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ある意味、幸運な爆撃機 [飛行機]

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やっぱり長期間休みになると聞きつけると、どこからともなく会議会議を突っ込まれ、結局、早く帰る事が出来ませんでした。
明日は検査なのですが、朝5時から水以外の飲食をしなければ良いので、健康診断よりは未だマシです。
て言うか、銀行に寄る暇があるかどうかが気になりますし、軟体的なボヤージュが引き取れるかどうか、微妙な情勢です。

さて、入院までLancasterの話をまだ引き摺ろうと思うわけですが、1943年の爆撃機仕様B.14/43で、Lancaster Mk.4またはMk.5として開発された機体が、後にLincolnと言う名称で採用されます。
Lancasterを基にして、より多くの爆弾の搭載と、大量の燃料を搭載して、航続距離を伸ばし、近い将来展開されるであろう極東戦線への投入を前提に開発されたものです。

この為、主翼を伸ばし、主翼の燃料タンクを拡大、Lancasterと同じマーリンエンジンですが、2段過給器を取り付けて、常用高度をLancasterの倍にしました。
更に、Lancasterの3枚プロペラは4枚プロペラに換装されています。
機首の銃座は銃手が座って機関銃を直接照準するのでは無く、照準器越しに自動で操作される様に変更され、装備される機関銃も、従来のビッカース7.7mmからブローニング12.7mmに強化されました。
この他、尾部と後上方に動力銃座を設け、このうち、後上方の銃座には12.7mm機関銃の代わりに、イスパノ20mm機関砲を2門装備する機体もありました。

試作機が1944年7月9日に初飛行した後、即座に生産型が発注され、B.1の1号機は1945年4月に初飛行、機数を充足させ、中隊を編成して第一線に投入されたのは、1945年8月で、残念ながらと言うべきか、太平洋戦争に参加する直前で戦争が終了しました。

なお、この機体は英国で生産したほか、米国のパッカードで生産したマーリンを搭載したB.15が、カナダのVictory Aircraftで試作され、更にはB.30が豪州のthe Beaufort Division of the Department of Supplyにて生産が開始されており、1945年7月から第57爆撃スコードロンに引渡しが開始されました。
この機体もあと少し日本軍の抵抗が続いていたら、Tiger Forceで日本軍相手の戦闘を開始していたかも知れません。
ただ、同時期に開発された米国のB-29に比べると余りに保守的な航空機で、中高度域での戦闘を想定していた機体であるため、迎撃する日本軍機とかなり激しい戦いを行った可能性があります。

Lincolnは幸運にもと言うべきか、戦争終結により、大量生産は中止され、528機が生産されたに留まりました。
それに加えて豪州で54機が生産されています。
因みに、Avroはこの機体を168機しか生産していません。
残りは、281機がArmstrong Whitworthで、79機がMetropolitan Vickersで生産されたものです。

対日戦には参加出来なかったLincolnですが、戦後の植民地独立闘争の対ゲリラ掃討戦に用いられ、1947年のアデンへの出撃、マラヤ共産党への攻撃、ケニアのマウマウ団との戦闘に投入され、1953年まで用いられています。
輸出型としては、自国で生産した豪州空軍の他、アルゼンチン空軍にも30機が輸出され、後者では1965年までしぶとく用いられています。
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