長屋住まいの思想 [日記]
今日も出勤。
しかし、朝は大分涼しくなっているような気がします。
矢張り雨が降ると違いますね。
逆に夜はねっとりとした蒸し暑さで疲れ倍増ですが。
さて、今日も与太話。
2月分の写真が中々編集終わらないので。
私の家は一応持ち家です。
後、数年でローンを返済してしまえれば…ですが。
築20年を超えている家ですが、そこまでガタが来ていないし、それなりに修繕はしているので、まだ20年くらいは余裕があるのかなと。
思うに、日本人って持ち家の歴史が非常に浅いのでは無いかなぁなんて思ったりする。
確かに田舎だと藁葺き屋根の農家なんて、築数百年と言う所もある訳ですが、都市部では江戸にしろ、京都にしろ、江戸期なんかでは屡々天災があったりして、忽ちの内に瓦礫の山や焼け野原になってしまう事が多かったのでは無いでしょうか。
だからか、庶民の家は安普請の家が多い印象があります。
所謂、長屋と言うもので、そんなに長持ちするような家では無かったのでは無いかと。
当然、火災や地震などに見舞われて破壊されることが多くても、簡単な構造なので再建が容易に出来たのでは無いかと思います。
その思想が、今の日本の家造りに活かされているのでは無いか、と。
よく欧州の街歩きの番組を親が見ているのですが、彼の地の家はそれこそ築数百年で、それを手入れしたり、改造したりして現代の生活にマッチさせて、住み続けていて、日本のようなスクラップビルドは少ないのでは無いかと思ったりする。
石造りと木の家とは異なると言う向きもありますが、ちゃんと手を入れさえすれば、木の家でも何百年
と保つ訳で。
天災の多い国だから、寿命が短くても問題ないやと思って、家造りを続けてきたのでは無いでしょうか。
それが戦後の高度経済成長期まで続いて、現在に至ると。
それが急速な少子高齢化で、負の遺産になってしまっている皮肉。
昔は、家と土地があるのはそれなりに資産として計算出来た訳で、そうした資産がある人とない人はかなり裕福さに差があった様な気がしました。
それこそバブルの時は、猫の額ほどの土地であっても、都会にありさえすれば、それを売るとかなりのキャッシュが手に入ったし…。
今は住宅なり土地なりを相続する人もおらず、法定相続人になったら、莫大な相続税が掛けられる可能性があるそうです。
物納とか色々手はあるのでしょうが、更地にするにもお金が掛かりますから。
死んだ人の土地を収用して、生きている人に安く譲渡する仕組みが出来たら、みんな色々とハッピーなんじゃ無いかなぁなんて思うのは私だけでしょうか。
そもそもが、安普請の家では無くて、100年以上保つような家を増やすのが先決だったのかも知れませんけど、今となっては遅すぎますね。