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青く光ってきた [健康]

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明日から入院なのですが、今日は事前準備の最後、PET-CT検査。
早朝から絶食して水しか飲めない。
検査薬が18F-FDGと言う、ブドウ糖代謝の指標薬なので、糖分が体内に入るとちゃんとした検査を受けられないらしい。

で、早めに出掛けて検査センターへ。
大きなオフィスビルの中にそうした設備があり、放射線管理区域が厳然とあったりして。
これ、もし移転とかしたら原状復帰が大変じゃ無いだろうか、などと余計な心配をしたわけで。

受付で事前記入の問診票とか保険証、診察券を出すと、受付終了。
そして、待っていると看護師さんがやって来て、血圧と身長・体重を測り、更に当日の体調などを確認して、当日の流れを説明。

いよいよ検査へ。
先ずは検査着に着替え。
しかし、大きなサイズに変えてくれたつもりで、検査着の袋を開けたら両方とも下だったというね…。
ナースコールを押しても来ないので、シャツ一枚で看護師さんを探しに行って、上の検査着を無事ゲット。
暇潰しのスマホと本と検査薬を循環させるためのペットボトルの水を袋に入れ、着替えたら戻って、医師による問診。

終わったら、放射線管理区域に足を踏み入れ、処置室に入って検査薬の注射。
最初に、生理食塩水を注入して、それがきちんと入っていれば続けて検査薬を投入しますが、検査薬はそれ自体が放射性物質なので、看護師さんは管を切り替えた後、鉛の遮蔽板越しに注入作業を行うという物々しさです。

それが終わると、後は検査薬が身体に回る様に安静にする為、待機室に入る。
待機室には、ゆったり座れるソファ式の椅子があって、中で本が読めたり、スマホを弄ってみたり、あるいはテレビが見られる様になっています。
この検査では、ブドウ糖ががん細胞とかに集まる性質を利用して撮影するらしいのですが、筋肉を
ペットボトルの水は、最初の30分の待機時間の間に飲みきってしまわないといけません。
そうして、検査薬を循環させると共に、余分な検査薬を尿として排出する働きを持っています。

尿意を覚えたら、トイレへ。
男性の場合でも座りションする様に言われました。
立ってやったら、放射能に汚染された飛沫が飛び散るかららしい。
被曝量はそんなに無いとは言え、そうした指示が為されるのに、漠然とした不安があったりして。

水を更に飲んで、トイレに行くこと数回。
1時間半したら、順番が来て、検査室への呼び出しが来ました。
その入る前に、小便を搾り出して、いざ検査。

仰向けに寝転がる様に言われ、その通りに寝たら動かない様にベルトで固定され、足の下に枕みたいなものが入れられます。
因みに、大きなガタイなので、前の人が使っていたベルトが利用出来なくて交換(苦笑。
更におでこにも被曝量軽減?の為の当て布を巻かれ、殆ど棺桶の中のミイラ状態。
そのまま、検査装置の中に入っていって、最初に深呼吸して通常のレントゲンの様な息留め。
これを2度繰返したら、後は普通に呼吸して下さい、但し寝たら駄目ですよ、と言われ、20分間の撮影の始まりです。

要は人体輪切り撮影ですので、結構な時間が掛かります。
途中、モソモソと言うアナウンスが聞こえたのですが、何を言っているのか判らず、2度目のアナウンスで、あと何分と言っているのが判りました。
最初の段階では特に気にならなかったのですが、後6分になってから、足の下に突っ込まれた枕の位置が余り良くなかったのか、腰が痛くなり、痺れが出て来て動きたい動けないと言うジレンマ状態になったり、今日は花粉が凄かったのか、鼻水が出て来たりして、それを飲み込んだりしてましたから、この時間が一番長く感じました。

最後の難行苦行の6分を終えてやっと解放。
後は画像の確認をするのと、残りの検査役を排出するために、20分ほど待機。
終わりと思いきや、腹部のみ再撮影となり、再び検査台に逆戻り。
やはり、鼻水を飲み込んだのが拙かったようです。

再び検査台に乗って、拘束されて、今度は鼻水が出ない様にきちんと我慢して6分の苦行に堪えました。
終わって待っていると、撮影終了の連絡が。
3度目が無くて良かったです。

こうして再び着替えをして、要らなくなった検査着やバック、スリッパはダストポストに入れて、お会計。
前回のCTの時は数万円かかると言うのが1万円未満で済んだのですが、今回は2万5千円弱なり。
本当に、入院検査は物入りです。

