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最古参と最新鋭 [飛行機]

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今日は早起きして、昨日レビューを受けた案件その2の承認を得に上つ方に説明。
ただ、一番放置してきたシステムの更改案件だったので、思い切り嫌みを言われました。
予算が無いから放置してきたんやないけ、と思いましたけど、それを言ったら御飯の食い上げになるので黙っていました。
が…御陰で午後から仕事をする気力も無くなり、仕事をしている振りだけしていました。
まぁ、こんな日もある。

海外のプラモデルでは、鉄十字はOKですが鉤十字はNGです。
なので、第2次世界大戦中のドイツ空軍機のデカールには垂直尾翼の鉤十字は入っておらず、大抵が白丸とかで代用されています。
今はどうか分かりませんが、鉤十字が入っているのは、日本のプラモデルだけだったりします。

そんな訳で苦肉の策か、ドイツ機でも他の国で使用されていたらその国のデカールが入っているケースも多かったりします。

ドイツ空軍の主力輸送機として第2次世界大戦を通じて用いられていたのが、JunkersのJu52/3mです。
初飛行は1930年代初頭と言う息の長い機体でしたが、ご多分に漏れず、これもフランスで生産されていました。
これを生産していたのはAmiotで、1936年に国有化されてSECMと名を変え、更に戦後は、Ateliers Aeronautiques de Colombesと名前を変えていました。
占領中はJunkersの協力工場に指定され、Ju52/3mの生産を始めます。
解放後、生産されていたJu52/3mはAAC.1と名称を変更し、1945年4月7日に第1輸送航空団の第15飛行隊に配属されたのを皮切りに、416機も生産され、フランス空軍に配備されたほか、うち85機がAir Franceに引き渡されて民間航空の復興に役立てられています。

因みに、フランス空軍に引き渡された機体の中には、遠くインドシナの地に派遣されたものも有りました。
ここでは本来の輸送任務の他、翼下に爆弾架を設置して爆弾を吊し、ヴェトコンの陣地爆撃に用いられた機体もあります。
1930年代初頭に開発された波板張り、主脚は剥き出し、古風な時代遅れの3発機が、です。
勿論、ヴェトコン側に碌な航空戦力が整備されていなかったからこそ出来た芸当ですが、スペイン内戦から10年を経て、再びこの機体が爆撃機として使用されたわけです。

一方でフランス航空産業は最新鋭の輸送機も生産しています。
Breguetは、Blohm und Vossの協力工場に指定されていました。
B&Vで開発されていたのが、Bv.144と言う機体で、設計主任はあの有名なRichard Vogt技師、左右非対称で有名なBv.141を開発した人です。
オーソドックスなようでいて、この飛行機も一癖も二癖もあり、胴体を貫通した高翼式の主翼を太い鋼管桁で連結するフォークトの特徴的な主翼を採用しています。
しかし、この連結した鋼管桁を動かして、離着陸時と巡航時に合わせて主翼の角度を変えると言う、後の米海軍が採用したF-8戦闘機と同じ様な機構を持っていました。
また、内翼後縁には大面積のファウラーフラップを装備していて、STOL輸送機の先駆けと呼ばれる様な機体でした。

降着装置はアメリカ式と呼ばれた前輪式で、しかも姿勢を低く保っていたので、乗客の乗降や荷物の上げ下ろしも負担無く行えるように考慮されていました。
エンジンは1,600馬力のBMW801でしたが、防戦一方になるとこれの供給がFw190に優先されてしまい、この機体への割当が無くなりました。

B&V社でもこの機体よりも開発を優先する機体が出て来たため、下請けのBreguetに開発を委託します。
BreguetではBv244と名称を変更して開発が継続されましたが、サボタージュによりその作業は遅々として進まず、1号機が完成したのは1944年8月、直ぐにドイツ軍が撤退した上、この機体を破壊することが無かったことから、Breguetでは開発を継続し、2号機も飛行しました。
ところが、この主翼を動かすという革新的な機構にフランス軍は懐疑的でした。

結局、折角試作機が完成したものの、それ以上に進まず、開発は放棄されてしまいます。
何十年も前の機体が生産され続け、革新的な機体は放棄される、この時代のフランス航空産業も皮肉なものです。
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