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HISTORY 幸せの貼り紙はいつもどこかに [読書]

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今日で9月終わり。
増税前の駆け込みとして、スーパーに寄って食品の他、嗜好品のコーヒーとかを買ってきました。
…コーヒーは低減税率対象だっけ。
ま、どうせ、明日から10%の税金が掛かるわけですから、殆ど蟷螂の斧状態ですが。
そして、銀行のポイントが今日で期限が来るものがあったのに、すっかり忘れていて、慌てて引換えようとしたら既に締め切られた後でした。
残念無念。

さて、昨日の『ローカルバスの終点へ』の次に読んでいた本の紹介。
『私立恵比寿中学 HISTORY 幸せの貼り紙はいつもどこかに』(大久保和則著/東京ニュース通信社刊)

SMAPに次ぐアイドルグループとして作られたのが、TOKIO。
ある意味、SMAPは王道を行く(とは言え、ジャニーズでは傍流だった訳ですが)アイドルだったのに対し、TOKIOのイメージは最初からどこか泥臭いと言うか、SMAPの影に隠れて目立たない感じでした。

しかし、SMAPの眩い光は逆にその内実を見えなくしてしまい、泥沼の解散劇に至ってしまったように思えます。
一方のTOKIOも王道のアイドルを目指していましたが、どちらかと言えば一芸に秀でた方面を伸ばしたような感じを受けますし、SMAPよりは人間的な感じ。
だから、メンバーの飲酒問題では、内部の軋轢というか葛藤を包み隠さず曝け出したのでは無いかと思いますし、この前のリーダーの結婚でも誠意が滲み出ているような気がして、好感が持てました。

これをスタダのアイドルに当て嵌めると、SMAP的なそれは勿論ももクロです。
ももクロについては、公式伝記作家的な立ち位置の小島さんがいて、数々の著作を発表しています。
しかしながら、彼の著作ではインサイド深くに切込んだ感じではなく、自主規制が敷かれている様に思えました。

例えば、ヒャダインとももクロサイドが何故対立したのか、とか、有安さんの脱退問題について、深く書くことはありません。
確かに、誰かが傷つくことを恐れたのかも知れないでしょう。
ただ、書かないことでモヤモヤが残った感もあります。

ジャニーズのTOKIOに対応する立ち位置なのが、エビ中では無いかと思います。
今回、10周年と言う事で、今まで触れられることの余り無かったその内情が明らかにされました。
驚いたことに、この本にはタブーがありませんし、自主規制もありません。
だから、その時その時に、メンバーが何を思っていたのか、どんな行動を取ったのか、その辺りを正確に書き留めています。

メンバーだけで無く、スタッフ、所謂大人にも焦点を当てていて、大人がどんな思惑でエビ中というグループを作り、育てていったかについてもインタビューを交えて書いています。
これを読むと、最初は大人達の敷いたレールに載っかるだけだったのに、段々と自分達で考え、行動する様な成長を見せています。

その切っ掛けは、売れ始めてからメンバーが3人も転校(脱退)すると言う衝撃的な出来事でした。
その補充として、新しいメンバーが2人来る。
転校メンバーとの亀裂、そして新メンバーの受入可否をめぐっての残留メンバー同士の話し合いが白熱したこと。

かほりこの加入で落ち着いたかに見えた時に、ひなたの突発性難聴、歌穂のバセドウ病発覚と言う苦難があり、更に松野莉奈さんの死と言った大津波…次から次に大きな出来事に見舞われます。
それを乗り越え、再びリスタートを切ったときに発覚した星名美玲ちゃんの恋愛スキャンダル。

普通、スキャンダルについては完全に黒歴史ですから無かったことにする事が多いのに、これに目を背けること無く、きちんとみんなが取材に向き合っているのは芸能界にとっては珍しい事だと思います。

そして、ぁぃぁぃの転校とその裏での大人達との葛藤。
この本で唯一取材し切れていないのがぁぃぁぃの思い。
サバサバした彼女のことですから、恐らく過去を振り返るのが嫌だったのかも知れません。
まぁ、事務所も異なりますからね。