と言う事で、明日からは暫く更新は滞ると思います。
パソコンは持っていきますが。
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ある意味、幸運な爆撃機 [飛行機]

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やっぱり長期間休みになると聞きつけると、どこからともなく会議会議を突っ込まれ、結局、早く帰る事が出来ませんでした。
明日は検査なのですが、朝5時から水以外の飲食をしなければ良いので、健康診断よりは未だマシです。
て言うか、銀行に寄る暇があるかどうかが気になりますし、軟体的なボヤージュが引き取れるかどうか、微妙な情勢です。

さて、入院までLancasterの話をまだ引き摺ろうと思うわけですが、1943年の爆撃機仕様B.14/43で、Lancaster Mk.4またはMk.5として開発された機体が、後にLincolnと言う名称で採用されます。
Lancasterを基にして、より多くの爆弾の搭載と、大量の燃料を搭載して、航続距離を伸ばし、近い将来展開されるであろう極東戦線への投入を前提に開発されたものです。

この為、主翼を伸ばし、主翼の燃料タンクを拡大、Lancasterと同じマーリンエンジンですが、2段過給器を取り付けて、常用高度をLancasterの倍にしました。
更に、Lancasterの3枚プロペラは4枚プロペラに換装されています。
機首の銃座は銃手が座って機関銃を直接照準するのでは無く、照準器越しに自動で操作される様に変更され、装備される機関銃も、従来のビッカース7.7mmからブローニング12.7mmに強化されました。
この他、尾部と後上方に動力銃座を設け、このうち、後上方の銃座には12.7mm機関銃の代わりに、イスパノ20mm機関砲を2門装備する機体もありました。

試作機が1944年7月9日に初飛行した後、即座に生産型が発注され、B.1の1号機は1945年4月に初飛行、機数を充足させ、中隊を編成して第一線に投入されたのは、1945年8月で、残念ながらと言うべきか、太平洋戦争に参加する直前で戦争が終了しました。

なお、この機体は英国で生産したほか、米国のパッカードで生産したマーリンを搭載したB.15が、カナダのVictory Aircraftで試作され、更にはB.30が豪州のthe Beaufort Division of the Department of Supplyにて生産が開始されており、1945年7月から第57爆撃スコードロンに引渡しが開始されました。
この機体もあと少し日本軍の抵抗が続いていたら、Tiger Forceで日本軍相手の戦闘を開始していたかも知れません。
ただ、同時期に開発された米国のB-29に比べると余りに保守的な航空機で、中高度域での戦闘を想定していた機体であるため、迎撃する日本軍機とかなり激しい戦いを行った可能性があります。

Lincolnは幸運にもと言うべきか、戦争終結により、大量生産は中止され、528機が生産されたに留まりました。
それに加えて豪州で54機が生産されています。
因みに、Avroはこの機体を168機しか生産していません。
残りは、281機がArmstrong Whitworthで、79機がMetropolitan Vickersで生産されたものです。

対日戦には参加出来なかったLincolnですが、戦後の植民地独立闘争の対ゲリラ掃討戦に用いられ、1947年のアデンへの出撃、マラヤ共産党への攻撃、ケニアのマウマウ団との戦闘に投入され、1953年まで用いられています。
輸出型としては、自国で生産した豪州空軍の他、アルゼンチン空軍にも30機が輸出され、後者では1965年までしぶとく用いられています。
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爆撃機、レーサーになる [飛行機]

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いつも、行きはJRなのですが、帰りは座ろうと銀座線経由で帰っているのですが(経路はこれで申請しているのに、連絡定期が買えなくてJRの定期にせざるを得ない)、今日も座って本を読んでいた訳で。

ふと視線を上げると「妊婦マーク」をぶら下げた人が斜め前に立っていました。
こっちも腰が痛いから座っている訳だし、隣の女の人は流石に気が付くだろうなぁ、と思って、1駅スルーしていたのですが、その女の人、スマホに夢中で席を譲る気配が無い。
しょうがないので、次の駅で電車が止まった時に代ってあげましたが、視線を上げた女の人、流石に気まずかったのか、それとも元々この駅で降りるべきだったのか、次の駅で降りていきました。
大体、スマホをずっと見ている人は、周りを見る余裕が無いのだなぁと思ったし、こちとらもスマホを使っている時は気をつけないと…と思いました。

