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ズームイン!! [鉄道]

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今日は目が覚めたら8時前。
御陰で何時もの1本後の始発電車に乗ったのですが、降車駅で降りたら結構な人波。
時差出勤と言っても、1時間遅れただけで、人の波は大して変わり有りません。

明日は術後1年経過後の検査で病院に行く事になりました。
腹部エコー検査を受けて、来週は診察です。
それなりに安定しているので、何も無いことを祈ります。

で、阪急、阪神、山陽と来て、次に取り上げるのが関西にいた頃、毎週のように行っていた南海電車。
関西に住んでいた頃は写真という趣味はお金が掛かるので全くやること無く、読書とプラモ三昧の日々でした。
まだデジカメは画素数が200万画素程度が精々と言う時代で、銀塩写真には太刀打ち出来ませんでしたし、高速被写体を撮影するにも向いていませんでした。
考えてみたら、勿体ないことをしたものです。

そしてプラモ。
年代によって変遷はありますが、子供の頃は自動車の延長で1/35の戦車模型に嵌まり、次に1/700のウォーターラインシリーズに嵌まっていました。
小学校の頃、近くに外国製模型を取り扱うプラモ屋さんがあり、武庫之荘に住んでいたときには友達に模型屋さんがいて、環境は整っていましたね。
その頃流行っていたミニ四駆とかには目もくれず、ひたすらスケールモデルと格闘の日々でした。

ただ、生来の不器用さで、耐水ペーパーやパテ埋めの技術は余り良くならず、ひだすら筆塗りで誤魔化してましたっけ。
ウォーターラインの次は、1/72の飛行機模型が主で、国産各メーカーのプラモだけで無く、エレールのMiG-19やエアフィックスのMosquitoなんかに手を広げていました。
そうこうしている内に、東欧諸国が開放され、ソ連が開放されて、その昔、英国のフロッグが出していたキットをソ連のNovoと言うメーカーがリメイクして販売したりして、珍しい機体が次々に出て来ました。
そうしたキットを買い漁ったものです。

しかし、製作が追いつかず、どんどん積ん読状態になってしまい、東京に来てからは更に拍車が掛かり、とうとうクローゼットいっぱいに模型の箱が並ぶ始末でした。
親が来るときに一度断捨離して、ほぼプラモは消滅してしまいました。
それを機会に足を洗って、今はプラモは全く作らなくなりました。
結局、冬は寒い中窓を開けて換気をしながら塗装をしたりして、また組み上げると飾る場所を取ってしまう事になるので、狭い家だと中々飾る場所がありません。

前置きが長くなったのですが、最初に外国製模型に触れたのが運の尽きで、国産ものが無くとも外国製を漁ればいいや、と言う悪知恵?がつき、様々な場所にそうした模型屋を開拓するようになりました。
三宮はセンター街の模型屋さんはその1つですが、あそこは一番よく通いました。
会社や大学の帰りに気軽に寄れた店でしたからね。

その後、森ノ宮とか西九条と言った大阪環状線、地下鉄沿線に進出し、更には堺東にあった模型屋さんにも足繁く通うことになりました。
まぁ大体、休日のルーティンみたいなもので、10時頃に家を出て、森ノ宮か西九条のどちらかの模型屋さんを覗き、堺東に行って、帰り掛けに残りの模型屋さんを覗き、西九条だったら伝法線で尼崎まで行って家に帰る、森ノ宮だったら大阪で降りて、旭屋書店や紀伊國屋書店を冷やかして家に帰ると言う経路で遊んでいました。

で、堺東に行くのに使ったのが南海電車です。
西九条に寄ったら新今宮から乗り換えて堺東、森ノ宮に寄ったら、難波に出て堺東に行くことが多かったので、本線の普通車に乗ったことはなく、ギラギラとしたセミステンレス車体の車輌に乗るばかりでした。

当時はステンレス車体第1世代の6000系や6100系が主に運行されていて、急行としてズームカーが走っていました。
大体、ステンレス系統に乗る事が多かったですが、早く行きたいときには急行に乗らざるを得ない。
急行は高野山方面に行く人が多いので、常に混んでいる印象がありました。
まぁ、両数も少ないし、編成長もステンレス車に比べると短いですからね。
他に泉北高速線の車輌にもよく乗りましたね。

