SSブログ

何だかよく判らない [パソコン]

CPA_A330-300_LBD_0001.jpg

この3連休、いよいよ台風がやって来ますね。
幸い3連休だから良かったと言うべきか、これからの混乱を考えると憂鬱だと思うべきか、ま、どちらでも取れますわな。

まぁ、そんなわけでこの前会社で使っている6年物のDELLパソコンを、やっとWindows10の富士通パソコンに換えることが出来ました。
システム部門なのに、部内でWindows7はほぼ最後だったと言うね。

でもって、家で仕事をする為に、以前会社から支給されたパソコンは、4年前のVAIOのモバイルノートでした。
2016年の入院でも活躍しましたし、遊びに行くときにも出先で仕事をしたりメールを打ったりするなどの作業用として時々持って出たりしたわけですが、同じ様にWindows10化の波がやって来たので、とうとうWindows10に入れ替えることになりました。

正直、4年前のVAIOのモバイルノートが余りにも優秀すぎたので、換えるのに大分躊躇したのですが、会社の方針と言われれば従うしか有りません。
代わりに来たのは、TOSHIBAのDynaBook…とは言え、最近は中身は殆どLenovo製の様な気がしますが。

重量はこちらの方が遙かに軽い。
こちらは片手で持つ事が出来ます。
そして、非常に薄いです。
VAIOも十分に薄かったのですが、その3分の2くらいの厚みでしかありません。

CPUはCore i5-7200Uとそれなりに強力ですし、メモリも8GB搭載しているので普段使いには十分ではあります。

しかし、動きがめっさのっそりしています。
会社で無線LANに繋いでいたり、テザリングしている限りではそんな感じは無かったのですが、いざ、家でインターネットに繋げたら、まず、インターネットに繋がらない。
まぁ無線LANのフィルタリング設定が漏れていたのは分かったので、そこは修正。
でも、修正しても繋がらない。
再起動。
未だ繋がらない。
40分近くあーだこーだやって、やっとインターネットにアクセス出来る。

と言うので、IEを起動して、VPN環境に接続。
これまた何度やっても繋がらない。
何かの拍子に、こちらも急に繋がりだして謎は深まるばかりです。

もしかして、何か入れられたのかと勘ぐってしまいます。
某部署の理想論の御陰で、余計なソフトてんこ盛りとなっている上に、マスターの設定が意外に好い加減なので、何が影響しているのか分からないのが怖いところです。

これで治まってくれれば良いのですが。
と言うか、これで治まらなかったら、VAIOをWindows10にバージョンアップしてやろうかしら。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Deux-Ponts [飛行機]

CPA_A330-300_LAH_0011.jpg

暑いのか寒いのかよく判らない天気が続きます。
まぁ、季節的にはそろそろ晩秋に向っているのですから、このまま寒くなるべきなのですが、まだ今週中くらいまでは半袖で過ごせそうです。

そして、週末は台風。
各地でイベントが軒並み中止になっていますが、ご多分に漏れず、うちのCommunityでも商工祭りが中止になってしまいました。
前回の台風並のものが関東直撃と言われているので、月曜日に晴れたとしても、出掛ける事が出来るかどうか予断を許さない状態ですね。
そろそろ、成田詣でにも出掛けたい気分なのですが…と言って、まだ先月の釣果を整理し終えていない訳ですが。

さて、フランス航空機の大きな特徴に2階建てと言うのが有ります。
最近では、Airbus A.380-800と言う総2階建ての機体がありますが、これの系譜は随分前からあり、例えば、Latecoer631やSNCASE SE.200と言う6発飛行艇が総2階建てでした。

その思想を陸上機にした機体が、Breguetが開発したBr.761で、文字通り、Deux-Ponts(2階建て)という愛称を持っていました。
これは解放後に旅客輸送と貨物輸送を両立させようと考えて1944年から製作に着手したもので、初号機のBr761-01(F-WFAM)は1949年2月に初飛行しました。
この機体は、1,600馬力のSNECMA 14Rエンジンを4基搭載した機体で航続距離は2,000km。

それから、前量産型のBr.761Sが3機製作されます。
この機体は、フランス製エンジンに換えて、2,100馬力の米国製P&W R-2800-B31エンジンを搭載しました。
これらはAir AlgerieとSilver City Airwaysに引き渡されて試験運行が続けられます。
S型は更に3機が生産されて、フランス空軍のII/64"Maine"に引き渡され、軍用としての適性を見る事になりました。

