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赤胴車、青胴車 [鉄道]

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今日は成田に行こうと張り切っていたのですが、早朝に起きたら現地は雨。
一気に行く気が失せ、結果、10時半までガッツリ寝てしまいました。
で、そんな日に限って、Garuda Indonesia Airwaysでは何時も飛来している機体が定期検査だからなのか、日替わりで変わった機体がやって来て、今日はレトロ塗装機が飛来、SASはA.330-300がシップチェンジでやって来たり、韓国線や中国線がほぼ最後の飛来だったりとまぁ盛り沢山だったようです。
起きたら曇りでしたが何とか天気は保っていたようでしたから、出掛ければ良かったです。
少なくとも屋内では無いし、吹き曝しの場所ですからウィルスも拡散されてしまうだろうし。

そんな訳で、今日はエビ中の期間限定映像をボケーッと見て、ばっしょーの瀬田さん回を見て、写真を整理するかとソフトを立ち上げたけど結果、何もせず。
折角の休みも何をしていることやら、です。

明日は雨だし、また太るぞ。

ところで、3月14日から各地の鉄道ではダイヤ改正が行われます。
SRに関しては毎回ダイヤ改悪だったのですが、今年に関してはその姿勢を改めたらしい。
まぁ休日昼間の12分サイクルは変えるつもりは無い様ですが、ちゃんとした12分サイクルに変えたので、歪な形でのダイヤにならず、覚えやすくなりました。
出来れば、バスと連携して電車の12分サイクルの間にバスの12分サイクルが入れば、赤羽駅まで6分間隔での運転が実現するのですが。

でもって、平日朝には鳩ヶ谷始発が1本増えましたし、夜でも悪名高き19時台の王子神谷行きが消滅して直通の本数が増えるようです。
帰りの電車もほぼ5分間隔になるので、割と使いやすくなったのでは無いでしょうか。
と言うか、やっと遅れが日常になっていたのを認識したか、と言う感じです。

で、ダイヤ改正と言えば、阪神電車では新車に置き換えられて、1960年代から作られ続けていた普通用の青胴車、別名「ジェットカー」5000系と優等列車用の赤胴車7600系が消滅します。
以前、深江に住んでいたときには通勤や通学でお世話になっておりました。

丁度、引越しした年くらいから赤胴車にモダンな1枚窓の8000系二次車が投入されて、阪神のイメージが変わったのですよね。
以前にも書いた様に、赤胴車と言えば夏の冷房が効きすぎると言うのが有って、海水浴で九死に一生を得た須磨から帰るときに、冷風に当たりすぎて風邪を引いた思い出があって、赤胴車の旧車にはトラウマがありました。

8000系二次車が投入されてからは、旧来の赤胴車が来たらゲンナリしたものでした。
それでも、東京に来てからそれ以下のクオリティの電車(例えば、京王の6000系とか東急の8000系とか東武の8000系とか)に乗る事が多くて、今更ながら関西の電車の質の高さに驚きましたっけ。
何しろ、京王の6000系とか東急の8000系は1枚窓なのに、窓が常にばたついて隙間風が入ってくる電車でしたからね。

それに比べ、阪神の赤胴車は旧型の2枚窓の電車であっても、窓のバタつきはそんなに感じませんでしたし、車内も静かでした。
ただ冷房が効きすぎるのだけが玉に瑕でしたが、東急8000系の冷房に扇風機よりは遙かに優しかったように思えます。

そして、青胴車。
今でこそ阪神電車の普通は4両編成で走るのが普通ですが、私の学生時代、21時を過ぎると普通は2両編成で運転されていました。
なので、新しめの車輌以外は、昼間に乗ると2両目と3両目の間に運転台が向かい合っていて、それの速度計とかを見るのが楽しみでした。

阪神電車の路線は駅間が短いので、赤胴車と同じくらいの車内設備で冷房があっても(そう言えば、関東の電車はかなり最近まで地下鉄を中心に非冷房車が多かったのですが、阪神はその頃には100%冷房を達成していましたね)頻繁にドアが開くため、そんなに寒く感じたことはありませんでした。

深夜放送時代の鉄腕!DASH!!で取り上げられましたが、あの最初にボロ負けした競争の舞台はうちの近くでしたっけ。
あの放送でもあった様に、駅間が短い上に速い速度で頻繁に運行される特急車を躱すために、異様な加速度の電車でしたから、乗っててもそんなにイライラすることがありませんでした。
関東の電車に乗っていると、目の前に電車が見えていて、手前で止まって、ゆっくり動いてみたいな感じで運転しますが、目の前に見えても、直ぐに視界から消えるくらい加速度が早いですし、待避設備も十分に備わっていたので、神戸から芦屋まで特急に乗っても、三ノ宮の手前以外では待たされることがありませんでした。
三ノ宮では3番線に快速急行が停車していれば、それの入線と出発で待たされましたけど。

今は高速神戸が始発駅ですが、当時は元町が普通の始発駅でした。
そう言えば、当時の阪神春日野道は地下に強引にホームを作ったためにホームの幅が狭く、2人並ぶと線路に転落しそうな程でしたっけ。

就職したとき、春日野道が最寄駅でしたから、先輩に「このホームを走れれば一人前」とけしかけられた思い出もありましたね。
今ではちゃんと2本のホームが作られているそうですが。
元町までの定期を買って、三ノ宮で降りて、ジュンク堂書店とか模型屋さんとかを巡って、元町から帰ると言う事をよくやってました。
来る電車に乗れば芦屋で降りるか、深江で降りるかすれば良かったので。

青胴車に乗ると、途中御影で抜かされるのですが、加速度が良かったこともあって、実は特急で芦屋まで出ようが、普通に乗って深江で降りようが、余り時間差は無かったです。
残業で夜が遅くなると、三ノ宮の店は大体20時前後で閉まってしまうので、春日野道から普通に乗って帰っていました。
ただ、慌ててホームに降りたときの山陽電車の阪神大石行きが来た時の失望感たるや…。

何時しか21時以降の2両編成は無くなり、旧型の赤胴車も伝法線に追いやられ、難波線が開通するとそこから更に武庫川線に転じ、辛うじて生き延びていたのですが、それも無くなります。
芦屋の高架から深江まで一気に走り抜ける電車も今は昔ですね。

てな訳で久々に鉄道話を語ってみました。
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