阪神や阪急の電車に比べるとズームカーはレトロな印象でした。
中でもスピーカーは模様が入っていて、年期が入ってるなぁと言うもの。
独特の調子でアナウンスをする車掌が多くて、駅名を把握するのに苦労しましたっけ。

東京に出てから、東急車に乗ることも多かったのですが、東急車に乗ると、南海電車とうり二つで、懐かしさを感じたものです。
特に東急6000系、7000系と8000系はそんなデジャブ的な感じを受けました。

今では東急電鉄の車輌は大分モダンなものに置き換えられていて、最後の牙城が田都線の8500系ですが、それも崩されつつありますね。
南海の方は、相変わらずセミステンレスの6000系とその近代化版の6300系が未だにのそのそと走り回っています。
流石にズームカーは置き換えられましたし、今では本線と共通の車体を有する系統も多くなりましたが。

最近は、関空詣でに行くのに本線系統にお世話になるばかりです。
6100系の普通鋼版である7100系が消えて、随分とこの会社の車輌も垢抜けるようになりました。
その昔は、百鬼夜行的に支線の釣り掛け車が行き交っていたのですが。
タグ:南海 鉄道
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ガタゴト電車 [鉄道]

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今日からお仕事。
それにしても、どんどん包囲網が狭まってきている様な感じがするのは気のせいだろうか。
取り敢ず、今日は派遣法についてみっちり習ってきました。
何しろ、派遣契約で人を雇うのが初めての経験なので、色々と学ばないと変な事になってしまいますからね。
で、引っ繰り返されたりしないでも無い。

さてと、一昨日、昨日と阪神の私鉄について書いてきたのですが、大阪や京都方面の電車には余り縁が無く、京阪電車や近鉄電車は余り俎上に上りません。
まぁ近鉄は、名古屋や名張の親戚に行くときに特急に乗るくらいなもので、それ以外の電車には全く縁がありませんでした。
また神鉄も余り縁が無く、年に1、2回、叔父さん一家に付いていって有馬温泉に出掛ける時くらいしか使いませんでした。

地下鉄も、大阪市営地下鉄も難波に行くときくらいしか使わず、神戸市営地下鉄も学生時代、名谷まで開通した当初に少しだけ通学に使ったのですが、当時は各駅停車しか無かったので、時間的には阪神~神戸高速に太刀打ち出来ず、結局止めてしまいました。

逆に学生時代に電車通学をする様になってから、よく使っていたのが山陽電車です。
阪神電車で高速神戸や新開地まで行くと、阪急六甲(後に三宮)、あるいは阪神大石発の特急のどちらかに乗れましたし、時間に余裕があれば、普通電車でのんびり行くと言う選択肢もありました。
帰りは東須磨始発の特急が夕方ラッシュ時に走っていて、これに乗ると乗り換え1回で帰れるので重宝していましたね。

特急に使われていたのは、クリームと濃紺のツートンカラーの3000系かアルミ地肌にオレンジラインの3050系のどちらかでしたが、更に古いレッドラインの3000系試作車が入ることもありました。
普通は更にバラエティに富んでいて、特急同様の3000系が用いられる事も有りましたし、それより1世代古い2000系や2700系になることもありました。
余談ですが、私鉄でアルミ車体を導入した一番最初の鉄道は実は山陽電車だったりします。
今は堂々6両編成が疾走していますが、当時は特急と雖もまだ4両編成で、普通は3両編成または4両編成。
そしてツートンカラーの車輌は、途中に旧型電車を改造した付随車を連結していたので、他の3両は両開き扉なのに、その車両だけ片開き扉というチグハグな編成でした。
そう言えば、都営新宿線の車輌も一時期1枚窓の電車の中に2枚窓の電車が組み込まれていたりしましたっけ。

特急電車は流石に全車両冷房車でしたが、普通は同じ顔つきなのに、時々非冷房車がやって来る事がありました。
そして、2000系は非冷房車。
夏になると、窓が全開ですが、一応海沿いを走るので風が心地よかったりします。

もっとも、ライバルの国鉄そして後のJRでも快速電車ですら、非冷房車がやって来る事を考えると、中小私鉄の特急電車で冷房車だというのは凄いことだったりします。
そもそも、関東の大手私鉄は当時、未だに戦前に製造されたお古の電車を後生大事に使っていた訳ですから。