その転校に際し、校長ことチーフマネージャーの藤井ユーイチさんは、エビ中の入口であるぁぃぁぃを欠くことはグループにとっての危機だと感じ、オーディションでメンバーを追加する準備をメンバーにも知らせること無く行い、直前まで武道館で発表するつもりでいたそうです。

もし、此の時にこれを武道館で発表していたら、恐らくこのグループは消滅したと思います。
幾度も試練を乗り越えた6人の渾身のパフォーマンスの結果、この企ては消滅しました。

6人での活動開始も束の間、昨年クリスマス大学芸会での星名美玲さんの転落事故で平温が断ち切られます。
当時は容態がよく判らなかったのですが、此の時、彼女は脳挫傷、左側頭部骨折、外傷性くも膜下出血という重篤な状態だったそうです。
正直、脳挫傷とか外傷性くも膜下出血なんてなると半身不随になってもおかしくありません。
咄嗟に落ちる直前に舞台の端に手をついたのが九死に一生を得たそうです。
本来なら1ヶ月入院加療し、1年間は患部固定が必要だったのですが、本当に気力で治し、徐々にパフォーマンスを再開していきました。
この前のファミえんでも元気にパフォーマンスを見せていましたから、奇跡の快復力と言っても過言では無いでしょう。

こうした出来事だけ見ると、彼女達の人生に「幸せの貼り紙」って言うのは無いのでは無いかと思ってしまいますが、彼女達はこうした逆境を乗り越えることで、寧ろ「幸せの貼り紙」を見つけている様な気がします。

タレント本ではありますが、それは食わず嫌いです。
分厚いのですが一気に読んでしまいました。

私立恵比寿中学HISTORY―幸せの貼り紙はいつもどこかに (B.L.T.MOOK 51号)

私立恵比寿中学HISTORY―幸せの貼り紙はいつもどこかに (B.L.T.MOOK 51号)

  • 作者: 大久保 和則
  • 出版社/メーカー: 東京ニュース通信社
  • 発売日: 2019/09/01
  • メディア: ムック



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ローカルバスの終点へ [読書]

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昨日は何故か寝られなかったので、終日ポヤポヤしていました。
しょうがないので引き籠りです。

てな訳で、ここ最近、通勤の行き帰りに読んでいた本。
宮脇俊三さんの『ローカルバスの終点へ』(河出文庫刊)。
今までも何回も出版されていますが、これは改めての河出書房新社から出版されたものです。

今から30年以上前のバス旅の記録です。
恐らく、ここに収録されている殆どの路線は今は廃線になっていると思います。
普通、こうしたテーマは観光地の紹介とか、有名どころの紹介が多いのですが、それでは面白くない。
つむじ曲がりの我等が俊三さんは、雑誌『旅』の連載であるにも拘わらず、そんな観光地には見向きもせず、ひたすら人が行かなさそうなバス路線の終点へ行く旅を続けます。

勿論、こんな旅では、何かが起こることも無く、このバスから見える光景、そして乗ってきた人々の日常の風景が淡々と描かれていますが、それこそが宮脇俊三さんの紀行文学の神髄です。
『旅』の取材だからと言って、特別扱いされることも殆ど無く、泊る宿が旅館である事は殆ど無く、昔よくあった商人宿、あるいは民宿が多い。

そして、現地に着いたからと言って、その地を探訪し尽すわけでも無く、大体が旅館に泊るところで終わっていたり、飯を食べるところで終わっていたりと、極めて日常的な風景が切り取られています。

ここに取り上げられている路線は、当時から過疎化に悩んでいる地域で、一日2本とかそんな路線ですから、今訪ねたとしても、殆どが限界集落になっていて廃村になっている地も多いでしょう。
また、今と違って、当時は地元の学校とかに自由に入ることが出来ました。
今だったら、完全に不審者扱いされますが…と言うか、そもそも少子化で学校すら無いのでしょうね。

