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粗製濫造 [日記]

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昨日痛かった肩。
今日起きたら大分マシになっていました。
やっぱり気温が関係するのかなぁ。

そして、今日から2月です。
まぁ正月から大地震やら航空機事故やら慌ただしかったですからね。
何かのんびりしたお正月気分が全然無かった。

能登の大地震から1ヶ月、報道機関は1ヶ月経過したと言う事で被災者達のつらい記憶を穿り出すのに必死です。
毎回毎回、ニュースショーのためにお涙頂戴のストーリーを求めるのな。
安易な視聴率稼ぎがここでも猛威を奮っていると思うと、とてもじゃないけどテレビを見る気が失せます。
だから、テレビはオワコンなんて言われるんですよね。

一昨日の大発の話に通じるところもありますが、何かを生み出すためには必ず同じだけの手間が掛ります。
ドラマでも同じで、プロットが先ずあって、それを下敷きにして脚本が作られ、演者がその脚本を元に演技をするわけです。

最近はオリジナルの脚本というのが少なくなりました。
必ず何かしら原作があって、それを下敷きにする事が多い。
ただ、それを尊重して原作に忠実にするとか、少なくとも何かしらのリスペクトをもって、目立たないところを改変するとか言う事が最近は余りなく、原作のネームバリューだけを元に、中味を換骨奪胎して、全く別の作品に仕立て上げる事が多い。

だから、ドラマを見て興味を持って原作の本を買うと余りの違いにビックリすると言う話が出て来たりするわけです。
少なくともここ数年でしょうか。

多分、コンテンツとは名ばかりで映像作品そのものが消費財になってしまっているので、AVの様に次から次へと作品を作り続けないといけないのでしょう。
なので、安易に漫画なり小説なりを物色して、次から次へと粗製濫造するのでは無いかと。
結果として視聴者とそのコンテンツを送り出すメディアとの間に溝が出来てくるのでしょうね。

映画全盛時代も粗製濫造と言われていた訳ですが、まだ今ほど技術が進んでいないため、短期間で撮影する訳でも無く、後の製作にもそれなりの時間を掛けていた筈です。
今はデジタル化が進んで、撮って出しが直ぐに出来てしまうし、デジタル合成の技術やCGの御陰で、制約が無くなってきている様に思えます。

その上で粗製濫造しないといけないので、今後、作家と制作者側の溝がどんどん拡大するのでは無いかと危惧します。
今後、ちゃんとした作家は、自衛のためにも弁護士を立てて法的な拘束力を持つ契約書の作成に切り替わっていくのでは無いでしょうか。
そうなると制作側はおいそれと改変することが出来にくくなりますし、本来はそうした方がいいのでしょうね。

一方で、作家側も日本のコンテンツ業界に見切りを付けて、他の国のコンテンツ業界と作品作りを共同で行う方向になっていくのでは。
そうなると、日本の作品なのに、高い放映権料を出して作品を買って放映しないといけないなんて本末転倒な事が起きるのでは無いかな、と。

まぁ、ある意味、これも日本のコンテンツ業界の後進性を露わにした案件だったのでしょう。
せめて、作家さんが泣き寝入りしない様な体制作りこそが、今後の日本の成長には必要なんじゃ無いかと思いますけどね。
文化行政が貧困なわが国ではこれも叶わぬ夢なのかも知れません。
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