Air FranceはBr.763と言う発展型を12機発注しました。
これはS型のエンジンを2,400馬力のR-2800-CA18に換装したもので、Provenceという愛称が与えられました。
因みに、旅客だけなら107名を一度に運ぶ事が出来、Air Franceの中距離路線である、パリとアルジェを結ぶ路線に就航しています。
同型機はフランス空軍が6機発注し、パペーテの第82混成飛行隊に引き渡されています。

これだけ大きな機体ですから、容積もたっぷりあります。
そこで、軍用としての可能性を追求し、フランス海軍航空隊向けに対潜哨戒機として提案することになりました。
24時間の対潜パトロールが出来、5トンのロケット弾や魚雷などを搭載して敵機から攻撃されても、ある程度反撃できる武装を持つと言うものです。

1950年、Br.761初号機を改造して、Br.764が開発されます。
胴体下部に爆弾倉を設けて、12発の対艦ミサイルまたは魚雷、90mm、100mm、127mmの各種ロケット弾やソノブイを搭載し、自衛用に胴体上部、後上方、尾部に20mm連装機関砲を搭載した砲塔を持ち、磁気探知機や対艦レーダなどの電子機器類を詰め込んだ機体でした。
因みに、20mm機関砲は最初MG151/20だったのですが、Hispano-Suizaに変更されました。

これだけ武器を搭載するとエンジンはオリジナルのままでは馬力不足になるので、様々なエンジンが検討され、最初はJumo213、RR Griffon、Bristol Centaurusが候補に挙がりましたが、最終的にはBr.763と同じR-2800-CA18に落ち着きました。

こうして試作が進みましたが、1954年まで掛かっても機器の不具合、航続力の不足などの問題が続出してまだ実用化には至らず、一方でコストが掛かりました。
当時、フランスはインドシナ半島やアルジェリアを始めとして各地で植民地戦争を繰り広げており、予算に余裕がありませんでした。
また、NATO統一哨戒機として、米国製P2Vか、英国製のShackletonMk.IIが推奨されます。
結局、対潜哨戒機としての採用は見送られ、この任務には米国から輸入されたP2V-7が当てられたのです。

これとは別に、フランス空軍向けには最終型のBr.765 Saharaが15機発注されましたが、予算不足のために4機のみ生産され、第64輸送飛行隊に配属されました。
この機体はBr.764の試作結果を受けて各部をリファインした機体で、164名の完全武装の兵士か54名の空挺部隊の兵士を搭載するか、またはAMX13軽戦車か105mm榴弾砲を6門搭載できるものでした。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

小銃相手なら練習機で十分 [飛行機]

CPA_A330-300_LAG_0001.jpg

取り敢ず、今日は治まったので会社へ。
相変わらず、別の仕事がどんどん入って自分の仕事できず。
ついでに、予定では来週からAnniversary休暇なのですが、これまた予定を立てておらず何も出来ずです。
この調子だと、今年休暇を取るのは無理かも知れません。

てな訳で、今日も蛇の目話。

戦後、フランスの植民地だったインドシナ半島では植民地の再支配と言う事で、フランスはヴェトミン相手に泥沼の戦闘を繰り広げます。
先日書いた様に、最初はJu52/3mでのんびり爆撃とかが出来ていたのですが、隣国に中華人民共和国と言う共産主義国家が出来、ソ連からの武器が直接インドシナ半島に流れ込むようになると、のんびりと爆撃などしようものなら忽ち撃墜されてしまいます。
そこで、米国で余剰となっていたDouglas B-26を大量に買い込み、F8Fと共に戦場に投入しました。

一方、金城湯池たる対岸のアルジェリアでも独立闘争が火を噴きました。
ただし、エジプトから武器が供与されるとは言え、ソ連から直接流れ込むわけでも無く、領もそれ程では無かったので、ゲリラの武器は小火器が主体です。
この為、制空権はフランス軍にあり、飛行機はゲリラを追って自由に空中を闊歩できました。

最初、これらの任務には練習機であるAr96の発展型SIPA S.11/12やMorane-Saulnier M.S.472/475、更にM.S.733が充当されたのですが、構造的に余りに脆弱で、またエンジンも砂が入ると馬力が出せず、搭載量も減るばかり、とても武人の蛮用に堪えるものでは有りませんでした。

