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抗日戦争と私 [読書]

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今日も在宅勤務。
色々あって、やっと今週が終わったって感じです。
しかし、かなりの課題を積み残したままですが。
取り敢ず、明日はエビ中ではっちゃけてきます。
ただTEAM SHACHIでコロナ感染があったのが気になるところですが。

さて、今日は御不浄で読んでいた本。
『抗日戦争と私 元人民日報編集長の回想録』(李荘著/日本僑報社刊)
題名通り、人民日報立ち上げ時に首席記者として活動し、1986年には人民日報総編集という高い地位を得て党中央委員まで上り詰めて引退し、2006年に死去した人の回想録です。

この本では、彼の生まれから1949年の中華人民共和国の建国までを取り上げていますが、実際にはこの後、大躍進政策やら文化大革命、そして四人組失脚から2000年に至る頃までの記述もあり、紙幅の関係から後半は完全にオミットされています。

と言うか、どちらかと言えば日本人としてはその辺の内部闘争の部分を読んでみたいなぁと言う欲求はあったりするのですが。

昨今のような毛沢東礼賛でなく、骨のある記者だからこそ、幾ら建国の父である毛沢東の政策でも、駄目なものは駄目と言い続け、文革の時には人民日報内で8度に亘る大規模な批判大会に引き出されたり、記者や編集者を解任されて新聞用紙運搬や図書館での便所掃除など約10年に及ぶ肉体労働を余儀なくされたそうです。
また、朱徳元帥や鄧小平、林彪などの大物幹部の失脚、同僚達の転向や自殺、非業の死を見続けていた大変な時代でも自分の考えはほぼ曲げることが無かったのは、若い頃から人民に奉仕することとは何か、と言うのを考え続け、常に庶民の側に立とうと、終生一記者として仕事をしようと考えていたからかも知れません。

本書でも色々と心の揺れの描写があったりするのですが、そうした繊細な部分も描かれています。

元々地主階級の出で、堕落した実家を嫌って家を飛び出し、山西省の閻錫山影響下の雑誌社に入って記者活動を始めたこと。
ただ、閻錫山影響下と言えど、その内部は共産党の細胞が浸透しており、彼も感化されて共産党に傾倒して日中戦争勃発後に入党するのですが、入党後もどうすれば良き党員となるのか、と言うのを純粋に考えています。
そして、地主階級出身というのを引け目に感じているのがよく判ります。

その後も山西省、河北省、河南省の抗日根拠地を根城に記者として、また編集者として仕事を続けていきますが、その中でも朱徳の独占取材をしたり、劉伯承とその相棒だった鄧小平の知己を得、共に抗日戦争を戦ったりと各地を紅軍と共に転戦しています。

日中戦争については、常に日本軍が破竹の勢いで勝利していることだけが日本では描かれていますが、実際には日本は点しか支配できず、面は中国側が支配していました。
幾度も日本軍は紅軍に戦争を挑みますが、紅軍は庶民を味方にしているので情報は筒抜け、初期の頃こそいくつかの軍の殲滅に成功しますが、末期になるほどゲリラ戦で体力を消耗していきました。

記者活動は大体が後方での取材であるのですが、日本軍の勢いが強いときには前線に放り出される事もあって、戦場で迷子になり、味方に遭って司令部の方向を教えて貰う事も屡々。
また年中物資不足に見舞われていますが、雑穀であっても食糧は農民達が供出してくれるので、余りひもじい思いをしなかったことも書いてます。

こんな軍と戦うのですから、苦戦するはずでは無いか、と思ったりして。

日本降伏後は、劉鄧大軍に属して国共紛争を戦い、遂に北平に入城し、国民党機関紙のビルを接収して人民日報を立ち上げ、各地から集まってきた要人たちに取材する機会に恵まれました。

面白かったのは国旗の制定過程で、五星紅旗は最初黄色い線が入る予定だったのに、張治中が国家と革命を分裂する様に見えると反対し、結局現在の図案に落ち着いたり、5つの星の解釈についても共産党とそれぞれの階級を表すとしていたのが、社会主義で階級が無くなると星の数を変えるのかと言う意見が出て、人民の大団結を表すと言う風に改めるなど、談論風発の有様を書いています。
正に新国家が成立するときの息吹が感じられます。

これらの過程も面白かったのですが、後半分もいつか読んでみたいと思ったりします。
ただ、今の中国の状況で後半部分の訳出を出版するのは至難の業かも知れませんね。

抗日戦争と私

抗日戦争と私

  • 出版社/メーカー: 日本僑報社
  • 発売日: 2012/11/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:日記 雑記 読書
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