ここ最近、Lancaster一族の話を書いていますが、今日は脱線してそのライバルと言うか、三本柱の1つであるHalifaxの話を少しばかり。

Manchesterと同様に、バルチャーを搭載した双発爆撃機として計画されていたHalifaxですが、こちらは生産前にマーリン4発に換装した四発爆撃機に計画変更し、1939年10月25日に初飛行。
1940年10月11日には生産1号機、12月5日には早くも初のHalifax装備の爆撃中隊が編成され、1941年3月10日にルアーブル爆撃で初陣を飾りました。

Halifaxは初期型は爆撃機としてマーリン装備の機体が生産されましたが、マーリンが供給不足に陥る可能性があり、空冷のハーキュリーズエンジンを装備した型が開発され、以後の生産型はハーキュリーズを装備しています。
なお、対日戦用の装備として、燃料加圧装置と特殊気化器が開発されています。

爆撃機型の他、沿岸航空隊の哨戒型、パラシュート降下兵用の輸送機、更に大型グライダー曳航機も生産されました。
グライダー曳航機としての初陣は、1942年11月19日、南ノルウェーのドイツ重水工場を2機のHorsaで襲撃したフレッシュマン作戦です。
以後、シチリア島上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦、ライン空挺作戦などに投入され、特に大型のHamilcarグライダーはHalifaxが専用機として用いられました。

戦後、Halifaxはパラシュート降下兵輸送機及び貨物投下機として空挺部隊用の御用達の機体として用いられ、戦後も継続して生産されました。
1946年11月20日にHalifax A.9の最後の1機(RT938)が生産ラインを離れて生産を終えました。

Halifaxも民間機として用いられています。
C.Mk.8の12機は、Avro Tudorの生産が遅れて、BOACがそこら中にある機体を掻き集めた際に採用され、1年間、乗客10名と3,600kgの貨物と郵便を、ロンドンからアクラに運びました。
これより先、まだ大戦中には、Mk.�Vの1機が「Waltzing Matilda」と名付けられ、カモフラージュを付けた状態で、「G-AGXA」の登録記号を付けて用いられています。

この他、London Aero and Motor Serviceが6機のC.8を購入し、貨物特に生鮮物資の輸送に活躍しました。
Halifaxは爆弾倉に荷かごの形をした大型コンテナを持ち、ここに貨物を搭載する事が出来たため、非常に融通の利いた訳です。

とは言え、1948年には既に旧式化し始め、機数が徐々に減っていきます。
この機体の最後の華となったのが、ベルリン空輸です。
ありとあらゆる場所から41機のHalifaxが民間から掻き集められ、9機が墜落あるいは重要部の故障で飛行出来なくなりました。
また、空軍に在籍していた800機のHalifaxが平均6,500kgの貨物を輸送しています。

民間型が最後に光芒を放ったのが、登録記号G-AKEC、「Air Voyager」と名付けられた機体で、1950年9月20日にDaily Expressが主催したエア・レースに参加し、平均速度450km/hで24位に入った事です。
この機体は、1952年まで活動していましたが、惜しくも最後は地上に於ける事故で失われました。

軍用機としても、1952年3月16日、ジブラルタルに配備されていたG.R.6哨戒機が最後の飛行を終えて、1937年以来の活躍に終止符を打っています。
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成田詣で−ぽかぽか陽気 [飛行機]

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今日は良い天気で、南風運用が期待出来そうだったので、日曜ですが成田へ。
昨日はTu-204等と言うど珍機が飛来していたし、未撮影のものもかなり飛来していたのですが、北風運用でしかも風がきつそうだったのでオミット。
今日は打って変わって良い天気で、11時前にはランチェンがあるかと期待していたら、珍しく朝から南風運用で撮影が捗りました。
B.737-MAX8は流石に飛来しませんでしたが、色々と他のものはあったので、適当に2時間程度の釣果貼り貼り。

中国国際航空のB.737-800。
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先日は黄色牡丹塗装でしたが、今日は金牡丹塗装が飛来。

中国国際貨運航空のB.747-400F(SCD)。
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元シンガポール航空機でこちらサイドは4年ぶりの撮影。

大韓航空のB.777-200ER。
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こちらサイド離陸は3年ぶりの撮影。
先週までは朝1便目がB.737-900でしたが、3月を控えて再び戻った様です。

Vietnam AirlinesのA.350-900。
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こちらサイド転がりは4年ぶりの撮影。

Philippine AirlinesのA.330-300。
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転がりは初撮り。