そこで朝鮮戦争で弾着観測機として活躍し、頑丈でかつ軽武装も可能なNorth-American T-6に白羽の矢が立ちます。
T-6Gをベースに、Nordで試作が行われ、7.5mmの連装機銃ポッドを翼下に吊り下げ、爆弾架、ロケット弾のレールを取り付けます。
これらの改造はカナダでも行われ、こちらではHarvardIIを改造して行われました。
結果的に315機の改造型が輸入され、その他に国内で改造したものなど580機が用いられました。
1957年までに納品されたこれらの機体はアルジェリアで使用され、アルジェリアから引揚げた機体は引き続き、ポルトガルやモロッコ、チュニジア、ヴェトナム、ガボンなどで用いられました。

ただ、T-6Gでもかなり非力で機銃掃射も7.5mmですから威力は低く、搭載量も少ないので爆撃の効果も薄い欠点がありました。

フランス空軍では引き続き有力な機体を国産化しようとしますが、その開発は遅々として進まず、再び米国に助けを求めます。
本当はDouglasAD攻撃機かB-26の追加が好ましかったのですが、米国から提示されたのは、米空軍、海軍のオールスルージェット化によって大量に余剰となっていたT-28練習機でした。

元々、800馬力のWright R1300エンジンを搭載していたのですが、更に搭載量を増すべく、1,425馬力のWright R-1820-86エンジンに換装し、馬力増に伴って各部を強化すると共に、機関銃など各種武装の搭載量を大幅に増加させたものとなりました。
T-28Aを改造した試作機は、米国のPac Aeroと言う会社で1959年7月に完成し、2号機はSUDで完成します。
その後、146機がT-28Aから改造されましたが、R-1820-86は流石に馬力が出過ぎで、各部の構造が付いていかなかったため、1,300馬力のR-1820-56エンジンに落ち着きました。
アルジェリア戦線では"Fennec"と言う愛称を付けられ、EALA 3/04、3/05、3/09、3/10の各飛行隊で、アルジェリアが独立する1962年までゲリラ鎮圧用に用いられました。

アルジェリアが独立すると、生き残った機体はフランスに引揚げられますが、25機がモロッコに、63機がアルゼンチン空軍に引き渡されました。
なお、他に米国で改造された同型機、T-28Dがハイチ空軍やカンボジア空軍で用いられています。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

久々に腰 [日記]

HDA_A330-300_LAA_0002.jpg

昨晩、急に腰が痛くなってお休み。
流石に気温が乱高下したら腰に来るのは何時ものことですが…。
明日は一転暑くなるので、どうなることやら。

今晩は湿布を貼って寝ることにします。
てな事で、短いですが、今日はここまで。

しかし、全然写真整理が進まんよ。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

台風変じて鳩になる [飛行機]

HDA_A330-300_HLG_0004.jpg

今日は朝までぐっすり。
やっぱり数千歩歩くと兎に角疲れます。
でもって、朝から雨だったので出て行く気も失せ、ひたすら家に引き籠もっておりました。

さて、今日は久々に蛇の目話に戻る。

第2次世界大戦中、ドイツ空軍で連絡機として様々な機種が用いられていましたが、特に多く使われたのが単発のBf108と双発のSi204です。
勿論、BFW社は主力戦闘機の生産に手一杯だったので、二線機であるBf108の生産は協力工場に外部委託されていました。
そして占領後はフランスでも170機が生産されていました。

この機体もご多分に漏れず、フランス解放後はフランスのために生産が開始され、SNCANによって、まずオリジナルのN.1000が作られ、ドイツ製のArgus As10Eエンジンの在庫が無くなるとエンジンを同馬力のRenault 6Q10に換装したN.1001が生産されます。
更に、6Q11に換装して各部をリファインしたN.1002が生産され、フランス解放後は286機が生産されて、主に陸軍航空隊と海軍航空隊に納品され、Pingouinと言う愛称で使われました。
他にもフランス解放後に各地に設立された飛行クラブ用でも利用されています。

また、このBf108の近代化発展型が、大戦中Messerschmittによって開発され、これはMe208と呼ばれました。
この機体は、Bf108の各部をリファインし、前輪式降着装置に変更したものです。
2機の試作機がドイツ国内で完成し、その後の開発、生産はフランスに移されました。
フランスではサボタージュにより生産が進まず、解放後に生産が開始されます。
SNCANで開発された試作機はN.1100と名称が変えられ、Noralphaと言う愛称が付きました。

