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小銃相手なら練習機で十分 [飛行機]

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取り敢ず、今日は治まったので会社へ。
相変わらず、別の仕事がどんどん入って自分の仕事できず。
ついでに、予定では来週からAnniversary休暇なのですが、これまた予定を立てておらず何も出来ずです。
この調子だと、今年休暇を取るのは無理かも知れません。

てな訳で、今日も蛇の目話。

戦後、フランスの植民地だったインドシナ半島では植民地の再支配と言う事で、フランスはヴェトミン相手に泥沼の戦闘を繰り広げます。
先日書いた様に、最初はJu52/3mでのんびり爆撃とかが出来ていたのですが、隣国に中華人民共和国と言う共産主義国家が出来、ソ連からの武器が直接インドシナ半島に流れ込むようになると、のんびりと爆撃などしようものなら忽ち撃墜されてしまいます。
そこで、米国で余剰となっていたDouglas B-26を大量に買い込み、F8Fと共に戦場に投入しました。

一方、金城湯池たる対岸のアルジェリアでも独立闘争が火を噴きました。
ただし、エジプトから武器が供与されるとは言え、ソ連から直接流れ込むわけでも無く、領もそれ程では無かったので、ゲリラの武器は小火器が主体です。
この為、制空権はフランス軍にあり、飛行機はゲリラを追って自由に空中を闊歩できました。

最初、これらの任務には練習機であるAr96の発展型SIPA S.11/12やMorane-Saulnier M.S.472/475、更にM.S.733が充当されたのですが、構造的に余りに脆弱で、またエンジンも砂が入ると馬力が出せず、搭載量も減るばかり、とても武人の蛮用に堪えるものでは有りませんでした。

そこで朝鮮戦争で弾着観測機として活躍し、頑丈でかつ軽武装も可能なNorth-American T-6に白羽の矢が立ちます。
T-6Gをベースに、Nordで試作が行われ、7.5mmの連装機銃ポッドを翼下に吊り下げ、爆弾架、ロケット弾のレールを取り付けます。
これらの改造はカナダでも行われ、こちらではHarvardIIを改造して行われました。
結果的に315機の改造型が輸入され、その他に国内で改造したものなど580機が用いられました。
1957年までに納品されたこれらの機体はアルジェリアで使用され、アルジェリアから引揚げた機体は引き続き、ポルトガルやモロッコ、チュニジア、ヴェトナム、ガボンなどで用いられました。

ただ、T-6Gでもかなり非力で機銃掃射も7.5mmですから威力は低く、搭載量も少ないので爆撃の効果も薄い欠点がありました。

フランス空軍では引き続き有力な機体を国産化しようとしますが、その開発は遅々として進まず、再び米国に助けを求めます。
本当はDouglasAD攻撃機かB-26の追加が好ましかったのですが、米国から提示されたのは、米空軍、海軍のオールスルージェット化によって大量に余剰となっていたT-28練習機でした。

元々、800馬力のWright R1300エンジンを搭載していたのですが、更に搭載量を増すべく、1,425馬力のWright R-1820-86エンジンに換装し、馬力増に伴って各部を強化すると共に、機関銃など各種武装の搭載量を大幅に増加させたものとなりました。
T-28Aを改造した試作機は、米国のPac Aeroと言う会社で1959年7月に完成し、2号機はSUDで完成します。
その後、146機がT-28Aから改造されましたが、R-1820-86は流石に馬力が出過ぎで、各部の構造が付いていかなかったため、1,300馬力のR-1820-56エンジンに落ち着きました。
アルジェリア戦線では"Fennec"と言う愛称を付けられ、EALA 3/04、3/05、3/09、3/10の各飛行隊で、アルジェリアが独立する1962年までゲリラ鎮圧用に用いられました。

アルジェリアが独立すると、生き残った機体はフランスに引揚げられますが、25機がモロッコに、63機がアルゼンチン空軍に引き渡されました。
なお、他に米国で改造された同型機、T-28Dがハイチ空軍やカンボジア空軍で用いられています。
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