車内の造作は阪急電車よりも寧ろ阪神電車に似ていました。
ただラインデリアが無く、冷房設備は阪急の5000系に似ていたような気がします。
冷房を使い始めの時は、黴臭い匂いがしてましたね。

当時は板宿と東須磨の間が地下化される工事の最中で、神戸高速鉄道から山電の路線に繋がる際に、無茶苦茶急カーブでガタゴトガタゴト言っていた様な記憶があります。
で、東須磨から須磨まではレトロな駅舎が続き、須磨から人丸前までは風光明媚で瀬戸内海が見える場所を走っていましたっけ。
まだこの頃は淡路の大橋が工事中で、何時繋がるんだろ、と思っていました。
また、明石手前にある人丸前という駅の名前はインパクトがありましたが、その由来が柿本人麻呂に因むと言う話を聞いて驚いたりしましたっけ。

毎年時の記念日になると、この近くの明石天文科学館がニュースに出て来て、その袂を走る山電が映っていました。
今はこの辺りも高架になってしまいましたが。

国鉄が分割民営化されると、速度とサービスが段違いに良くなり、結局、私もJRに乗り換えてしまいました。
その後、山陽電車に乗る機会は余り無かったのですが、震災後、直通特急というのが走り出すと、5000系が投入されて、阪神の線路にも山電が姿を見せるようになりました。
その時、阪神電車には無かったセミクロスシートや転換クロスシートを備えていたので、羨ましく思った覚えがあります。
今は中小私鉄とは言え、大手私鉄と遜色ない電車が走っていますね。
ただ、明石を超えると相変わらずの沿線風景ですが。
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ダイヤモンドクロッシング [鉄道]

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掃除機を掛けてトイレ掃除をして、と何時ものルーチンワーク。
そして、モニター周りはやる気が無くてそのまま。

終わってからはエビ中のライブ映像を流しつつ、今日はテレワーク。
明日からの会議資料を整理しておかないと後が大変です。
いや、参った参った。
取り敢ず、1つの仕事は片付けたが。

時に、昨日阪神電車の懐かしい話を書いたので、今日は阪急電車の懐かしい話を書いてみる。

今ではどうか分かりませんが、阪神地区では路線に応じて何となく格があって、阪急沿線より北が一番金持ち層が住んでいる地域、そこから下、国鉄(JR)までが中間上層、そこから下、阪神までは中間層と庶民層の混住地域、阪神から下は庶民層の住んでいる地域という感じで分かれていました。

私が学生時代、まだ高度経済成長の余韻が残っていて、「公害」と言う言葉が残っていました。
尼崎は「公害の尼崎」というネガティブなイメージがあったので、尼崎でも阪急沿線に住んでいる人達は、自分が住んでいる地域を指すのに「尼崎」と言う言葉を使わず、最寄り駅の「武庫之荘」を多用していました。
学生時代は武庫之荘の賃貸マンションに住んでいたのですが、貧乏でそこを出ざるを得ず、仕方なしに安アパートに住んでいましたが、それでも頑なに尼崎では無く「武庫之荘」でした。

阪急電車と言えば、昔から変わらず、一枚下降窓で車体色はマルーン、車内は木目調の壁にベージュの床、そしてゴールデングリーンのシートです。
かと言って、古さを感じさせる色味でも無く、余り気になりません。

私が大学生になって、電車通学をする様になってから10両編成が登場しました。
何しろ、8両編成の電車だと特に大阪方面行きが殺人的な混みようでしたから、10両編成になったのも頷けます。

子供時代は西宮に住んでいて、西宮北口が最寄り駅でした。
まだ当時は阪急電車は殺人的な混みようでは無く、今津線は4両編成での運行、神戸線の特急も6両編成で運行していましたっけ。

そして、今津線は今と違って今津方面、宝塚方面に相互直通していました。
今となっては、宝塚方面に行くのに今津線とはこれ如何に、なのですが、そもそもが直通していましたからね。