その後、エンジンを例によってRenault 6Q10/11に変更したN.1101が205機作られましたが、陸軍航空隊の練習機としてRamierの名称で用いられました。
因みに、オリジナルエンジンの馬力は240馬力なのですが、練習機としてなので、60%の馬力制限をかけています。
後に、この練習機の中の少数が6DOエンジンに換装されてN.1004となっています。

その後、1945年12月にはこの練習機型をもう少し経済的なものにすべく、主尾翼や胴体はほぼその侭で、馬力の低いエンジンを搭載した民間用並びに軍の練習用としてのN.1200が開発されます。
N.1201は140馬力のRenault 4P.01を搭載したもので、試作機1機が作られ、N.1202は160馬力のPotez 4D-01を搭載したものでこれも試作機1機が作られました。

これらを基に、147馬力のRegnier 4L-00を搭載したN.1203/I/II/IIIが開発され、これが主力となりました。
N.1203/IVは170馬力のSNECMA 4L-02を搭載した型で、N.1203/Vはこれの陸軍航空隊向け練習機となった型です。
N.1204/VIはエンジンを160馬力のSNECMA 4L-14を搭載した型でした。
更に、エンジンを米国製のContinental水平対向125馬力に換装した型がN.1204/Iとして生産され、145馬力のそれに換装したN.1204/IIが生産されました。
これらの機体は1948年まで378機が生産され民間に広く売られていました。

一方のSi204は1941年から1942年末にかけて5機の見本が渡され、生産が開始され、解放までに170機が生産されました。
1944年に最後の7機が引き渡されてドイツ向けの生産が終了し、解放後はフランス軍向けに切り替わります。

SNCACにて生産が開始されたものは、段無し風防のSi204Dに580馬力のArgusエンジンを搭載したNC.700で、590馬力のRenault 12S-00に換装したNC.701がこれに続きました。
段無し風防は使いづらかったのか、原型のSi204と同様に段付風防に変更したNC.702が開発され、28機が1945年7月まで生産された後、350機がSNCAN(Nord)で生産されました。
これらの機体は1949年まで陸軍航空隊で用いられたほか、SNCAC製の機体にはMartinetという愛称が付けられ、Air Franceの海外植民地であるMadagascar、Indochina、Algeriaの各地で郵便機として用いられています。
タグ:飛行機 雑記
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

政宗が殺(け)せなかった男 [読書]

HDA_A330-300_HLA_0001.jpg

今日は先ずリハビリ。
大体20分周期で波が来るのが判っていたから、それを見計らって出掛けたらすんなり順番が来ました。
今日は薬も貰わないので30分ちょいで終わり。
それからバス停に行って、数ヶ月に1回行っている医者へ行こうと思ったのですが、Suicaを忘れたのに気が付き慌てて帰宅…何とか間に合う。
まぁ、此処の医者は何時もの様に患者が多いので、3時間くらい掛かるのは想定の範囲内。

終わって、駅に出掛けたらホームに田都線直通電車が来たところで、タイミングが良かったです。
押上で浅草線に乗り換え。
出口に近い場所に行ったので短い時間で乗り換えが出来ました。
そして、久々の京成3400系。
最近はステンレス車ばかりに乗っていたので、普通鋼製の車体は久々です。

一昨日ドコモショップにケータイを預けたので、次はそこへ向います。
予約をしようと思いましたが、この遠い場所を行きつけのショップにする訳には行かず、結局予約なし…だったので、どれだけ待たないといけないかちょっとヤキモキしましたが、オフィス街の中にあるドコモショップなので、待っている人は殆どいなくて、これまたすんなりと順番が回ってきました。
シャンパンゴールドのガラケーから黒の同機種に変わりましたが、設定は全部移せたのがラッキーです。

再び山手線で駒込に。
ここまで順調だったので、最後もラッキーが続くかと思いましたが、次に来るのは例によっての赤羽岩淵行きでした(´・ω・`)。

それを見送って浦和美園直通で帰ってきましたが、客の多さから見ればそれくらいの本数で十分なのでしょうね。

後はパンを買って、処方薬を貰って、ドラッグストアでちょこっと買物して帰ってきました。

で、医者で読んでいた本。
『政宗が殺(け)せなかった男 秋田の伊達さん』(古内泰生著/現代書館刊)
5年前の本で作者は歯科医です。
ただ、歴史好きが高じてミニコミ誌に歴史コラムを執筆しており、今回の本はそれを纏めたものとなっています。

