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東名高速バス [日記]

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今日はリリースが3つ重なった特異日。
なので、夜遅くまで仕事に励み、ブログを書く時間が余りありません。
まぁ何とか無事に終わりましたが、明日早朝から叩き起されたくないなぁと思います。

さて、生まれてこの方、小学校までは年に1回くらい、色々な場所に行ったのですけど遠くて東は東京、西は島根、高松くらいしか行ったことがありませんでした。
九州や北海道なんて化外の地くらいの勢い。

厨房の頃は、1回だけ、学割というものを初めて使って叔父のいる名古屋まで一人旅をしていました。
高校時代は貧乏のズンドコだったので、遠くへの旅行なんて以ての外でした。
大学に入って、アルバイトをしてそこそこ小金が貯まると、部活で四国に行ったり、東京に行くだけの余裕が出来ました。
ただちょっと気を抜いてると預金通帳ごと、どこかに消え去ってしまったのですが。

まぁ、小金を貯めて余裕があるとは言え、新幹線や特急をふんだんに使うと言うのでは無く、学割の周遊券を使っての旅行です。
そして、その味方になったのが大垣夜行と急行銀河、東名高速バスでした。

当時はまだ雨後の筍のようにバス会社が林立した戦国時代では無く、関西ではまだ国鉄バスしか無かった時代、その後国鉄分割でやっと大手私鉄の高速バスが各地に乗り入れていました。
当然、殿様商売ですから余り良い車輌が宛がわれる訳では無い訳で。

4列の窮屈なピッチの座席に詰め込まれた貧乏人が、何台かのバスに分乗しての旅でしたね。
今は1台程度で運行していますし、精々が多客期に臨時便が出ているくらいでしたが、当時は便数も少なく、続行便として何台かのバスを連ねて東京や大阪を目指すと言うのが一般的でした。

しかし、当時は(どちらかと言うと今もですが)バスの引きが余り良くなく、最初に乗った東名高速バスは、1970年代の2代目東名高速バスでしたね。
丸形のヘッドライトに当時は既に車輌が旧式、車内は仄かに薄暗く、その中に老若男女ひしめき合って座っていました。

このバスは東京行きの場合、滋賀に止まった後は静岡で休憩して、足柄で休憩して東京へと言うルートを通っていたのかな。
静岡で大阪行きと行き違いになるのですが、そっちのバスは全部新型で角形ヘッドライトのバス。

自分達が乗っていたバスとの較差に唖然とした記憶があります。
以来、東名高速バスだけは鬼門で、毎回これに乗ると外れの廃車数分前のバスに当たるのが多く、今では利用しなくなりました。
今は快適なハイデッカーで運行されているとは思いますが、初乗りの際のトラウマで、未だに東名高速バスは中々乗る事は有りません。
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