当時の社会が如何に大らかで、過ごしやすかったかを写しているように思えます。
晩年と異なり、宮脇俊三さんがまだ紀行作家として脂がのっていた作品ですので、当時の風俗もきちんと描かれていて、非常に興味深く、また一気に読める作品でした。
そう言えば、最近の国語教育ではこうした文学作品に触れる事が出来なくなったらしいですね。

こうした叙情豊かな作品に触れられなくなった子供は、どんな大人になるのか、空恐ろしい気がします。
最後はどうでも良い話でしたが、北海道から沖縄に至るまで、23のバス旅を楽しむ作品としては白眉の一つでは無いかと個人的には思います。

ローカルバスの終点へ (河出文庫)

ローカルバスの終点へ (河出文庫)

  • 作者: 宮脇 俊三
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2019/08/06
  • メディア: 文庫


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Yak-3の後継機 [飛行機]

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今日は成田に行こうと思っていましたが、朝、初撮りの機体が無かったので中止。
そんな日に限って、Il-76は飛来するし、Tu-204も来るし、A.350-900のJAL3号機がA滑走路に降りてくるし、で行けば良かったです。
毎回、こんな感じなんだよな。

まぁ、気を取り直して。

Ⅲ/5 Normandy-Niemenと言うフランス空軍の戦闘機部隊は、自由フランス軍でも英国では無くソ連で戦闘を繰り広げた部隊であり、その飛行隊はYak-9、そして末期にはYak-3が供給されていました。
1945年にソ連からフランスに凱旋しましたが、他の機体との互換性がありません。

流石に冷戦が始まって、ソ連から機体の供給を仰ぐ事も出来ず、Yak-3の後継機が問題となります。
そこで白羽の矢が立ったのが、これまたドイツ機でした。
Focke-Wolf Fw-190は急降下爆撃機型のA-4/A-8が協力工場として指定されていたSNCACで生産され、フランス解放当時は157基のエンジンと、127機分の胴体が完成していました。

1945年3月から1946年3月にかけて、これらのパーツを使って、Fw-190A-4/8を組立てます。
但し、エンジンなど殆どの部分はドイツ機と同じオリジナルですが、計器だけはフランス仕様のものを搭載しています。
NC.900と改名されたFw-190は合計64機が生産され、主としてNormandy-Niemenに引き渡されて、Yak-3の代わりに新型の機体が配備される1947年まで戦闘機あるいは偵察機として使用されました。

しかし、Normandy-Niemenの面々にとっては、Yak-3よりは視界が悪くて操縦が難しく、意外にも事故が絶えなかったようです。

この為、1947年になると第1線からNC.900は退き、予備役部隊や研究センターなどで練習任務や連絡任務などの雑任務に就役するようになったそうです。
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使い倒したった [飛行機]

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う~みゅ、結構外堀を埋められてしまった。
まぁ、何とか回避出来そうな気はしますが、他の人の面倒を見ている場合では無いな、こりゃ。

ドイツ人の航空技師Gerhard Fieselerが作った傑作機が、Fieseler Fi156 Storchです。
後縁全体にフラップを設けた高翼単葉の機体に細い胴体を配し、一方で頑丈な主脚を持ち、不整地からも容易に離着陸できるSTOL機の先駆けでした。
ドイツ空軍でも広く使われ、Rommel元帥の愛機としても有名です。

この機体は、チェコの他、協力工場であるMorane-Saulnierでも生産されました。
解放後、それなりに異形の機体にも拘わらず、Bv244と異なり、フランス軍でも引き続き使われ、生産も継続されます。
なお、この機体は空軍では無く、どちらかと言えば陸軍航空隊で直協機として用いられました。
また、フランス軍での名称はFi156からMorane-Saulnierの会社名称であるM.S.500に変更されました。

M.S.500はドイツ製の機体とほぼ同じで、Argus AS410c240馬力を搭載していますが、これの供給が尽きたので、同じく空冷倒立のRenault 6Q233馬力に換装したM.S.501が製作されますが、更には空冷星形のSalmson 9AB230馬力を剥き出しに搭載したM.S.502が製作されて、これが主力の型となります。
イタレリのプラモデルになっていたのもM.S.502です。
これらの型で合計925機が生産され、軍民共用で用いられました。

