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プラモの思い出 [ひとりごと]

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今日で年内のお仕事終了。
予定では午前中で終わり、午後から神保町にでも出張るか、とか思っていたのですが、仕事が終わらず延長戦。
結局、15時までいることになりました。
帰りに予定通りせとうちショップに寄って、何とか餡餅をゲット。
巣ごもり需要だからか、香川の雑煮セットは売り切れていました。
他に丸餅とかお菓子とかじゃこ天などを買って帰る。

ついでに、年内最後のリハビリ。
背広の上から牽引ベルトをしたので、抜け掛かって困りましたが、何とか腰を伸ばせた。

明日からは一応の休みですが、何となくあっと言う間に終わりそうな気がします。
まだ1年の総括もしていないのですが、明日は寒波が来る前にちょっと出張ってこようか、と。

巣ごもり需要で思い出しましたが、最近はプラモデルが売れているそうです。
家でする事が無いので、集中して出来るプラモデルが人気なんだとか。
子供の頃、かなりの田舎にも関わらず、海外製の模型を扱っている模型店があって、よくそこに入り浸っていましたっけ。

今となってはレアものに近い、レベルの1/32Ju-87とか、モノグラムの1/48P-40Bとかを買って組み立てて遊んでいました。
言うても、塗装なんてかなり我流でしたから、今の目からしたら噴飯物です。

まともにプラモを作りだしたのは、中学生くらいからかな。
友人に模型店をやっているのがいて、彼とつるんだのが切っ掛けで、その模型店で色々買いました。
当時はミニ四駆全盛時代だったのですが、そんなのに目もくれず、ガンプラを良く作ってましたね。
まだファーストガンダムの時代、今と異なり、かなりおもちゃ然としていたジムやザクを作っていた記憶があります。

中学や高校では祖父母がくれるお小遣いを貯めて(ちなみにバイト禁止)、子供の頃通った模型屋に出掛けて、ハセガワを始めとする国産やエレール、エアフィックスと言った舶来ものの1/72の飛行機のプラモや1/35の田宮MMシリーズ、それに1/700のWLシリーズをよく買っていました。
この頃には本格的にラッカーとか買って塗装とかをしていましたが、1/700のWLシリーズは小さくて目立たないので結構作りましたっけ。
受験勉強で夜遅くまで勉強している振りして、エレールのMig-19を作っていたのも忘れ難い思い出です。

大学になると病膏肓に入るで、神戸を通過することから、元町の模型屋さんに出入りするようになって、更に休日には大阪方面に足を延ばし、森ノ宮と九条と堺東の模型屋さんに行くようになりました。
この頃は1/700や1/35よりも専ら1/72の飛行機シリーズを集め出していました。
この頃にはペレストロイカや東欧の崩壊とかもあって、東欧やソ連製のキットがどっと出回った時期でした。

就職しても最初は神戸だったので、プラモ作りは変わらずでしたが、東京に転勤すると更に東京近郊の輸入模型屋さんに出入りしました。
江東区の某模型屋さんには毎週の様に行っていたような気がする。
後、市川と代々木上原の模型屋さん。
時たま、津田沼方面にまで足を延ばしたりして。

しかし、この頃は作るよりも集める方が主流になってきて、中々作る気力が湧いていませんでした。
かくして、何時しかプラモはクローゼットいっぱいを占めるようになり、これじゃいかんと思って、断捨離しました。
かなりのお金を注ぎ込んだのに、売り払うとほんの数万円にしかならなかったりしたのが何ともはやです。

今でもクローゼットの一角には作っている途中のCF-105やT-2CCVの模型がまだ残っているはずです。
それにしても、かなりの沼にハマっていましたね。
流石に今は本の山に取り囲まれているので、こちらに情熱を注ぐことは無いと思いますが。
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