ANAのB.787-8。
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こちらサイド離陸は初撮り。
今や貴重な787スペマ付。

Philippine AirlinesのA.321-200。
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2年ぶりの撮影。

FedExのB.777F。
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離陸は初撮り。

米国のビジネスジェット運航支援会社が保有し、中国のファストファッション大手企業が運航するG.650。
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勿論初撮り。

中華航空のA.330-300。
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3年ぶりの撮影。

JALのB.787-8。
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転がりは5年ぶりの撮影。

マルタのビジネスジェット運航会社が保有するBD-700。
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初撮り。

先日、成田空港に新規就航したViet Jet AirのA.321-200neo。
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折角新規就航したのですが、利用されている機体は以前関空で撮影したもの…orz。

ANAのB.767-300F。
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こちらサイド転がりは2年ぶりの撮影。

Malaysia Airlines CargoのA.330-200F。
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こちらサイド転がりは実に6年ぶりの撮影。

Vietnam AirlinesのA.321-200。
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こちらサイド離陸は初撮り。

DeltaのB.777-200LR。
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何時もなら午後の遅い時間にやってくるのですが、前日入りしたもの。
詳細は後ほど。

Vanilla AirのA.320-200。
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転がりは2年ぶりの撮影。

SASのA.340-300。
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毎度おなじみ、スタアラ塗装機。

ANAのA.320-200neo。
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こちらサイド離陸は2年ぶりの撮影。

これもVanilla AirのA.320-200。
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2年ぶりの撮影。

FedExのB.777F。
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去年10月受領の新造機で初撮り。

先ずはここまで。
まぁ、後は入院の暇潰しに編集するかなぁ。
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チャーチルの愛機 [飛行機]

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今日は成田に出掛けようかと思っていましたが、朝に親戚の家に電話をしないといけなかったり、リハビリに行かないといけなかったり、散髪をしに行かないといけなかったり、チケットを取りに行かないといけなかったり…などなど、色々する事があったので、行くのを諦めました。

こう言う日に限って、レア機材がやって来たりするのですけどね。
明日は風も弱まりそうなので、入院前に出掛けてこようかなl、と思ったりしていますが。

さて、先日Manchesterの話を書いた訳ですが、そこから発展した傑作機であるManchester Mk.3ことLancasterの話はほぼ今日のNHKニュースの沖縄の住民投票並にスルー。
と言う事で、今度はLancasterから出た派生型の話を書く。

第2次世界大戦中、英国は米国の参戦後は第1線機、とりわけ戦闘機と爆撃機の生産に集中し、それ以外の機種は米国からの供給に頼りましたが、1942年に例外中の例外として、C.1/42と言う仕様により4機発注して生まれた機体がAvro Yorkです。
Avroも、Lancasterの生産で手一杯でしたから、当然、新規開発をする余裕は無く、Lancasterの主翼、エンジン、尾部と降着装置を流用し、これにLancasterの倍の容量を持つ胴体を組み付けたお手軽開発の輸送機、と言っても、米国でも同じ手法で輸送機を開発しているので王道の開発方式と言えます。

1942年の仕様書でも、既に基盤は整っているので、試作機LV626は早くも1942年7月5日に初飛行、2号機のLV629も程なく初飛行しました。
この2機は当初、Lancasterの尾翼を流用していたのですが、容積が倍の胴体を取り付けると安定性が不足したため、Manchesterと同様に胴体にも垂直尾翼を取り付け、3枚の尾翼となり、これが標準型となりました。
因みに、1号機は後に空冷のハーキュリーズに換装し、唯一のMk.2となっています。

1943年3月に第24中隊に引き渡された3号機のLV633は、Ascalonと命名されてVIPの輸送に用いられ、チャーチルも愛用しました。
その後の生産は、AvroがLancaster生産に傾注していたため遅々として進まず、量産機1号機であるMW100が第24中隊に引き渡されたのが1944年5月、中隊に完全に充足したのが1945年の事でした。

終戦後も引渡しが行われ、1948年までに7個中隊が編成されて、戦後の日本にも姿を見せています。
この機体の最大の活躍は、1948年6月から1949年10月に及んだベルリン大空輸作戦で、この期間に23万トンもの物資を運びました。
ただ、急造の機体なので、戦後の輸送機としては物足りなかったために、本国では1952年までに後継機に置き換えられましたが、極東では1957年まで利用されていました。

