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日本縦断客車鈍行の旅 [読書]

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土曜日から連続して、週休0日のスタート。
なので、早めに帰ろうと思ったのですが全然早く帰れなかったです。
おまけに土曜日、遠征先は雨が降る予報なので何だかなぁ、と。
1日ずらして日曜に遠征すれば雨に降られず、風向きも良いのですが、それで深夜帰りだと月曜日更に死にますし、9月頭には本復したかどうか、病院に行って検査して貰わないといけないので、流石に身体を休めないとまともな数値が出て来ないと思われる。
とは言え、週休0日の影響がどれだけ出ることやら。

で、観劇の話はまだネタバレが懸念されるので明日に回して、今日は通勤の行き帰りに読んでいた本の紹介。

『日本縦断客車鈍行の旅 -昭和五十一年夏、旧型客車で稚内から長崎へ-』(田中正恭著/クラッセ刊)
タイトルの如く、著者が1976年、学生時代の夏休みを利用して北海道の稚内から客車鈍行だけを選んだ片道切符を作り、その当時最長距離となっていた長崎まで旅した旅行記です。

当時の客車鈍行列車は、国鉄末期やJRになってから運航されていた50系客車の様な全金属製構体、自動ドア、冷房付、照明は蛍光灯で、クッション付のセミクロスシートを有する近代的な客車では無く、雑形と呼ばれていた旧型客車で、車内はクロスシートですが板張りや申し訳程度の布張り、当然冷房は付いておらず、夏なんかは窓全開、照明は白熱灯がぼ~っと点いているくらい。
更にドアエンジンは付いておらず、手で開け閉めする手動ドアで、列車の衝撃によってはドアが開くという代物でした。

私自身、高校時代に遠足の下見に行くと担任から唆されて、電化前の福知山線で、DD51に牽引された旧型客車に乗ったのが唯一だと思います。
あれも鈍行でノロノロ走る為に風が入らずにすごく暑かったし、五月蠅いしで閉口しましたっけ。

大学時代、電車で学校まで通っていたのですが、朝の講義に出るためや夕方に家路につく時に新快速に乗っていると、眼下の和田岬線でよくDD51に牽かれた旧型客車を見かけました。
何時かそれに乗ろうと思っていたら何時の間にかDD51は消え、旧型客車は長田駅の引込線に留置されて、何時しか消えてしまいました。

それは扨措き、この本は日本最長片道切符の旅ほどでは有りませんが、古き良き時代の国鉄の風景を切り取りつつ、1970年代の若者の旅を描写した本になります。
因みに作者は、甲南大学で鉄道旅のサークルを主宰していた人だそうです。
当時の若者の旅は貧乏旅行で、ボサボサの格好で風呂にも中々入れず、荷物をいっぱい背負って、大体駅寝(駅の待合室で寝袋を拡げてベンチか床で寝る)し、たまの贅沢と言う事で、ユースホステルに泊ると言うもの。
今やユースホステルなんてのは死語ですね。

今の世の中では、確実に通報される様な旅の仕方です。
北海道では車窓を楽しむでも無く、ひたすら入場券を集めるため、短い停車時間でも駅員さん(当時はどんなに小さな駅でも大体駅員さんがいて、最終列車まで窓口は営業していた)に駆け寄って封筒に入場券代と切符代を入れて渡し、後日郵便で送って貰うとか、駅員さんがいない場合でも、駅舎にいるだろうから、降りる人に封筒を渡して貰う様に頼むとかを繰返していました。
そうした事をしていると、発車時刻に間に合わず、走り始めた客車に飛び乗ったのは良いのですが、勢い余ってデッキの床にダイブしてしまい、まかり間違えば命が無い事を遣らかしたり。
これまた、今の世の中だと確実に緊急通報ボタンが押される事案。

それでも、車掌さんと仲良くなって、その入場券集めに鉄道電話で先回りして協力してくれたり(これも今の世の中、コンプライアンス違反だと目くじらを立てられる事案)、駅員さんとのコミュニケーションで、切符に呆れられたり驚かれたりしています。

勿論、長い距離を旅していると、「俺は一体何をしているのだろうか」と言う疑問が湧いて、長い乗車時間に自問自答してみたり、列車内で相席になった地元の人との会話に閉口したり、気分転換にユースホステルで英気を養いつつ、そこで知り合った若者と一緒に観光をしたりと、当時の若者が悩んでいた様、そして様々な場面での一期一会を楽しんでいる様がよく判ります。
更にふらりと入った店で問わず語りに話をしていたら、「うちで寝ていきな」と言う食堂のおかみさんみたいな人もいました。
今の様に、スマホの画面に顔を落として我関せずと言うのはこの頃ありません。
そう言う意味では、この時代はかなり人間味溢れていました。

でもって、これが小説だと、異性が出て来て甘酸っぱい恋の話が展開されるのでしょうが、あくまでも客車列車で旅をすると言うのが第一義の書物ですから、異性が出て来ても周辺を観光して、それから先は何も無いと言う余り面白くない結果に終わったのは、未だバンカラの風潮が残っていたからかも知れませんね。

こうして39日もかけて長崎まで行ったのに、帰ってきたのは客車急行の「雲仙」。
冷房付で窓が開かず、セミクロスシートに自動ドア付の14系客車の車上の人となって、翌日には家のある神戸に帰ってきました。
その差について、作者は特に感慨を書いていませんが、その心境は如何ばかりだったのでしょうか。
私も、初めて九州に行って来たときには、帰りは青春18きっぷで、鈍行を乗り継いで帰ってきた経験があるのですが、最短距離の山陽本線ですら神戸まで帰るのは大変でしたから、よく我慢できるなと思いましたね。

私なんか関西弁で言う所の「いらち」ですから、鈍行列車の旅には飽きて、迷わず特急列車に飛び乗ってしまいそうですけどね。

日本縦断客車鈍行の旅―昭和五十一年夏、旧型客車で稚内から長崎へ (KLASSE BOOKS)

日本縦断客車鈍行の旅―昭和五十一年夏、旧型客車で稚内から長崎へ (KLASSE BOOKS)

  • 作者: 田中 正恭
  • 出版社/メーカー: クラッセ
  • 発売日: 2018/06/01
  • メディア: 単行本


タグ:生活 読書
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