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ズームイン!! [鉄道]

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今日は目が覚めたら8時前。
御陰で何時もの1本後の始発電車に乗ったのですが、降車駅で降りたら結構な人波。
時差出勤と言っても、1時間遅れただけで、人の波は大して変わり有りません。

明日は術後1年経過後の検査で病院に行く事になりました。
腹部エコー検査を受けて、来週は診察です。
それなりに安定しているので、何も無いことを祈ります。

で、阪急、阪神、山陽と来て、次に取り上げるのが関西にいた頃、毎週のように行っていた南海電車。
関西に住んでいた頃は写真という趣味はお金が掛かるので全くやること無く、読書とプラモ三昧の日々でした。
まだデジカメは画素数が200万画素程度が精々と言う時代で、銀塩写真には太刀打ち出来ませんでしたし、高速被写体を撮影するにも向いていませんでした。
考えてみたら、勿体ないことをしたものです。

そしてプラモ。
年代によって変遷はありますが、子供の頃は自動車の延長で1/35の戦車模型に嵌まり、次に1/700のウォーターラインシリーズに嵌まっていました。
小学校の頃、近くに外国製模型を取り扱うプラモ屋さんがあり、武庫之荘に住んでいたときには友達に模型屋さんがいて、環境は整っていましたね。
その頃流行っていたミニ四駆とかには目もくれず、ひたすらスケールモデルと格闘の日々でした。

ただ、生来の不器用さで、耐水ペーパーやパテ埋めの技術は余り良くならず、ひだすら筆塗りで誤魔化してましたっけ。
ウォーターラインの次は、1/72の飛行機模型が主で、国産各メーカーのプラモだけで無く、エレールのMiG-19やエアフィックスのMosquitoなんかに手を広げていました。
そうこうしている内に、東欧諸国が開放され、ソ連が開放されて、その昔、英国のフロッグが出していたキットをソ連のNovoと言うメーカーがリメイクして販売したりして、珍しい機体が次々に出て来ました。
そうしたキットを買い漁ったものです。

しかし、製作が追いつかず、どんどん積ん読状態になってしまい、東京に来てからは更に拍車が掛かり、とうとうクローゼットいっぱいに模型の箱が並ぶ始末でした。
親が来るときに一度断捨離して、ほぼプラモは消滅してしまいました。
それを機会に足を洗って、今はプラモは全く作らなくなりました。
結局、冬は寒い中窓を開けて換気をしながら塗装をしたりして、また組み上げると飾る場所を取ってしまう事になるので、狭い家だと中々飾る場所がありません。

前置きが長くなったのですが、最初に外国製模型に触れたのが運の尽きで、国産ものが無くとも外国製を漁ればいいや、と言う悪知恵?がつき、様々な場所にそうした模型屋を開拓するようになりました。
三宮はセンター街の模型屋さんはその1つですが、あそこは一番よく通いました。
会社や大学の帰りに気軽に寄れた店でしたからね。

その後、森ノ宮とか西九条と言った大阪環状線、地下鉄沿線に進出し、更には堺東にあった模型屋さんにも足繁く通うことになりました。
まぁ大体、休日のルーティンみたいなもので、10時頃に家を出て、森ノ宮か西九条のどちらかの模型屋さんを覗き、堺東に行って、帰り掛けに残りの模型屋さんを覗き、西九条だったら伝法線で尼崎まで行って家に帰る、森ノ宮だったら大阪で降りて、旭屋書店や紀伊國屋書店を冷やかして家に帰ると言う経路で遊んでいました。

で、堺東に行くのに使ったのが南海電車です。
西九条に寄ったら新今宮から乗り換えて堺東、森ノ宮に寄ったら、難波に出て堺東に行くことが多かったので、本線の普通車に乗ったことはなく、ギラギラとしたセミステンレス車体の車輌に乗るばかりでした。

当時はステンレス車体第1世代の6000系や6100系が主に運行されていて、急行としてズームカーが走っていました。
大体、ステンレス系統に乗る事が多かったですが、早く行きたいときには急行に乗らざるを得ない。
急行は高野山方面に行く人が多いので、常に混んでいる印象がありました。
まぁ、両数も少ないし、編成長もステンレス車に比べると短いですからね。
他に泉北高速線の車輌にもよく乗りましたね。

阪神や阪急の電車に比べるとズームカーはレトロな印象でした。
中でもスピーカーは模様が入っていて、年期が入ってるなぁと言うもの。
独特の調子でアナウンスをする車掌が多くて、駅名を把握するのに苦労しましたっけ。

東京に出てから、東急車に乗ることも多かったのですが、東急車に乗ると、南海電車とうり二つで、懐かしさを感じたものです。
特に東急6000系、7000系と8000系はそんなデジャブ的な感じを受けました。

今では東急電鉄の車輌は大分モダンなものに置き換えられていて、最後の牙城が田都線の8500系ですが、それも崩されつつありますね。
南海の方は、相変わらずセミステンレスの6000系とその近代化版の6300系が未だにのそのそと走り回っています。
流石にズームカーは置き換えられましたし、今では本線と共通の車体を有する系統も多くなりましたが。

最近は、関空詣でに行くのに本線系統にお世話になるばかりです。
6100系の普通鋼版である7100系が消えて、随分とこの会社の車輌も垢抜けるようになりました。
その昔は、百鬼夜行的に支線の釣り掛け車が行き交っていたのですが。
タグ:南海 鉄道
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