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世の中どんどんバカになる [日記]

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今日は在宅勤務。
因みに、今朝は起きる時間を1時間間違えて、8時過ぎから仕事をしようと机について、ふと時計を見ると未だ7時だったというオチ。
そんな早くから仕事をしたくないし、ちょっとだけテレビを見て、8時前から仕事を始めました。

最近、朝も明るいからすっかり間違えたようです。
何より一頃に比べるとグッスリ眠って、パカッと目が覚めるようになりましたからねぇ。
ただ、1時過ぎには目蓋が重くなって、見ていたページを何度も繰返し見ているなんて事をしていますが。

ところで、昼飯食べながらニュースを見ていたのですが、教員の7~8割が過労死ライン超えの勤務をしているという文部科学省の調査結果が出たとの話が出ていました。
私達の頃は50人学級とかで、8クラスとか10クラスとかザラだったから、担任の先生も1人1人の把握が大変だったと思うのですが、それでも余計な仕事は余り無く、ある程度教えることに集中出来ていたように思えます。

個性的な先生も多かったですし、休日にクラスの生徒を連れて、近くの神社仏閣を巡ったりとかする校外学習的なものを自発的に行っていたりしてました。
主任制が始まってからでは無いでしょうか、教師が激務になっていったのは。

今はそんな事も出来ないのですよね。
ちょっと怪我したと言えば、先生の管理が行き届かないからだとか言って怒鳴り込んでくる親がいたりする訳だし、家庭教育を放棄している親とか、教育委員会とか文部科学省からの余計なレポートを提出しないといけないとか、給食費を滞納する子供への手当とか、雑用を全部押し付けられている。

結局、現場に人が少なすぎるんですよ。
IT専門家や元警官、体育関係の人間の様な専門家を多く雇って教師のサポートを行う、学校事務とかは1つの学校で完結させるのでは無く、バックオフィス方式で集約しても良し、営繕や給食の様な部分は役所の他の部署が担うなどして、教師を雑用から解放して、クラスの経営に専念させるべきじゃ無いですかねぇ。

確かに、オンライン授業とか或いは録画授業にしてしまえば、教師の負担は減りますが、考える力や生きる力と言うものを育む事が出来ないのでは無いでしょうか。
頭でっかちの情報だけ詰め込んで、それを咀嚼し、利用する術の無い人間が大量に世の中に吐出される。
そして、そんな人間だと社会生活がからっきし駄目と言うケースも多いですから。
8050問題なんてのもあるし。

そう言えば、教室にITを取入れて以降、自分の頭で考えず、また辞書を引くことも無く、出された問題はネットで検索して答えを出す子供ばかりになっているそうです。
そうしたIT機器の活用を禁じたら、若手教師から嘲笑されたそうな。

Chat GPTにしてもそうですが、機械に人間が使われる時代がもうすぐそこに来ているのでは無いでしょうか。
人間が機械を使うのでは無く、機械に使われる、正にモダンタイムスの世界です。
あれよりももっと酷いかも知れません。

そうすると、社会の進歩は止まり、ただただ退化する一方になりますね。
幾らAIが発達したとは言え、最初に機械に対して情報を与えるのは人間の役目だと思います。
それは甘い、既に機械が自動的に人間の思考を学習して、自己発達させる時代がやって来ると言う考えもあるでしょうが、過去の情報を元に、それを新たな領域に拡げて行く想像力が果してAIにあるのだろうか。

膨大な情報を蓄積してはいるものの、それは過去の情報であって、それからの応用だけでは新しい考え方が生じないのでは無いかなぁなんて思うのですが。
人間の思考って、稀に突飛なことを思いついてやったりする訳ですし。
そうした突飛なことをAIが行えるのかなぁ。

今の歯止めの無い状態だとそのうち、そこにまで羽を広げそうですけどね。
そうすると、人間の存在価値って何でしょうか。
特に考える事を放棄した人間に存在価値があるのかと言うね。

案外、先進国の人間は死滅し、発展途上国の人間が生き延びるのでは無いかなぁなんて、ディストピアの世界を想像してしまいます。
終日、ビジネス文書と格闘していたので、こんなお題しか思い浮かびませんでした。
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