、国内向けに50機程度の生産がやっとでした。

とは言え、性能自体は優秀だった事から、An-28はポーランドの手で更に改造され、M-28と名称を変えて復活します。
エンジンは西側スタンダードのPT6A-65Bに換装すると共に、プロペラもハーツェルの5枚羽根になり、アビオニクスも西側スタンダードのものになりました。
ただ、民間機としては売れず、ポーランドの海上警備隊に哨戒型が、コロンビアなどの軍用機として40〜50機程度が売れています。
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二代目は辛いよ [飛行機]

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今日は本来だったら朝9時に入っておかないといけなかったのですが、6時50分に目が覚めて、それから2回目は7時10分には覚めたのですが、そのまま二度寝してしまい、目が覚めたら7時50分!
慌てて飛び起き、家に置いてある会社端末でシステムの起動だけは確認し、朝ご飯を食べて出動。
9時半に駆け込み、何食わぬ顔をして移行翌日の状況報告を行っていたりします。

幾ら寝たとは言え、やっぱりほぼ休み無しで働いていたら、見えない疲れが出るんですかねぇ。
ここ数日は要注意です。

さて、久々に飛行機ブログ再開。

この前からマイナー飛行機を取り上げているのですが、今日もほぼマイナー機。
以前取り上げた農業機の世界で、ソ連の農業機として一番活躍しているのがAntonov設計局が設計した複葉機、An-2である事を書きました。
しかし、1940年代の設計で単発大馬力のエンジンは、農業機としてはそれなりに有用なものの、ローカル線用の民間旅客機としては、いまいち経済性が良くありません。

そこで、Antonov設計局は1955年、Aeroflotから戦後の民間機に相応しい機体を依頼され、An-2及びYak-12の後継機となる機体を開発します。

これがAn-14です。
この機体は、複葉大馬力エンジン単発で、実用一点張りのAn-2から180度変わり、同じ設計チームが製作したものながら、瀟洒な機体になっています。
機体は高翼単葉機で、近代的で太く広いキャビンを持ち、乗員1〜2名と乗客なら6名、貨物なら720kgを収容出来る様になっています。
また、これらの貨物の出し入れがし易いように、後下方に観音開きのドアが設置されていました。
キャビン内は暖房装置や防音装置が備えられ、コンパス、電波高度計、ILSまで備えた航法装置など、至れり尽くせりの装備がてんこ盛りされています。

最も大きく変わったのがエンジンで、An-2が1,000馬力の単発だったのに対し、当時ソ連で最も信頼性のあったAI-14R250馬力エンジン双発になり、これで可変ピッチ3枚プロペラを回します。
馬力は低くなったのですが、燃料消費量は1時間約70リットルと少なく、経済性は向上し、また双発にした事で安全性が向上しました。
因みに、全備重量状態でも片発停止で離陸出来ると言う優れものとなっており、更にSTOL性能は優秀で、アスペクト比の大きな矩形翼とその後縁全域に亘るスロッテッド・フラップにより滑走距離は僅か60〜100m程度と言われています。

初飛行は1958年8月14日にキエフでV.Izgeyimの手に依り実施され、広報も力が入って、初飛行後直ぐに公開されると言う異例の展開を辿っています。
ところが、その後8年の間、この飛行機の音沙汰は無くなりました。
と言うのも、Aeroflotの手でテストをしていると、彼方此方不具合が出て、最終的に引渡しを拒否された為です。
特に主翼関係の問題は非常に重大でした。

結局、主翼は矩形翼からテーパー翼へと刷新され、Ivchyenko AI-14Rエンジンは300馬力に増大したAI-14RFエンジンに換装され、プロペラは定速プロペラに変更されました。
水平尾翼には上反角がつき、垂直尾翼の形状も五角形から長方形へと変更されています。

翼関係の駆動やブレーキ、エンジン起動には空気圧が利用され、エンジンの暖気は客室の暖房や防氷装置にも用いられました。
なお、後期型では暖房は電気暖房も併用されるようになっています。
元々オプションだった後下方のドアは標準化されています。
前輪は油圧で左右70度に動き、敏捷性を増しました。
ついでに、機首はストンとストレートに切り落とされていましたが、装備品を収納するスペースとしてドーム状に面積が増えています。

こうしてやっと生産に目途が付き、生産はVladivostok近郊のArsenyevに設置されたProgress Worksで開始されました。
ただ、生産までに8年が掛かった時点で、既にピストンエンジンは時代遅れとなっており、大々的に生産が行われずに200機程度の生産で終わってしまいました。

これの後継機として開発されたのが、An-28です。
と言う事で、明日は時間が有ればAn-28の話に移る。
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流石に休み無しは辛い [日記]

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昨晩は23時前にオフィスに入り、前任から引継ぎ。
2時くらいに終わればタクシーに乗って帰ってきて寝ようと思っていましたが、2時過ぎでも終わらず、終わったらほぼ4時。
次の作業が8時からなので、今から家に帰ってみてもすぐに出掛けないといけない。
しかも、土日の宿泊は結構費用的に高い。

と言う事で、オフィスのソファーベッドにごろ寝とあいなりました。
まぁ、クッション自体は良かったのですが、完全にフラットベッドなので、枕になるものが無く、寝にくいったらありゃしません。
後知恵で、ディバッグを頭の下に置けば良かったと思ったのですが、流石にそこまで頭が回らず。
流石に疲れていたので、そのままこてっと寝入り、6時半に1度目が覚め、2度寝したら7時半。

飯を食べて、トイレに行って、洗顔して歯を磨き…とやっていたら8時が直ぐに来て、そこから仕事をずっとやって昼を越えて、それでも終わらず、結局16時近くまで仕事。

帰ってきたら地元の祭りが終わっていて、今年は松平健に会いそびれました(ぉ。

明日も9時から詰めないといけません。
出来れば今週何処かで休みを取らないと、また倒れる可能性が大きくなるのですが、先月後半は完全にグロッキーだったので、余り休めそうにありません。
次の作業が待っていますし…。
やれやれ、人手不足は辛いです。
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