チコさん [日記]
今日も出勤で帰りは工事の立会い。
引っ越した事務所の配線撤去作業だったのですが、敷設した当時、面倒だったのか空きフロアだった場所のEPS室にとぐろを巻いて置いた配線が引っこ抜けず、かと言って、お仕事中のフロアに入ってEPS室を開ける訳に行かず、結局、完全撤去が出来ずに諦めました。
まぁ管理会社の人も立会っているので、またぞろ、撤去しろと言い出さない事は無いと思いますが。
そんな訳で、家に帰り着くと雨が降ってきていました。
もう少し早く帰る事が出来れば、雨に降られずに済んだのですが…。
さて、今日のヤホーニュースを見ていたら、阪急ブレーブスの名物通訳だったバルボンさんがお亡くなりになったと言うのが目に留まりました。
今のように外国人選手が日本の球界に注目していなかった時代、ともすれば、札付きの外国人や来日したりしていた頃に、当時としては珍しい中南米の野球王国であるキューバから来日して、選手として活躍し、引退後は通訳として阪急の黄金時代を支えました。
特に米国一辺倒だった外国人選手の中で、阪急ブレーブスは異色で、今の広島カープと同じ様に結構中南米選手を取ってきていました。
中南米選手も、3~9月は日本で稼いで、10月以降は自国のウィンターリーグで活躍してと1年中稼ぐ事が出来るので、何人も来日していたように思います。
その中で特に光ったのがマルカーノ選手でしたね。
阪急の黄金時代を打の面から支えた選手で、彼の脇には必ずバルボンさんの姿がありましたっけ。
通訳としてはお世辞にも判りやすい伝え方では無く、うちの親父なんかは「バルボンに通訳がいる」とか言ってましたっけ。
そう言えば、マルカーノも早くに亡くなったし、アニマルも早くに亡くなったなぁ。
ブーマーはまだ生きているようですね。
彼の側にいたのもバルボンさんでしたね。
しゃがれ声で、早口の喋り口調は一回聴いたら忘れられません。
愛称チコさん、ご冥福をお祈りします。
それにしても、私の知ってる黄金期のブレーブス選手達も大分鬼籍に入りました。
ブレーブスも遠くになりにけりですね。