しかしながら、これらの機体は元のエンジンよりも数馬力~10馬力低くなったため、若干馬力不足気味であり、それを解消するべく、発展型の開発が行われます。
M.S.504は、米国製のJacobs R-755A2空冷星形エンジン304馬力を搭載した試作機で、1機が製作されました。
これを原型機として、同じエンジンを搭載し、各部を近代化したM.S.505が40機作られます。

この機体は、1961年に後継機のM.H.1521Mが就役し、充足する1965年まで用いられましたが、Morane-Saulnierではこれに対抗すべく、水平対向のLycomingエンジンを搭載したM.S.506を2機製作しています。
Fi156は、結果的にフランス軍において第2次世界大戦機の生き残りとしては、20年も使われる息の長い機体となりました。
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最古参と最新鋭 [飛行機]

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今日は早起きして、昨日レビューを受けた案件その2の承認を得に上つ方に説明。
ただ、一番放置してきたシステムの更改案件だったので、思い切り嫌みを言われました。
予算が無いから放置してきたんやないけ、と思いましたけど、それを言ったら御飯の食い上げになるので黙っていました。
が…御陰で午後から仕事をする気力も無くなり、仕事をしている振りだけしていました。
まぁ、こんな日もある。

海外のプラモデルでは、鉄十字はOKですが鉤十字はNGです。
なので、第2次世界大戦中のドイツ空軍機のデカールには垂直尾翼の鉤十字は入っておらず、大抵が白丸とかで代用されています。
今はどうか分かりませんが、鉤十字が入っているのは、日本のプラモデルだけだったりします。

そんな訳で苦肉の策か、ドイツ機でも他の国で使用されていたらその国のデカールが入っているケースも多かったりします。

ドイツ空軍の主力輸送機として第2次世界大戦を通じて用いられていたのが、JunkersのJu52/3mです。
初飛行は1930年代初頭と言う息の長い機体でしたが、ご多分に漏れず、これもフランスで生産されていました。
これを生産していたのはAmiotで、1936年に国有化されてSECMと名を変え、更に戦後は、Ateliers Aeronautiques de Colombesと名前を変えていました。
占領中はJunkersの協力工場に指定され、Ju52/3mの生産を始めます。
解放後、生産されていたJu52/3mはAAC.1と名称を変更し、1945年4月7日に第1輸送航空団の第15飛行隊に配属されたのを皮切りに、416機も生産され、フランス空軍に配備されたほか、うち85機がAir Franceに引き渡されて民間航空の復興に役立てられています。

因みに、フランス空軍に引き渡された機体の中には、遠くインドシナの地に派遣されたものも有りました。
ここでは本来の輸送任務の他、翼下に爆弾架を設置して爆弾を吊し、ヴェトコンの陣地爆撃に用いられた機体もあります。
1930年代初頭に開発された波板張り、主脚は剥き出し、古風な時代遅れの3発機が、です。
勿論、ヴェトコン側に碌な航空戦力が整備されていなかったからこそ出来た芸当ですが、スペイン内戦から10年を経て、再びこの機体が爆撃機として使用されたわけです。

一方でフランス航空産業は最新鋭の輸送機も生産しています。
Breguetは、Blohm und Vossの協力工場に指定されていました。
B&Vで開発されていたのが、Bv.144と言う機体で、設計主任はあの有名なRichard Vogt技師、左右非対称で有名なBv.141を開発した人です。
オーソドックスなようでいて、この飛行機も一癖も二癖もあり、胴体を貫通した高翼式の主翼を太い鋼管桁で連結するフォークトの特徴的な主翼を採用しています。
しかし、この連結した鋼管桁を動かして、離着陸時と巡航時に合わせて主翼の角度を変えると言う、後の米海軍が採用したF-8戦闘機と同じ様な機構を持っていました。
また、内翼後縁には大面積のファウラーフラップを装備していて、STOL輸送機の先駆けと呼ばれる様な機体でした。

