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政宗が殺(け)せなかった男 [読書]

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今日は先ずリハビリ。
大体20分周期で波が来るのが判っていたから、それを見計らって出掛けたらすんなり順番が来ました。
今日は薬も貰わないので30分ちょいで終わり。
それからバス停に行って、数ヶ月に1回行っている医者へ行こうと思ったのですが、Suicaを忘れたのに気が付き慌てて帰宅…何とか間に合う。
まぁ、此処の医者は何時もの様に患者が多いので、3時間くらい掛かるのは想定の範囲内。

終わって、駅に出掛けたらホームに田都線直通電車が来たところで、タイミングが良かったです。
押上で浅草線に乗り換え。
出口に近い場所に行ったので短い時間で乗り換えが出来ました。
そして、久々の京成3400系。
最近はステンレス車ばかりに乗っていたので、普通鋼製の車体は久々です。

一昨日ドコモショップにケータイを預けたので、次はそこへ向います。
予約をしようと思いましたが、この遠い場所を行きつけのショップにする訳には行かず、結局予約なし…だったので、どれだけ待たないといけないかちょっとヤキモキしましたが、オフィス街の中にあるドコモショップなので、待っている人は殆どいなくて、これまたすんなりと順番が回ってきました。
シャンパンゴールドのガラケーから黒の同機種に変わりましたが、設定は全部移せたのがラッキーです。

再び山手線で駒込に。
ここまで順調だったので、最後もラッキーが続くかと思いましたが、次に来るのは例によっての赤羽岩淵行きでした(´・ω・`)。

それを見送って浦和美園直通で帰ってきましたが、客の多さから見ればそれくらいの本数で十分なのでしょうね。

後はパンを買って、処方薬を貰って、ドラッグストアでちょこっと買物して帰ってきました。

で、医者で読んでいた本。
『政宗が殺(け)せなかった男 秋田の伊達さん』(古内泰生著/現代書館刊)
5年前の本で作者は歯科医です。
ただ、歴史好きが高じてミニコミ誌に歴史コラムを執筆しており、今回の本はそれを纏めたものとなっています。

政宗というのは、言わずと知れた仙台伊達家当主の伊達政宗のこと。
「遅れてきた戦国武将」と言われた彼は、秀吉の権力が日本全国に及ぶ寸前まで東北で蠢動していました。
そして、今まで身内同士の合戦で、戦後処理がなぁなぁで住ませていたものを、「撫斬り」と言う手法で周囲の戦国武将家を震え上がらせ、臣従させるように仕向けてきたわけです。

元々、伊達家は岩出山に城を構えていました。
しかし、東北各地、特に北は南部に抑えられているので、南へと進出するしか無く、岩出山では場所が余り良くありません。
そこで目を付けたのが東北の名門武将ですが、家運が衰退しつつあった国分家です。
国分家の支配地域は、現在の仙台周辺であり、伊達家にとって南方に進出して北条と領土を分割するとしたら丁度中心になります。
国分家には、既に祖父の伊達晴宗の息子である盛重が養子として入っていたのですが、政宗はそれを排除しようとし、国分家に合戦を仕掛けます。

かくして、二階堂などの他の豪族同様に国分家は滅亡し、国分盛重は父祖の地を捨て、83騎の部下を伴い、伊達領内を突っ切り、岩城家を経て、義重の室となっていた姉の宝寿院を頼って佐竹家に亡命しました。
佐竹家では一門衆の1人として取り立てられ、「南方三十三館」の諸豪族達の筆頭であった嶋崎家が統べていた嶋崎城、次に大掾氏が統べていた地域の柿岡城を統べることになります。

しかしながら、程なくして関ヶ原の合戦。
身の処し方に失敗した佐竹家は大減封の上、石高不明で秋田の地へと転封となりました。
当然、国分盛重もこの移封に扈従し、横手城代として一門に次ぐ地位を誇ります。
大坂冬の陣では、佐竹家の陣大将として出陣し、佐竹が大被害を出した今福合戦では先鋒を務めました。
此の時の戦闘で傷を負い、程なく養子となった佐竹東家義久の息子に横手城代の役職共に引継ぎ、隠居して程なくして元和に改元された時に死去しました。
因みに、養子は程なく失脚して改易されますが、家族の取成しで御家復活となり、秋田にいる伊達家となって幕末まで続きました。

とまぁ、これだけ活躍した人なのですが、彼の事績は殆ど残っていません。
確かに、伊達政宗に滅ぼされ、数年で常陸から奥羽に転封となり、息子が失脚したと言う事で資料が散逸したりした可能性も否定できませんが、同じ伊達家でも出奔した伊達成実には記録が残っています。
ただ、成実の場合、出奔後に一族郎党が磔に処せられたのですが、国分盛重の家族は撫斬りには遭っていません。
それどころか、数年後には政宗自らによって古内家として取り立てられ、古内重弘は仙台伊達家の奉行職、そして筆頭家老を歴任しています。

また、政宗に攻められたにも拘わらず、佐竹の一族である岩城家の領土まで伊達領内を83騎の部下を率いて逃走したのも不可解な話です。
更に、佐竹にすんなり受容れられて、直ぐに佐竹の重臣として取り立てられています。
普通他の家から亡命したとは言え、ちょっと前までは敵対していた武将です。
それをすんなり受容れると言うのも不可解です。

記録が無いとは言え、こうした異例ずくめの展開は何か裏が有ったのでは無いかと言う可能性を感じさせます。

この本ではこうした断片を組合わせて、大胆な仮説を立てて検証しています。
歴史学者では無い、アマチュアの人が考えたので、孔はあるのかも知れませんが、結論に至るまでの論考が、読み物としては十分に面白いです。

因みに、失脚した伊達盛重の養子の後釜に就任したのが副将の須田盛親です。
須田盛親と言えば、二階堂氏の一門で、伊達家と尽く敵対した武将。
国分盛重も当時は二階堂攻めに参戦していました。
こうした確執もあった可能性があります。

この辺、歴史小説にすれば面白い作品が出来るかも知れませんね。

政宗が殺せなかった男―秋田の伊達さん

政宗が殺せなかった男―秋田の伊達さん

  • 作者: 古内 泰生
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2014/09/30
  • メディア: 単行本



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