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Specifications P.13/36 [飛行機]

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今日はやっと仕事に行けた。
でもって、入院誓約書やら、健保限度額適用認定証やらを受取り、後は保険関係の書類を受け取れば、入院準備は完了します。
あと、1週間分の寝間着やら下着やらは調達せねばならぬのですが。
下着以外の寝間着やらバスタオルやらはレンタルで調達するする事も考慮すれば荷物は少なくて済みそうですが、どうするか。
まぁ、今のところドレンがぶら下がる訳では無いので、出血とかは無いだろうとは思いますが。

さて、今日は久々の飛行機話。

P.13/36…これは英国空軍から機体メーカーに対する仕様書として1936年に出されたものです。
この仕様書がAvroとHandley Pageに提示され、それぞれ機体の設計に乗り出します。
同時に、B.12/36と言う仕様書もShortに出されました。

P.13/36の仕様書には何が書かれていたか。
先ずは重爆撃機としての任務が遂行出来る機体であること、そして、その発動機としてはRolls-Royceが当時開発していた先進的なメカニズムを持つ、バルチャーエンジンを2基装備することが謳われていました。
このバルチャーは、マーリンより一回り小型のペリグリンを2基組合せたもので、これ1基で2,000馬力近い出力を発揮する当時としては画期的なエンジンでした。
双発にすると総出力は4,000馬力に達し、1,000馬力のエンジン4基を装備するより前面投影面積は小さくなり、空気抵抗は小さくなり、高性能を発揮出来ます。

となると、4発爆撃機よりは小さな機体で済み、数が必要になっても経済的です。
随分とバラ色のエンジンなので、これを搭載した夢の様な爆撃機を英国空軍首脳部が夢想したとしても仕方ありません。

余談ながら、B.12/36の仕様書はShort一社特命で、一応4発爆撃機として発注されたのですが、経済性を重んじる余り、従来の空軍の標準格納庫を使用し、新たに建設する必要が無い様に、全幅が著しく制限されました。
その結果、アスペクト比が非常に低い主翼になり、総重量も31トンに制限せざるを得ず、全体的に非常に窮屈な設計になってしまいました。
その主翼配置も、近作の名作飛行艇であるSunderlandに倣った肩翼配置とした為、地上静止角を大きく取るには極めて長く複雑な主脚を採用し、それがまた本機の泣き所となりました。

主翼幅が小さくなると、高性能どころか、実用上昇限度が低くならざるを得ず、かつ、積載爆弾量の制限を招く結果になりました。
更に、窮屈な設計は爆弾倉を胴体下部に配置したのは良いのですが、搭載しきれなかった爆弾は中央翼内に搭載すると言う手法を採り、なおかつ胴体の爆弾倉は細かく分割すると言う設計にしたため、後の爆弾の大型化に対応出来ませんでした。

結果、爆撃機としての第一線での活躍は比較的短期間で終わることになります。
とは言え、第2次世界大戦初期の戦略爆撃機としてある程度の機数を揃えられたのは、このShort Stirlingしか無かったので、何とか活躍を続けることが出来たと言えます。

話を戻して、P.13/36を基に作られ、それが形を為したのはAvroの方でした。
Handley Pageの機体は、2機の原型機が発注されたものの、Avroの方が進んでいたのと、バルチャーの不足が懸念されたため、その後、設計が改められて、マーリン4発装備の4発爆撃機として完成しました。
これが後のHalifaxになります。

で、本命のバルチャー装備の爆撃機となった、Avroの機体は同社の所在地に因みManchesterと命名されて、ドイツの脅威に対抗するため、大々的に量産が開始されます。
先ず発注された200機の量産第1号機は1940年夏に完成しますが、安定性が不足したため、3枚の垂直尾翼を更に面積拡大し、水平尾翼面積も増やした改良型が11月に完成しました。
この改良型は、更に出力が1,760馬力から1,845馬力に増大し、高性能が期待された訳ですが…。

元々2基のエンジンを無理矢理X型にくっつけたもので、更に原型になったペリグリンは、Rolls-Royceにしても珍しい失敗作に近いエンジンでした。
要は小型化し過ぎて余裕が無くなったと言うもの。
ただでさえ失敗作に近いエンジン、それを2基繋げた訳で、特に排気熱の処理と冷却面に問題があり、故障が頻発しました。
後に、ドイツがHe-177で同じ轍を踏んだ訳ですが。

結果的にAvroで159機、Metropolitan Vicersで43機の合計202機の生産で終了し、後者の機体は生産中に13機が空襲で焼失しています。
第一線からも、1942年6月25日夜間のブレーメン空襲で引揚げられてしまいました。

とは言え、問題はエンジン側にあり、機体設計自体に問題がある訳では無かったので、Bristol社の空冷セントーラスエンジン、或いはNapier社の液冷H型24気筒セイバーエンジンを搭載した双発爆撃機として、再起するManchesterIIの計画が立てられましたが、両エンジンとも、まだ試作段階だったために日の目を見る事無く、オーソドックスに、今、英国が入手しうる最高のエンジンであるマーリンを4基装備したManchester3が計画され、1941年1月9日にはその原型機が初飛行し、,優秀な性能が得られたことから、Manchesterは打切りとなり、新たにLancasterと言う名称を与えられた機体が生産を開始した訳です。
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