普通、こうした直通をするのは京王井の頭線と本線が交叉する明大前の様に片方が高架になって、もう片方は地上を走ると言う様な立体交差にするのが一般的ですが、阪急はそうでは無く、神戸線に直角に今津線の線路を通すダイヤモンドクロッシングと言う方式を採用していました。
よって、その双方のホームは地上で乗り換えが出来ました。
改札に向うのは上に上るのでは無く、下に下がる感じの地下通路で結ばれていました。

今のように人をやったらめったらに歩かせるのでは無い、浅い地下通路でしたね。
地下通路と言えば暗く湿った感じのイメージですが、この辺は阪急の拘りなのか、広くて明るく、そのまま改札の出口に続いているので、自然光が入ってくる感じの通路でした。
通路を歩いていて、たまたま上を電車が通ると、「ガタタン、ガタタン」という独特のジョイント音が響いていましたっけ。

残念ながら、ラッシュ対応で電車の編成長を増やす際に、ダイヤモンドクロッシングは邪魔になり、かと言って、神戸線を高架にするには費用が掛かりすぎ、今津線は高架にして直通させるには北と南で収支が余りにも違いすぎるので、分断することになりました。

結果、駅舎は高架上に作られ、ホームとの連絡は地上では無く、一度階段を上ってからになって、バリアフリー上どうなのよ、と言いたい代物になりましたが、小林一三翁が生きていたら何と言ったでしょうね。
それ以後、阪急電車の格が落ちたような気がするのは気のせいでしょうか。
心なしか、内装の木目調も色褪せたように思えます。

それからバブルに掛けて、阪急電車は結構迷走していましたね。
車体色も変えるとか言い始めたこともあったし。
今は原点回帰して元に戻りつつありますが。
良い意味で、古いものは捨てて欲しくないです。
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赤胴車、青胴車 [鉄道]

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今日は成田に行こうと張り切っていたのですが、早朝に起きたら現地は雨。
一気に行く気が失せ、結果、10時半までガッツリ寝てしまいました。
で、そんな日に限って、Garuda Indonesia Airwaysでは何時も飛来している機体が定期検査だからなのか、日替わりで変わった機体がやって来て、今日はレトロ塗装機が飛来、SASはA.330-300がシップチェンジでやって来たり、韓国線や中国線がほぼ最後の飛来だったりとまぁ盛り沢山だったようです。
起きたら曇りでしたが何とか天気は保っていたようでしたから、出掛ければ良かったです。
少なくとも屋内では無いし、吹き曝しの場所ですからウィルスも拡散されてしまうだろうし。

そんな訳で、今日はエビ中の期間限定映像をボケーッと見て、ばっしょーの瀬田さん回を見て、写真を整理するかとソフトを立ち上げたけど結果、何もせず。
折角の休みも何をしていることやら、です。

明日は雨だし、また太るぞ。

ところで、3月14日から各地の鉄道ではダイヤ改正が行われます。
SRに関しては毎回ダイヤ改悪だったのですが、今年に関してはその姿勢を改めたらしい。
まぁ休日昼間の12分サイクルは変えるつもりは無い様ですが、ちゃんとした12分サイクルに変えたので、歪な形でのダイヤにならず、覚えやすくなりました。
出来れば、バスと連携して電車の12分サイクルの間にバスの12分サイクルが入れば、赤羽駅まで6分間隔での運転が実現するのですが。

でもって、平日朝には鳩ヶ谷始発が1本増えましたし、夜でも悪名高き19時台の王子神谷行きが消滅して直通の本数が増えるようです。
帰りの電車もほぼ5分間隔になるので、割と使いやすくなったのでは無いでしょうか。
と言うか、やっと遅れが日常になっていたのを認識したか、と言う感じです。

で、ダイヤ改正と言えば、阪神電車では新車に置き換えられて、1960年代から作られ続けていた普通用の青胴車、別名「ジェットカー」5000系と優等列車用の赤胴車7600系が消滅します。
以前、深江に住んでいたときには通勤や通学でお世話になっておりました。

丁度、引越しした年くらいから赤胴車にモダンな1枚窓の8000系二次車が投入されて、阪神のイメージが変わったのですよね。
以前にも書いた様に、赤胴車と言えば夏の冷房が効きすぎると言うのが有って、海水浴で九死に一生を得た須磨から帰るときに、冷風に当たりすぎて風邪を引いた思い出があって、赤胴車の旧車にはトラウマがありました。