政宗というのは、言わずと知れた仙台伊達家当主の伊達政宗のこと。
「遅れてきた戦国武将」と言われた彼は、秀吉の権力が日本全国に及ぶ寸前まで東北で蠢動していました。
そして、今まで身内同士の合戦で、戦後処理がなぁなぁで住ませていたものを、「撫斬り」と言う手法で周囲の戦国武将家を震え上がらせ、臣従させるように仕向けてきたわけです。

元々、伊達家は岩出山に城を構えていました。
しかし、東北各地、特に北は南部に抑えられているので、南へと進出するしか無く、岩出山では場所が余り良くありません。
そこで目を付けたのが東北の名門武将ですが、家運が衰退しつつあった国分家です。
国分家の支配地域は、現在の仙台周辺であり、伊達家にとって南方に進出して北条と領土を分割するとしたら丁度中心になります。
国分家には、既に祖父の伊達晴宗の息子である盛重が養子として入っていたのですが、政宗はそれを排除しようとし、国分家に合戦を仕掛けます。

かくして、二階堂などの他の豪族同様に国分家は滅亡し、国分盛重は父祖の地を捨て、83騎の部下を伴い、伊達領内を突っ切り、岩城家を経て、義重の室となっていた姉の宝寿院を頼って佐竹家に亡命しました。
佐竹家では一門衆の1人として取り立てられ、「南方三十三館」の諸豪族達の筆頭であった嶋崎家が統べていた嶋崎城、次に大掾氏が統べていた地域の柿岡城を統べることになります。

しかしながら、程なくして関ヶ原の合戦。
身の処し方に失敗した佐竹家は大減封の上、石高不明で秋田の地へと転封となりました。
当然、国分盛重もこの移封に扈従し、横手城代として一門に次ぐ地位を誇ります。
大坂冬の陣では、佐竹家の陣大将として出陣し、佐竹が大被害を出した今福合戦では先鋒を務めました。
此の時の戦闘で傷を負い、程なく養子となった佐竹東家義久の息子に横手城代の役職共に引継ぎ、隠居して程なくして元和に改元された時に死去しました。
因みに、養子は程なく失脚して改易されますが、家族の取成しで御家復活となり、秋田にいる伊達家となって幕末まで続きました。

とまぁ、これだけ活躍した人なのですが、彼の事績は殆ど残っていません。
確かに、伊達政宗に滅ぼされ、数年で常陸から奥羽に転封となり、息子が失脚したと言う事で資料が散逸したりした可能性も否定できませんが、同じ伊達家でも出奔した伊達成実には記録が残っています。
ただ、成実の場合、出奔後に一族郎党が磔に処せられたのですが、国分盛重の家族は撫斬りには遭っていません。
それどころか、数年後には政宗自らによって古内家として取り立てられ、古内重弘は仙台伊達家の奉行職、そして筆頭家老を歴任しています。

また、政宗に攻められたにも拘わらず、佐竹の一族である岩城家の領土まで伊達領内を83騎の部下を率いて逃走したのも不可解な話です。
更に、佐竹にすんなり受容れられて、直ぐに佐竹の重臣として取り立てられています。
普通他の家から亡命したとは言え、ちょっと前までは敵対していた武将です。
それをすんなり受容れると言うのも不可解です。

記録が無いとは言え、こうした異例ずくめの展開は何か裏が有ったのでは無いかと言う可能性を感じさせます。

この本ではこうした断片を組合わせて、大胆な仮説を立てて検証しています。
歴史学者では無い、アマチュアの人が考えたので、孔はあるのかも知れませんが、結論に至るまでの論考が、読み物としては十分に面白いです。

因みに、失脚した伊達盛重の養子の後釜に就任したのが副将の須田盛親です。
須田盛親と言えば、二階堂氏の一門で、伊達家と尽く敵対した武将。
国分盛重も当時は二階堂攻めに参戦していました。
こうした確執もあった可能性があります。

この辺、歴史小説にすれば面白い作品が出来るかも知れませんね。

政宗が殺せなかった男―秋田の伊達さん

政宗が殺せなかった男―秋田の伊達さん

  • 作者: 古内 泰生
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2014/09/30
  • メディア: 単行本



nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ヒヨるくらいなら冒険したい [音楽]

HDA_A321-200_HTI_0001.jpg

今日も何も出来ず。
好い加減、仕事をさせてくれと言いたい。
そして、衝撃の事実。
中期計画にインフラ整備の話が一切盛り込まれていないことに気が付いた。
老朽化インフラの更新を段階的にしないといけないと言うことで去年計画を策定したというのに、見事に無視されたのな~。
恐らく、上つ方への忖度で、システム費用削減の槍玉に挙がったのと違うかと思いますがね。
やる気スイッチ急降下ですよ、もう。

