家族の肖像 [日記]
今日は復活して出勤。
何時もは会社に出掛けないのですが、もう1台のパソコンをセットアップしないといけませんから。
証明書が1週間しか保たないため、来週セットアップすると色々と迷惑が掛かりますからね。
なんて律儀な私(ぉぃ。
ところで、ここ数日の話題に乗り遅れる形になるのですが、今は家族と言うのが問われているそうです。
新しい家族の形とか言って、同性婚とか非婚とか言う形態が流行ってきているけど、政治の世界では頑として認めません。
元々、家を中心とした家族制度なんて、ほんの150年ほど前に出来たもので、それ以前はもっと自由だったのでは無いかなぁと。
家を中心とした家族制度と言ってしゃちこ張ってみても、実際にはそれなりの階級の人だと一夫一婦制と言いながら、その実、お妾さんとかがいて、妾腹の子なんてのもいたり、一夫多妻制と大して変わらない状態が長く続いた訳で。
また、長子相続制とかと言っても、これまた明治期に確立したわけで。
家を永らえようとするのならば、ぼんくらの長子だと家を潰す可能性もあり、血縁相続と言うよりも、養子相続で実力のある人を家に迎え入れると言うケースも多かったりする。
そもそも、家を重んじるはずの武家なんか、家系図を見ていると養子だらけですからね。
長子相続よりも次男や三男が相続することも多い。
どこぞの四世か五世か知りませんが、政治屋が家系図を載っけてるのを見るとぼんくらとしか言い様が無いですな。
後、同性愛なんてのも、江戸や戦国には衆道なんてのもあったりするわな。
これまた、明治期になって日陰者にされた訳だし。
そう考えると、明治維新なんて大上段に構えたことを薩長の連中が言ってはいるけれど、その実は自分が権力を握りたかったクーデターでしか無い訳で。
そのクーデターを正当化させるために、もっともらしく家制度なんて言う虚構を考えついたのでは無いですかね。
まぁ、それらの連中も家制度なんかには殆ど拘泥していなかったのですが。
そう考えてみると、家を中心とした家族制度というものの虚構がよく判ります。
それを金枝玉条の如く振りかざす、今の政治屋の愚かしいことよ。
まぁ、彼等にしてみると、血縁を重視しない実力主義になったら真っ先に淘汰されるのが彼等ですからねぇ。
そりゃあ、家制度を躍起になって守ろうとするわけですよ。