8000系二次車が投入されてからは、旧来の赤胴車が来たらゲンナリしたものでした。
それでも、東京に来てからそれ以下のクオリティの電車(例えば、京王の6000系とか東急の8000系とか東武の8000系とか)に乗る事が多くて、今更ながら関西の電車の質の高さに驚きましたっけ。
何しろ、京王の6000系とか東急の8000系は1枚窓なのに、窓が常にばたついて隙間風が入ってくる電車でしたからね。

それに比べ、阪神の赤胴車は旧型の2枚窓の電車であっても、窓のバタつきはそんなに感じませんでしたし、車内も静かでした。
ただ冷房が効きすぎるのだけが玉に瑕でしたが、東急8000系の冷房に扇風機よりは遙かに優しかったように思えます。

そして、青胴車。
今でこそ阪神電車の普通は4両編成で走るのが普通ですが、私の学生時代、21時を過ぎると普通は2両編成で運転されていました。
なので、新しめの車輌以外は、昼間に乗ると2両目と3両目の間に運転台が向かい合っていて、それの速度計とかを見るのが楽しみでした。

阪神電車の路線は駅間が短いので、赤胴車と同じくらいの車内設備で冷房があっても(そう言えば、関東の電車はかなり最近まで地下鉄を中心に非冷房車が多かったのですが、阪神はその頃には100%冷房を達成していましたね)頻繁にドアが開くため、そんなに寒く感じたことはありませんでした。

深夜放送時代の鉄腕!DASH!!で取り上げられましたが、あの最初にボロ負けした競争の舞台はうちの近くでしたっけ。
あの放送でもあった様に、駅間が短い上に速い速度で頻繁に運行される特急車を躱すために、異様な加速度の電車でしたから、乗っててもそんなにイライラすることがありませんでした。
関東の電車に乗っていると、目の前に電車が見えていて、手前で止まって、ゆっくり動いてみたいな感じで運転しますが、目の前に見えても、直ぐに視界から消えるくらい加速度が早いですし、待避設備も十分に備わっていたので、神戸から芦屋まで特急に乗っても、三ノ宮の手前以外では待たされることがありませんでした。
三ノ宮では3番線に快速急行が停車していれば、それの入線と出発で待たされましたけど。

今は高速神戸が始発駅ですが、当時は元町が普通の始発駅でした。
そう言えば、当時の阪神春日野道は地下に強引にホームを作ったためにホームの幅が狭く、2人並ぶと線路に転落しそうな程でしたっけ。

就職したとき、春日野道が最寄駅でしたから、先輩に「このホームを走れれば一人前」とけしかけられた思い出もありましたね。
今ではちゃんと2本のホームが作られているそうですが。
元町までの定期を買って、三ノ宮で降りて、ジュンク堂書店とか模型屋さんとかを巡って、元町から帰ると言う事をよくやってました。
来る電車に乗れば芦屋で降りるか、深江で降りるかすれば良かったので。

青胴車に乗ると、途中御影で抜かされるのですが、加速度が良かったこともあって、実は特急で芦屋まで出ようが、普通に乗って深江で降りようが、余り時間差は無かったです。
残業で夜が遅くなると、三ノ宮の店は大体20時前後で閉まってしまうので、春日野道から普通に乗って帰っていました。
ただ、慌ててホームに降りたときの山陽電車の阪神大石行きが来た時の失望感たるや…。

何時しか21時以降の2両編成は無くなり、旧型の赤胴車も伝法線に追いやられ、難波線が開通するとそこから更に武庫川線に転じ、辛うじて生き延びていたのですが、それも無くなります。
芦屋の高架から深江まで一気に走り抜ける電車も今は昔ですね。

てな訳で久々に鉄道話を語ってみました。
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洒落にならない [日記]

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昨日、埼玉県の警察官がコロナに感染したとの報道がありましたが、その警察官の勤務地が武南署。
うちの最寄り駅の目と鼻の先にある警察署です。
と言う事は、もしかしたら朝晩、鳩ヶ谷駅ですれ違っているかも知れませんし、昭和橋の交差点でねずみ取りをしていた際に横を通ったかも知れません。

警察官なので、色々な人と接するのが仕方ないでしょうし、感染する可能性も極めて高い確率だと思います。
それにしても、選りに選ってうちの市内、目と鼻の先で発生したのは吃驚です。