降着装置はアメリカ式と呼ばれた前輪式で、しかも姿勢を低く保っていたので、乗客の乗降や荷物の上げ下ろしも負担無く行えるように考慮されていました。
エンジンは1,600馬力のBMW801でしたが、防戦一方になるとこれの供給がFw190に優先されてしまい、この機体への割当が無くなりました。

B&V社でもこの機体よりも開発を優先する機体が出て来たため、下請けのBreguetに開発を委託します。
BreguetではBv244と名称を変更して開発が継続されましたが、サボタージュによりその作業は遅々として進まず、1号機が完成したのは1944年8月、直ぐにドイツ軍が撤退した上、この機体を破壊することが無かったことから、Breguetでは開発を継続し、2号機も飛行しました。
ところが、この主翼を動かすという革新的な機構にフランス軍は懐疑的でした。

結局、折角試作機が完成したものの、それ以上に進まず、開発は放棄されてしまいます。
何十年も前の機体が生産され続け、革新的な機体は放棄される、この時代のフランス航空産業も皮肉なものです。
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節操なき空軍 [飛行機]

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今日は上つ方の面接。
まぁ、一々ご尤もでございます。
てな訳で、ひたすら嵐の過ぎるのを待ち、後は今季の案件その2の資料を作って…ただ、レビューをする暇が無くてどうしようと思っていたら、定時後に暇そうにしていたので飛び込みで上つ方とレビュー。
その前の会議が結構荒れたので、結構突っ込みがありそうな気がしたのですが、2、3の指摘だけですんなり通ってしまいました。
何時もこんな感じなら良いのですがね。

さて、昨日の続き。

1944年、フランスが解放されたとき、本土は既に全土占領されていたため、空軍機と呼べるものは残っていませんでした。
なので、この頃の機体は、連合国からの供与機が中心です。

戦闘機としては、Supermarine Spitfireが8個飛行隊、Republic P-47が6個飛行隊、Bell P-39が3個飛行隊、そして、ソ連で戦闘した部隊が持ち帰ったYakovlev Yak-3が1個飛行隊。
軽爆撃機は、Douglas A-24が1個飛行隊、偵察機はLockheed F-5とNorth AmericanF-6が各1個飛行隊という陣容。
その他、海軍の空母搭載機はSupermarine SeafireとDouglas SBDと言う英米混合の陣容でした。

爆撃機はHandley-Page Halifaxが2個飛行隊、Martin B-26が6個飛行隊、Douglas BostonとNorth American B-25の混成が1個飛行隊、そして、ドイツ軍から接収したJunkers Ju-88Aが1個飛行隊、フランス崩壊前まで使っていたMartin 167やDouglas DB-7の生き残りが1個飛行隊と言う陣容。
海軍の哨戒機部隊は、Lockheed Venturaが1個飛行隊、Vickers Wellingtonが1個飛行隊、Short Sunderlandが1個飛行隊、ドイツ軍から接収したDornier Do.24が1個飛行隊という陣容。

こうして曲がりなりにも陣容を整えたフランス軍でしたが、一頃の航空先進国の面影は無く、国産機が第1線機として復活するには暫く掛かりました。
勿論、フランス崩壊以来、少しずつ航空機の開発は進めてきましたが、戦闘機のDewoitineは対独協力企業として指弾されてしまい、まともに開発が出来なくなりました。

そこで、今までのギャップを埋めるべく利用されたのが、ドイツ軍が自国の空軍機を増強するためにフランス各地で国産化を進めた機体です。

最初に生産を立ち上げたのは、AAB(Atliers Aeronautiques De Boulogne)で生産されていたJu-88です。
Ju-88A-4が16機、まず生産され、後に6機が追加された後、合計83機がAAB-1の名称で1945年9月まで生産され、主にGB 1/31 Aunisにて蛇の目を付けて用いられました。
この中には8機の雷撃機型Ju-88A-4LT、戦闘機型のJu-88C/R、それに夜間戦闘機型のJu-88Gが3機含まれています。