さて、本当は昨日書こうと思っていたのが、日和ゆずの『ヒヨるくらいなら冒険したい』。
偶然かどうかは分からないのですが、奇しくもTEAM SHACHIの新譜が出たタイミングと言うね。

この日和ゆずと言う子、昔、チームしゃちほこで安藤ゆずと言う名でピンクを担当していたメンバーです。
頭が良く回り、MCでは中心になっていて、チームしゃちほこの錨役だったのですが、残念ながらめまいによる体調不良で長い間休んでいましたが、結局治らずに脱退してしまいました。

それから数年、今度はアイドルでは無く声優として復活した訳です。
昨今の声優らしく、歌ってパフォーマンス出来る声優さんになりました。
まだ駆け出しのひよっこですが、元々下地は培っていたわけですから、今後活躍してくれると良いなぁと個人的には思います。

そう言えば、前のオフィスにいたとき、近くの塔がアイドルの聖地と呼ばれていたようで、よくアイドルさんが来ていました。
で、初めてこの塔に行ってアイドルさんと接触したのがゆずぽん(彼女の愛称)でした。
結構元気だったのですが、直後に休養に入ってしまって…。

今回の『ヒヨるくらいなら冒険したい』は、TEAM SHACHIの曲と異なり、サウンド的には余り凝っていません。
MVも引っくるめてチープな印象ですが、資本力の無いインディーズ的な事務所だと仕方ないところでしょう。

ただ彼女のポテンシャルがそれで落ちるかと言えば、そんなことは無いように思えます。
CDは『ヒヨるくらいなら冒険したい』の他、『うさぎのプリンス』、『スパークルダンジョン』の3曲で、いずれもピコピコサウンドですが、彼女のキャラクターに合っているようです。
曲は、最初の2曲はUSAXAと言うグループの佐藤未優さんと鍋谷卓磨さんのコンビが提供したもので、最後の曲はル川さんと言う同人サウンドクリエーターが提供した曲を鍋谷さんが編曲したもの。
バックコーラスと振付はこのグループのボーカルである笹本梨紗さんの担当。

やっぱり基礎がきちんと出来ているので、破綻がありません。
まだインディーズで知名度もかなり低い所からのスタートですが、今後は伸びてくるのでは無いかと思います。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

最後のガラケー [日記]

HDA_A321-200_HTG_0008.jpg

今日も朝から会議。
終日「予約不可」と入れているのにどんどん入れてくるのな。
御陰で何も出来ず。
やれやれ、明日怒られるわ。

で、昼休みにそれは起きました。
昼休み、何時もの様にケータイを弄っていたら、急に電源が落ちました。
メッセージは「SIMカードの金属部分を掃除して下さい」と出て来たり。
ここ最近、1日に1回これが出ています。
なので、ここらでカードを取り出して掃除しようと思った訳です。

そして、バッテリーを取り出し、カードを取り出して軽く擦って掃除。
再度カードを入れて、バッテリーを取り付けてスイッチオン!
ところが、起動はするのに、カードを読み込んでくれません。
何回かトライしても同じ。
そうこうしているうちに、午後が始まったので一旦諦め。

定時が終わり、勤務時間も終わったので、ダッシュで会社を出て一路ドコモショップに駆け込みます。
何時もはサラリーマンでごった返していますが、契約変更の影響か、消費税増税の影響か、かなり空いていました。
修理の待ち行列は無し。

待つ事15分で順番が回ってきたのはラッキーでした。
取り敢ず現象確認。
やっぱり起動してもカードを認識せず、お兄さんが入れ直しても一緒。
30秒程度放置すると、認識することもあるらしいのですが、それでも駄目でした。

そこで、新しいカードを準備し、前のカードは無効化。
新しいカードを入れてみる…やっぱり駄目。
どうも、SIMカードの読み取り部分が壊れたようです。

残った手は3つ。

1つ目、修理する。
一応、修理サービスに入っているので修理代金は3,300円と安いのですが、この場合、2週間程度預りになるとのこと。
その間、代品を出してくれるのかどうか説明してくれなかったので、これはオミット。