まぁ、2週間何も無ければ良いのでしょうが、無自覚の侭、感染を拡げている可能性も否定できませんし、さて、どうしましょうか。
明日、韓国線と中国線、米国線などの最後の見送りに行ってくるかどうするか、悩みどころです。

週末行かないと、週明けからは3分の1くらいにまで減ってしまいます。
全く、どこの地方空港かと見紛うばかりですね。

来週は桜が開花するとのことですが、折角の桜も、撮影する飛行機が少ないのでイマイチ食指が動きませんね。
やれやれ。
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成田詣で-行ったつもりで(その6) [飛行機]

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昨日の体調不良が尾を引いて、今日はお休み。
どうも季節の変わり目になると体調を崩す感じです。
昼過ぎには大分体調も戻ってきて、そう言えば今日で薬がなくなるのに気が付いて、外出。
待ち時間の長い医者に行ってきました。

15時前に出て、16時前に到着したのですが、かなりの人が待っていました。
平日の午後にも拘わらず、この人の多さは何だろう。
ま、人のことは言えませんが。
で、恐らく2時間待ちだろうな、と踏んで、遅めの昼ご飯でも食べに行こうかと思ったのですが、受付の人がいかにも早く順番が来るような口調だったので、待っていましたが、一向に順番が来ません。
こんなことなら、一度出張って遅めの昼ご飯を食べに行けば良かったです。
ついでに、銀行にも行けただろうし。

で、18時過ぎにやっと順番がやって来て、ひとしきり医者と喋って処方箋貰って帰ってきて、地元の薬局で処方薬を貰う。
木曜で川口の医者は休診日だったので若しかしたら休みかと思ったのですが、やっていて良かったです。
明日はリハビリに行って来て、土曜日に米国便が縮小される直前の成田にでも行ってこようと思います。

ところで、この前のHDD故障騒ぎで編集が出来ていなかった去年9月の写真整理がやっと出来ました。
ただ、全然手が付いていない同じ9月の関空詣での写真があったりします。
取り敢ず、復旧できたものを貼り貼り。

FedExのMD-11F。
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元Swiss International AirlinesのMD-11で4年ぶりの撮影。

UnitedのB.777-200ER。
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離陸は4年ぶりの撮影。

AuroraのA.319-100。
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こちらサイド離陸は初撮り。

澳門航空のA.321-200。
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愛称はFortune。
澳門歴史城区記念塗装機となってからは初撮り。

ANAのB.737-800。
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5年ぶりの撮影。

Jin AirのB.737-800。
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3年ぶりの撮影。

ANAのB.787-9。
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こちらサイド転がりは初撮り。

ANAのB.767-300ER。
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こちらサイド転がりは2年ぶりの撮影。

JetstarJapanのA.320-200。
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こちらサイド転がりは2年ぶりの撮影。

JALのB.737-800。
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こちらサイド転がりは初撮り。

UnitedのB.777-300ER。
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2年ぶりの撮影。

同じくB.787-9。
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初撮りの機体逆サイド。

ANAのB.767-300F。
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2年ぶりの撮影。

ANAのA.321-200neo。
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こちらサイド転がりは初撮り。

Hong Kong ExpressのA.321-200。
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一昨年7月受領の新造機で離陸は初撮り。

Cathay Pacific AirwaysのA.350-900。
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初撮りの機体。

DeltaのB.767-300ER。
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こちらサイド離陸は3年ぶりの撮影。

香港航空のA.330-300。
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こちらサイド初撮り。
タグ:飛行機 写真
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果たして出来るのか [日記]

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今日は体調が余り良くなくて休もうかと思いましたが、思い直して会社へ。
まぁ何とか課題を熟せましたが、また卓袱台返しがありそうで嫌な感じです。
上つ方はどっしり構えてくれんかのう。

それはさておき、今月は何本かライブの予定なのですが、例のウィルスの御陰で開催できるかどうか危ぶまれる状態です。
一応、交通手段と宿は確保しているのですが、ついでに行く予定だった場所の定番の撮影場所が閉鎖されているので、そちらでの撮影が出来ず、となるとわざわざ前日に出掛ける必要が無くなるので、別の交通手段で移動するか、日帰りにするか考え中です。