1941年、FalmanはHeinkelの指定工場として利用されることになります。
この工場では、Heinkelの新型爆撃機であるHe-177の開発や生産で手一杯のため、その発展型の開発を任されることになりました。
元々He-177が双子エンジンを搭載した機体で、稼働率が低かったため、その欠点を解消すべく、ターボ過給器付のDB603A-2を搭載したオーソドックスな4発機に改造されることになったのですが、フランスでは開発をわざと遅らせ、結局試作機が完成したのはフランス解放後になってからでした。
Falmanは戦後、AAS(Atliers Aeronautiques de Suresnes)となり、名称もドイツ軍名称からAAS.01と改められます。
資材不足の中、部品を捻出して試作機が2機作られ、1機は普通の爆撃機型のAAS.01Aとして、もう1機は各種テストベッド用の母機、AAS.02Bとして完成し、1945年12月30日に初飛行します。

後者は、胴体上部に櫓を組み、ジェット機の習作としてSNCASOで製作されたSO.M-1を空中で分離する母機として用いられたほか、ジェット爆撃機として開発中のSO.4000計画で用いられるパルスジェットエンジンの空中試験母機としても用いられています。
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鉄十字の蛇の目 [飛行機]

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今日はNegicco姐さんの新譜について書こうかどうしようか迷ったのですが、久々の飛行機ネタにしてみようかと…。
子供の頃、誕生日プレゼントで航空ファンという雑誌を親に買って貰いました。
考えてみれば、おもちゃだとかゲーム機だとかそう言ったお高いものでは無く、1,000円もしない雑誌で籠絡されてしまう私も情けないのですが、まぁ当時は飛行機大好き少年でしたからね。
丁度、転校した頃で、転校先の空には飛行機の「ひ」も飛んでいませんでした。
まぁ、陸自の基地があったのでヘリコプターくらいは飛んでいたのかも知れませんが。

飛行機が飛んでいなかったので、その雑誌を食い入る様に見ていたのを思い出します。
そう言えば、何十年後かに『シュワーおじさん』と言う人のコラムがありました。
航空ファンの創立当時に幹部だった人の思い出話で、米軍施政下の沖縄でシカゴステーキを食べたとか、フィリピンに行って軍の秘密基地に潜入したとか、台湾では丁度亡命してきたMiG-19を独占取材したとかの逸話を持っている人です。
因みに、なんで「シュワーおじさん」と呼ばれていたかというと、英語で何か聞かれるごとに"Sure”で済ませていたからとか。

そんなコラムに、ある男性客室乗務員(パーサー)の思い出話がイラストと共に掲載されていました。
うる覚え(何故か変換できないw)ですが、確か太平洋横断便でファーストクラスに乗っていた人を楽しませようと考えたパーサー氏。
ロープを使った手品を披露しようとして、自分の首にロープを巻き、お客がギュッと締めたらそれがぱらりとほどけてあら不思議、となるはずなのに、結び方を間違えてロープが首に絡まってしまい、ギュッと締められてゲバゲバ状態になったと言う話でした。
そのサービス精神旺盛なパーサー氏こそ、若き日の安倍譲二さんだったりします。
この前の訃報でふとこんな話を思い出しました。
ご冥福をお祈りいたします。

ま、そんな話はさて置き、この雑誌の巻末にプラモデルの広告が掲載されていました。
今となっては垂涎もののオーロラだとか、フロッグだとかのプラモデルの中に、イタレリの1/48スケールの飛行機群の模型リストも掲載されていました。
その中で一際目を引いたのが、M.S.500Cricketという機体。
先日、Flight Rader24と言うWebサイトのメルマガに掲載されていたのが、懐かしのこの機体です。

実はこの機体、Morane-Saulnierが生産した機体ですが、原型機はFieselerのFi156Storchです。
第2次世界大戦中ドイツ軍は、欧州各国を占領すると、そこにある工業基盤を利用して自国の兵器を生産させています。
それは第2次世界大戦前に併合したチェコで始められましたが、占領地が拡がると、航空機産業ではベルギーのSABCA、オランダのFokker、そしてフランスの各航空機会社がそうした生産に参加します。