2つ目、交換する。
これも修理サービスオプションに入っているので、全額負担はしなくても良くて、1つ目よりも少し高くて5,000円ちょいで期間2日。
本来は同等品の新品と交換して貰える筈ですが、既にこのケータイは5年経過したもので、既に生産されておらず(ま、ガラケー生産からも撤退したし)、倉庫に有るものはリファビッシュ品。
不要になったか、或いは今回の様に壊れたものを修理(他の同機種から部品取りをして)したものを在庫として持っていて、それを放出するもの。

3つ目、新しくする。
これは現在のガラケーを止めてスマホかガラホに機種変更するもの。
費用は新品購入ですから高くなり、その総額は機種によって異なります。
ただ、イマイチどの機種を買えば良いのかが分からないので、直ぐには買えないでしょうし、既に営業時間が過ぎて閉店しているのに、何時までも店にいる訳には行きません。

と言う事で、脳内検討の結果、同機種との交換と相成りました。
期間2日で同等機種が来るのですから。
新機種への機種変更はまだ検討してからの方がいいでしょうね。
店の人は、「新機種の方がお安くなりますよ」、と言っていましたが。

確認の結果、色違いにはなるものの、交換品が明後日に着くと言うので、店での受取りでは無く宅配を選択したのですが、その場合、その間ケータイが使えないので、何かあったときに友人知人、それから親と連絡が付かなくなるのと、旧機から交換品へのデータ移行を自分でやらないといけないと言うので、店頭受け取りに変更し、代機を受け取ることに。

最初はSharpのAQUOSガラホを準備してくれたのですが、SIMカードが入らないことに店の人が気が付かなくて、やり直し。
結局、PanasonicのFOMA端末になってしまい、画面が粗々でちょっと(´・ω・`)でした。
それにしても、何度もやり直したので、SIMカードの残骸が山の様に積まれることになって申し訳なかったです。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Rocket Queen [音楽]

HDA_A321-200_HTE_0002.jpg

今日こそ受け持ちテーマをちゃんと検討しようと意気込んでいたのですが、次々と色々な問題が持ち込まれ、しかも途中でトラブルが起きたり、会議をぶっ込まれたりしたので、結局何も出来ませんでした。
中々先に進まず、焦りばかり出て来ます。

そう言えば、今日のお昼は珍しく外食したのですが、よく考えたら昨日から外食は10%だったのですね。
レシートを見て「?」が飛んだのは私だけでは無い筈。
ついついアルバイトのレジの女の子が間違えたかと思いました。

さて、芸術の秋、今日は音楽。
TEAM SHACHIのニューシングルが「Rocket Queen」というもの。
懐かしのロックマンとコラボした曲となっています。
なので、MVにもロックマンコラボの8ビットアニメのものもありますが、もう1種類が、長岡の「米百俵フェス」の記念で、長岡中越高等学校とコラボしたブラバンバージョンも公開されました。
寧ろ、こちらの方をシングルに収録した方が良かったのでは無いだろうか。


昨年秋、ういろうイエローだった伊藤千由李が抜けて4人体制になり、チームしゃちほこからTEAM SHACHIと改名した彼女達ですが、歌の柱が抜けてパワーが低下したかと言えば差に非ず。
構成を変えて、4人に加え女性ホーン隊を加えてよりサウンド的には厚みを増したように思えます。

今回のRocket Queenの下敷きとなったのは、ロックマンのゲーム内で使われている曲である、「Dr.Wilyのテーマ」で、これを再構成し、ポルノグラフィティの新藤さんの詞を載っけたものです。
原曲のピコピコ感を残しつつ、ボーカルとブラス民(TEAM SHACHIのホーン隊)、更にMCUのラップが加わることで賑やかに仕上がっています。
正にコンサートではロケットのようにアゲ曲になるのは間違いなしです。

収録している曲は他に2曲あり、2曲目は「Rock Away」。
「ボニーとクライド」をイメージしたそうで、THE STARBEMS の日高央さんが作詞作曲した曲。
日高央さん自身がギターを奏で、TOTAL FATのBuntaさんがドラムを乱打するインパクト強い曲です。
夏の様々なフェスでは、この2人とブラス民を率いたバンド編成で、縦横無尽に駆け抜けました。



こちらは彼女達のパフォーマンスに注目です。
それにしても、ポンコツと言われていた大黒さんが堂々と踊っているのは何か感動します。

最後の曲は、フレンズのおかもとえみさんとひろせひろせさんのコンビで作られた『わたしフィーバー』。
これは失敗女子という彼女達が主演した映画の主題歌になった曲で、ゴリゴリのロックサウンドですが、歌詞自体は早口のラップ的な仕上がり。
結成当時だと絶対に口が回らないであろうと思ったりして。
これは彼女達の歌に注目ですかね。