と言っても、飛行機は国内線も減便し始めているし、幾ら移動する人が少ないからと言って、予定通りいけるのかが疑問視されます。
逆に、前日乗り込みで行っても、どんなものが撮影出来るのか全然予想が付かないのですが。

インドが日本人をビザ無しで入国させない扱いを始めましたし、米国でも入国拒否が検討されているとか。
そうなると、彼方此方に飛ぶ飛行機がなくなるので、成田ですら地方空港化しそうです。

未だ後少しあるので、今後の推移を見守ることになりますが、どうも事態は絶望的になりそうです。
これが関東圏ならどうとでもなるのですが、遠征ですから困ったものです。
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上がったり下がったり [日記]

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昨日は寒くてコートを羽織ったのですが、今朝は暖かでコートのライナーを外しました。
しかし、明日は寒くなるので、クローゼットにしまう前にコートのライナーを又取り付けたり。
忙しいことでございます。

御陰で、身体の調子を崩す人が多くて、幾人かが体調不良で倒れております。
と言っても、今のところコロナは出ていませんが。

んでんで、今日は晴れて暖かいから花粉が凄いだろうなと思ってマスクして出掛けたのですが、全然そんなことは無く、拍子抜けでした。
ただ、目の方はかなり痒くなっていますけど。

そろそろ入院から1年が過ぎていて、来週は経過観察でエコー検査、そして再来週は有り難い医者との面会が待っています。
流石に去年の今頃よりは調子がかなり良いのですが、まだまだ油断は出来ませんね。

何時の間にか3月。
あっと言う間に1年の6分の1が終わってしまいました。

それにしても、彼方此方でものが無くなるのは何だかなぁと思います。
そもそも、マスクの大部分は不織布製なのにも拘わらず、紙製だと勘違いして、やれトイレットペーパーだ、やれティッシュペーパーだ、やれ紙おむつだ、などと紙製品を買い漁る消費者心理の浅はかさについては、おかしさを通り越してもう阿呆らしいて何も言えません。

政府は、「企業が世界でもっとも自由に活動できる国にする!」と意気込んだ訳ですが、結果、実業は全く姿を消し、虚業だけが繁栄する状況です。
様々な物品がサプライチェーンの再構築の名の下、海外に出て行ってしまい、日本の中には精々が紙製品くらいしか残っていません。
なので、今回の様に後手後手に回ると、ものが供給出来ない状態に陥る訳です。

今思うと、三公社五現業というのは、国民の最低限必要なものやサービスを供給する仕組みとして上手く機能していたなぁ、と思うのです。
国民が生きていくために最低限必要な物品を供給出来なくて、政府が政府として機能出来ているのか、かなり問い詰めたい気分です。

国民に関係しないものばかり爆買いして、一体、彼等は誰を守ると言うのでしょうか。
正直、この状態が今後も続くようであれば、冗談抜きで『2050年は江戸時代』が現実味を帯びてくるのでは無いかと思っています。
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成田詣で-シュリンク、シュリンク(その3) [飛行機]

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今日から3月の始まり。
御陰様でドタバタと過ぎているのは何時ものこと。
どうせ月末は目の回るような忙しさなのは目に見えていますが。

さて、昨日出来なかった分の先週の釣果貼り貼り。
そう言えば今日からNepal Airwaysが成田に就航したのですが、月曜と金曜の週2便しか無く、平日なので撮影にも行けません。
まぁ、土曜日に関空に行けば撮影出来る訳ですが。
で、今回の釣果を整理して分かったのですが、何時もに比べると1,000枚以上撮影枚数が減っています。
特に意識して減らした訳では無いのですが、矢張りコロナウィルスの影響が響いているのでしょうね。

中国国際航空のA.330-200。
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こちらサイド離陸は初撮り。
今は北京便しか運航していません。

JALのB.787-9。
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転がりは初撮り。

S7 AirlinesのA.320-200neo。
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一昨年9月受領の新造機で初撮り。

Aero LogicのB.777F。
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何時もは平日にしか飛来しないAero Logicが日曜に飛来。
こちらサイド初撮り。

Hong Kong ExpressのA.321-200。
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Value Alliance特別塗装機。