基本的に第1線機は本国で生産していましたが、後には自国設備だけでは間に合わず、各国に生産を分担しました。

例えば、チェコではBf109、Fw189、Si204、Fi156C、Ar96B、Bu181、更にはMe262など4,147機の機体が生産されています。
特に、Bf109はエンジンをJumo211に換装した型が生産され、1955年まで用いられたほか、イスラエル空軍の最初の主力機としても用いられました。
Me262も余った部品を元に何機かが組み立てられ、試験されています。

オランダはDo24の様な戦前から生産してきた機体の他、Ar196やBu181も組み立てられており、Do24はDo24Tとして154機が生産されました。

勿論、航空先進国のフランスも例外では無く、国有化された各企業で機種が割り当てられました。
SNCASOでは、戦前から生産してきた機体をビシー政権軍向けに生産していたほか、Ju52/3mやFw189を生産しています。
SNCANではDo24やBf108、SNCACではSi204、SIPAではAr.196とAr396。
そして、民間企業のAmiotではJu52/3m、Breguetでは自社の機体の他、Fw189、Bv.144、FalmanではHe274、Morane-SaulnierではFi156が生産されました。

1944年、フランスの殆どの地域は解放されます。
しかし、フランス空軍が復活するには連合国から引き渡された機体だけでは機材が足りず、こうしたドイツ機の生産からスタートしました。

てな訳で、久々の長編ネタスタート。
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成田詣で-雨と嵐とリゾートと(後編) [飛行機]

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流石に今日はのんべんだらりの生活を改めて、早めに起きての生活。
長いことしていなかった掃除機を掛けようとしましたが、電源が入らず、まさか壊れたか、と思ったり。
単に、ホースの接続がきちっと奥まで入っていなかっただけでした。
そんなこんなで、掃除をして、トイレ掃除もやって、やっと人心地つきました。

本来は南風運用だったので、成田にでも出張るべきだったのかも知れませんが。
そう言えば、今日本に、Silver Spitfireと言う、第2次世界大戦中に作られた英国空軍のSpitfire戦闘機が飛来しているそうです。
一昨日千歳に飛来し、昨日は仙台に行くべき所、天候不良で花巻に降りたらしい。
予定では、関東では龍ケ崎飛行場に降りる予定でしたが、大丈夫だったのでしょうか。
丁度台風が来ていたので心配です。

それは兎も角、やっと8月の釣果を整理出来たので貼り貼り。

AuroraのA.319-100。
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初撮りの機体逆サイド。

JALのA.350-900。
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1号機逆サイド。

UnitedのB.777-200ER。
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スタアラ塗装機。

Asiana AirlinesのB.747-400。
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6年ぶりに撮影。

英国航空のB.787-9。
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3年ぶりの撮影。

中国南方航空のA.320-200。
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こちらサイド転がりは初撮り。

この前ソフトバンクに会社を売却した話題の例の人の自家用機。
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内装はエルメスだそうですね。初撮り。

T'WayのB.737-800。
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転がりは初撮り。

大韓航空のB.747-8。
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お盆のホノルル線はA.330からシップチェンジ。

Air CanadaのB.787-9。
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今年2月受領の新造機で初撮り。

MIAT Mongolian AirlinesのB.737-800。
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元々インドのJet Airwaysで運航していた機体で、この会社が破綻してリース会社が引き取り、MIAT Mongolianに今年6月に引き渡したもの。
勿論初撮り。

Easter JetのB.737-800。
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こちらサイド転がりは初撮り。

中国国際航空のA.330-200。
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意外に初撮り。

海南航空のB.737-800。
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これも初撮りの機体。

中国国際航空のB.737-800。
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大連線の機体で初撮り。

Hong Kong ExpressのA.321-200。
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去年9月受領の機体でこちらサイドは初撮り。

Air CanadaのB.767-300ER。
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カルガリー経由の機体。

Pakistan International AirlinesのB.777-200ER。
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相変わらずのレトロ塗装機。