全体的にしっとり系と言うよりはアゲアゲ系の曲で構成されていて、TEAM SHACHIの性格を現わしているような感じであり、勢いで鯱の如くみんなを飲み込もうと言う方策か。
まぁ、実際には好みで分かれるでしょうが、音楽的には少し迷走気味だったのが、かなり芯が通ってきたのではないか、と思いますね。

【Amazon.co.jp限定】Rocket Queen feat. MCU/Rock Away[タイムトレイン盤](完全生産限定盤)(A5クリアファイル付)

【Amazon.co.jp限定】Rocket Queen feat. MCU/Rock Away[タイムトレイン盤](完全生産限定盤)(A5クリアファイル付)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: CD


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

モノクロームの私鉄原風景 [読書]

HDA_A320-200_HSU_0001.jpg

今日から下期、10月ですよ。
この前雑煮を食べたと思ったのに、この前入院していたのに、この前水浴びをしていたと思ったのに、あと2ヶ月で終わってしまう。
そして、今日から増税。
交通費がしっかり4円値上がりしていました。

そんな毎日ですが、今日は久々にRadeonドライバの更新で嵌まっていました。
メインPCのドライバが何時まで経っても更新出来ず。
サブPCの同じドライバはすんなり入ったのに何故か更新出来ない。
ダウンロードし直したのに同じで、結局、アンインストールして、一からインストールし直しでした。

で、読書の秋と言う事で、ここ数日は読書がテーマです。
今日は、寝る前に読んでいた本、『モノクロームの私鉄原風景 ~懐かしき1960年代の鉄道~』(諸河久著/交通新聞社刊)の紹介。

諸河さんと言えば、鉄道写真の泰斗で、数々の鉄道写真を発表されている重鎮の一人です。
その諸河さんが若い頃に撮りためた写真を紹介したのが本書。
とは言え、写真がメインと言うよりも、写真を撮りに行ったときのエピソードが鏤められているのが特徴で、肝心の写真は脇に追いやられています。
なので、写真だけを期待した向きには余りお勧めできません。

で、元々は交通新聞社が出している『鉄道ダイヤ情報』と言う雑誌の連載を1冊に纏めたものです。
以前、ヒギンズさんの本を紹介したのですが、彼は物量の豊富な米国人らしく、カラー写真の記録でした。
一方の諸河さんは、当時の日本人で当たり前だったモノクロ写真です。
それに、当時は今や世界をリードしている日本のカメラ技術など及びも付かない状態で、貧弱なレンズ、ライカなどの名機に及ばない国産カメラ、フィルムも安いフィルムを仕入れて自分達で装填したりしている状態です。

しかし、今と異なり連写などをする余裕はありませんから、一撃必殺的に被写体と構図を決めて、シャッターを押すと言うもの。
一方で、今と違って大らかな時代ですから、線路に降りての撮影や、車庫を訪問して、庫内にしまってある車両で望みのものを動かして貰い、形式写真を撮る様な事が出来ていました。
今で言う鉄道マニアですが、現在の様に鉄道会社の人に対して上から目線で居丈高な振る舞いや眉をひそめるような行為はせず、唯々ストイックに車庫や沿線に赴いて写真を撮影するだけです。
そうした人々ですから、鉄道会社の人達も、作業の手を止めて相手をしてくれたのかも知れません。

本書では諸河さんが若かりし頃、斯界の先輩達と共に、日本列島津々浦々に至るまで、鉄道を求めて行脚した結果の貴重な写真が、当時の旅のエピソードを元に掲載されています。
当時の旅は、現在の様に飛行機で気軽に出掛ける様な旅では無く、列車や船を乗り継ぎ乗り継ぎで目的地に着くまで何時間もかけて赴くと言うもので、ただ、それだけ長い時間をかけて旅をするので、旅情というものがあったように思えます。

また、当時の写真に対する諸河さんの情熱みたいなものも感じました。
今となっては殆どの路線が忘却の彼方に行ってしまったですし、車両も生き延びているものはありません。
そう言った意味で貴重な記録ともなっています。

モノクロームの私鉄原風景

モノクロームの私鉄原風景

  • 作者: 諸河 久
  • 出版社/メーカー: 交通新聞社
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: 大型本



タグ:鉄道 写真 読書
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感