香港航空のA.320-200。
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こちらサイド初撮り。

AmericanのB.777-300ER。
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このご時世、珍しく機材をB.777-200ERからB.777-300ERに拡大しています。
初撮りの機体。

再びS7 AirlinesのA.320-200neo。
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去年8月受領の新造機で初撮り。

Air Bridge CargoのB.747-8F。
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初撮りの機体。
以前はB.747-400Fが飛来していましたが、最近は最新のB.747-8Fが飛来するようになりました。

Air New ZealandのB.787-9。
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一昨年9月受領の新造機で初撮りの機体。

Singapore AirlinesのB.777-300ER。
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2年ぶりの撮影でこちらサイドは初撮り。

EmiratesのA.380-800。
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これも初撮りの機体。
タグ:写真 飛行機
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モニター並べてみた [パソコン]

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一昨日から昨日、2日掛けてモニター周りを整理しようと、色々検討した結果、ガスシリンダー式のは回避してメカニカルスプリングのディスプレイアームを買おうと思ったのですが、タッチの差で買えず仕舞いで、結局ガススプリング式のディスプレイアームを買うことになりました。

一応、机の天板がバキッと行くのを恐れて、重量を分散する板もついでに購入。
それらが今日届きました。
部品を見て簡単に組み立てられるかと思ったのですが甘かった。

まず、クランプ螺旋を緩めてクランプを取り付けるのですが、重量分散用の板をクランプの台座に乗っけたら、ポロッと落っこちて何処に行ったか分からない。
探していたら、どうやらケーブルを這わせるための隙間に落っこちていたことが判明。
取り敢ず、これで締めたのは良いのですが、壁と机との間、クランプ螺旋を回す隙間が狭くて上手く回らず、ちょっと斜めったので再度挑戦。

そして、定位リングを適度な場所に調整して支持部を固定すると言うのをやろうと思ったのですが、意味が分らず、暫し泣いていました。
ふと見ると下に螺旋があったのが分かって、それを締めれば良いことに気付く。
ところが、諦めて適当に他の部品を突っ込んだので重量が掛かってしまって上手く調整できず。
来週末にもう1度挑戦です。

でもって、モニターに支えを螺旋止め。
古いMitsubishiはすんなり繋げられましたが、新しい恵安は、スタンドを外すときに螺旋が1個中に落っこちてしまいました。
そして、それは何処に行ったか分かりません(泣。
カラカラとも言わなくなったし。

そして致命的な問題は、添付の螺旋がM4×12の螺旋で、モニター側はM4×10の螺旋山。
つまり、そのまま締めても完全に締まりません。
螺旋山が浅いので浮いてしまい、どうにもこうにも不安定です。
幸い、このモニターは2kg程度とかなり軽いので、落っこちることはありませんが、何とも気になる。
スペーサーを入れたとしても、M4×12はスペーサーに届かず、M4×30では螺旋の部分が16mmになってしまうので、更に浮いてしまいます。

この時点で取り付け延期確定だったのですが、再度スタンドを取り付けるのが面倒だったので、そのまま組立強行。

本来ならアームの部分を固定するために螺旋を止めないといけないのですが、これをやってしまうと螺旋の付け直しが面倒になるので、螺旋止めは諦めました。
以後、本来なら可動範囲調整のためのアームやクリップの調整作業があるのですが、まだ仮止めだったのでやっていません。

そして、ケーブルをケーブルカバーに入れて整理するのも、ケーブル自体が短いのが分かったので、再挑戦です。
その前に固定とか調整が全然出来ていない訳ですが。

なので、恵安のモニターは軽すぎて下に下ろせず、視線を見上げて確認する事になってしまいました。
一方、Mitsubishiのモニターは逆に重すぎて下にダラーンと下がり、位置を固定出来ませんでした。
一応、耐荷重は問題ないはずなのですが、螺旋の調整が出来ていないのでこうなるみたいです。

今日は時間が無いので当面はこんな感じで動かし、今度の週末に調整して、2台態勢を確立しようかなと考えています。
まぁ、どちらにせよDP1.2のケーブルとHDMIのケーブルは長いのを買わないといけないです。
1.5mでは足りませんからね。

何だかんだ格闘していたら、成田詣での釣果は完全に整理出来ませんでした。
明日には整理出来てると良いなぁ。
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