EmiratesのA.380-800。
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Dubai Expo 2020の宣伝塗装機。

Jeju AirのB.737-800。
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英国にあるTui Airwaysからの中古機で今年2月受領の機体。

中国南方航空のA.321-200。
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確か台風だったかでかなり遅れました。

Asiana AirlinesのB.777-200ER。
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スタアラ塗装機で5年ぶりの撮影。
5年前の時はノーマル塗装機でした。

Turkish AirlinesのB.777-300ER。
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夕方光がほぼ無くなってからの撮影でかなり画像粗々ですが初撮りの機体。
珍しくA滑走路に降りてきました。

Qatar Air CargoのB.777F。
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去年9月受領の機体で初撮り。
タグ:飛行機 写真
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ザ・引き籠り [日記]

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今日も引き籠り。
成田には、Orange LiveryのKLMはB.777が飛来したのですが、ピーカンじゃ無いからと忌避したら、今日はある程度のピーカンだったと言うね。
明日も晴れの予報ですが、明日は暑い上に風が強い。
まぁ、南風運用ではあるのですが、ただ、疲弊している千葉県なので、その風で架線が切れると言う事もありそうで、そうなると帰って来られませんから自重です。

ま、大物は昨日飛来したので、明日行っても余り旨味は無さそうですし。

で、今日も引き籠りで、写真を整理する気力も無く、昼前まで二度寝。
朝が寒かったので、早めに起きてしまい、一旦ウダウダして出掛ける気力が起きず、気が付くと寝ていました。
そして、今日は涼しかったので掃除機を掛けようと思っていましたが、その気力すら起きず、結果、ダラダラとYouTubeを見ただけで終わってしまいました。

それにしても、台風がやって来て大変だというのに、NHKのニュースのテロップは未だに千葉の生活情報ばかり流しているような気がします。
九州だったら、九州のローカル情報を流しているのでしょうか。
これが全国に流れているとすれば、「事件は千葉で起きているんじゃ無い!沖縄と九州で起きているんだ!」と叫ぶ様な気がするのですが、どうなんざんしょ。

まぁ、ある意味災害慣れしている西日本地域に比べ、関東地方はそんなに大きな台風被害を受けたことが無かったためか、かなり他人事だったようですし、今でも、関東一丸になって難局に立ち向かうと言う姿勢が見えません。

特に東京がオリンピックで浮かれポンチで、誰も千葉や神奈川の被害に気を配っていないように見えます。
ついでに、都心で無ければ東京では無いと云う感じで、島部の台風被害なんかアウトオブ眼中みたいですし、
今後、東京に今回の様な台風被害が及んだら、周辺地域はどうするんでしょうかね。

強制されて、いやいや人と物資を差出すことになるんじゃ無いかなと思いますし、そうなると、地域と東京の間の関係が更に悪化するような気がして成りません。
これが来年の夏に起きなければいいのですがね。
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休日出勤 [日記]

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折角の3連休、そして、今日は唯一雨が降らない日だというのに、こう言う日に限って配線工事の立ち会いとかで休日出勤を入れてくる。
でもって、立ち会いすると言っていた連中は誰も出ずで、かなりむかっ腹。
予定では22日とか23日に休日出勤して、代休を取得しようと思ったのに、今日が選りに選って働き方改革の代償である年休だから、年休消費を抑えただけに過ぎない。

更に、裏で鯖のメンテを行っていたのだが、鯖の1台が無反応になった御陰で、余計な時間を費やし、結局1日会社に居続ける羽目になってしまった。
例年どおり早めに終わっていれば、そのまま羽田に赴いて新しく引き渡されたA.350-900のJAL向け3号機を撮影出来たし、あわよくば政府専用機も撮影出来たかも知れないのに。

その上、最後にお知らせを直すのを忘れて、家から作業をする羽目になったし。
明日は雨模様、但し、月曜は雨が止むみたいですから、月曜に出張るか迷うところ。
いずれにしても、明日は骨休めです。
出来れば、明日は写真の整理が終われば良いなぁ、と思ったりして。
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