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爆音特急 [日記]

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先日取り上げた子供放置禁止条例、一応は自民党県議団が取り下げしました。
しかし油断は出来ません。
今回、色んな所で反対の声が上がったし、全国放送で取り上げられたために彼等は渋々取り下げた感じがあります。

油断していると、何時の間にか成立しているなんて事になっているのかも知れません。
これからも行政への監視はおさおさ怠りなくやらないといけないし、次の県議会議員選挙まで忘れず、投票率を下げずに、変な議員を当選させないのが第一だと思いますね。

さて、昨日は急行列車の話をしたのですが、非電化路線は旅情があって良いものです。
とは言え、最近は遠出することも余り無く、あっても福岡とか大阪と言った大都市ばかりなので、非電化路線に行くことがありません。

また、最近の車輌はハイブリッドとかディーゼル電気駆動とかで静粛性が増しています。
まるで電車のような気動車もあるらしい。
最後に非電化路線に乗ったのは、多分、袋田の滝に行った時の水郡線が最後では無かったか、と。

当時、E130系が新車で入っていた頃ですが、その時の印象は余り無いんですよね。
非電化路線と言えば、学生の頃に入っていたサークルの合宿で毎年行っていた宇和島が思い出深いです。

宇和島まで急行列車でガタゴト揺られて行って、その地で合宿。
そして現地解散でしたから、そこから先はどんなルートで帰ってもいいわけで。
来た道をそのまま戻るのも嫌だったひねくれ者でしたから、宇和島からは高知に抜けるパターンを色々と試しました。

まだ宇和島から高知に抜ける鉄路は敷設されていなかった頃でしたから、特急バスでグネグネの山道を抜けていました。
乗物酔いはしないので、幾ら揺れても平気でしたね。

中村や窪川まで出られると、そこからは鉄路。
流石に普通列車でガタゴトは時間が掛かりすぎるので、特急に乗って高松まで行きました。
当時は甲浦から神戸港までフェリーがあったので、高知から再びバスに乗って甲浦まで行けば良かったのかも知れませんが、そこまでの交通手段に思い至らず。

その後、阿佐海岸鉄道に初乗りした際にも、甲浦まで行こうと思って挫折したことがあったっけ。
それはさて置き、特急列車は今の振子式特急と異なり、キハ81系とかキハ181系の全盛期。
自由席だったかな、大体がエンジンルームの真後ろの席に座っていましたね。

御陰で、騒音の酷かったこと酷かったこと。
当時はこんなものだと思っていましたが、振動は凄いし、騒音も酷いし、おまけに排気が室内に漏れてくるので匂いはきついし、で、難行苦行の旅でした。

特に山岳地帯を抜けるときは、非力なDMZエンジンでは最高出力を出しても全然速度が出ず、排気がもうもうと立ちこめるばかりだったのを覚えています。
そして車内に入ってくる匂いも凄かった。

そんな中でも駅弁を食べてとか本を読んで(当時は携帯とかも無かったし)とかやっていたのですから、慣れとは恐ろしいものです。
そして単線区間でしたから、途中で行き違いの為に遅れが発生して、終着駅の高松到着が時間通りに着かない事も屡々でした。

高松に出てしまえば、後は宇高連絡船に乗るか神戸行きフェリーに乗るか、選択肢が多々ありましたが、大抵は神戸に一直線で帰れるフェリーに乗って、フェリーターミナルから無料バスで芦屋とか深江に帰って来ていました。

今は無料バスも無くなっているし、そもそも神戸発着のフェリーも少なくなっているのでは無かったかなと。
そう考えると、四国へも中々行きづらくなりましたね。
飛行機関係で魅力的な被写体が無いのもありますが、いつかは東京発徳島経由北九州行きのフェリーで四国に行きたいなぁとか思っています。
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