最終的にこの機体は257機(うち、カナダ生産1機)生産され、英国空軍の他、1944年にBOACが英国空軍向けの機体を5機入手する事に成功して、既にほぼ落ち着いていたロンドン発地中海経由カイロ便に投入した他、1945年末までには25機を取得しています。
こちらは、マーリン20からより馬力を強化したマーリン502を装備したものとなっていました。

その後、アルゼンチン路線を開拓しようとしていたBritish South American向けに1946年に12機、Skywayに3機、更にアルゼンチンのFAMA向けに5機が生産され、戦後の民間機としてもある程度の成功を収めています。

一方、Yorkほど大々的な改造をしなかったのですが、爆撃機が輸送機に転用される事は英国ではよくあること。
Lancasterをそのまま輸送機に転用するものが誕生しました。
特に戦後に民間機が行き渡るまでのストップギャップとしての位置づけです。

Avro683 Lancasterは、その名の通り、Lancasterの生産ラインから抽出したもので、武装や爆撃用の装備を取り除き、爆弾倉に貨物室を取り付けて誕生しました。
この機体は1944年1月20日にBOACに納入され、G-AGJIの登録記号で3年に亘ってBOACの実験機として使用され、新型エンジン(ジェットエンジン)のテストベッドや民間機用の装備の開発に非常に役立ちました。

1946年にはBritish South Americanが6機のLancasterを空軍から払下げて貰い、こちらのうち4機は前部にも貨物室を追加し、南米路線の貴重品輸送用として、戦後、純民間機が就役するまで1年間使用されましたが、残りの2機は実際に使ってみると不経済である事が判って空軍に返却されています。

変わったところでは、Flying Refuelingと言う会社が、北大西洋線に於ける無着陸飛行を達成するため、空中給油用の装備を取り付けた4機のLancasterを採用し、数年間に亘って使用しています。

この他、1950年代まで7機のLancasterが民間航空会社で使われ、1機がAlitaliaで用いられていますが、これらは総て訓練機として用いられていました。

Avro685 Lancastrianの方は、もう少し改造に手が込んでいます。
非武装化、爆弾倉の転用は同じですが、後部胴体を客室にして9名から13名の乗客を乗せる様にしました。

元々はカナダのTrans Canada Airが考案して、1943年7月22日に生産ラインから抽出した1機を大西洋横断の定期郵便輸送路線に投入したのが始まりです。
初便は4,000kgの郵便を搭載して12時間26分で目的地まで運ぶことに成功し、以後、カナダ生産分の8機をこの目的用に転換して運航を続けました。

この成功を見て、BOACは32機を生産ラインから抽出して、1945年始めに引渡しを受けた機体をLancastrian1として、従来Empire Boatが行っていた豪州やニュージーランドへの長距離路線に試験投入し、戦前の路線の大幅なスピードアップを実現しました。
そして、1945年5月31日からBOACはQantas Airwaysと共同で豪州便を開始します。
長距離便なので9名の乗客と郵便物を、3日かけて運んだもので、Empire Boatの乗客24名に比べると半分以下と極めて不経済でしたが…。

また、British South Americanは1946年からブエノスアイレス、サンチャゴ、リマ線に、同機を入手して投入しています。
1946年には12機が生産され、3機がSilver City Air、4機がSkyways、5機がイタリアに設立されたばかりのAlitaliaに引き渡されましたが、その活躍期間は短く、最後の機体は1951年に液体貨物の専用機として小さな航空会社で使われた後にスクラップとなりました。
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キャッシュレスの落し穴 [日記]

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今日は早めに帰ってきたのですが、クレジットカードの期限変更でドタバタして何も出来ず。
どれがどのカードを用いて決済していたか、一々調べないといけないし、すっかり御無沙汰なサービスもあったりして、どうやって解約すれば良いのやらと言うのも。
一旦断捨離しないといけないなぁ。

これでこちとらが死んだらどうなることやら。
キャッシュレス社会になった場合、こうした部分で困る事が多いのでは無いだろうか。
特に解約とかどうやってするのか訳が分らないものもあったりするし。

まぁ、「決済出来ませんでした」と言う連絡が来るまで待つものも出て来るだろうなぁ。
私でさえ天手古舞いなのに、ましてお年寄りがこんなカードを持つ様になったら大変じゃないのかなぁと思ったりする。

て事で、今日はここまで。
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Specifications P.13/36 [飛行機]

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今日はやっと仕事に行けた。
でもって、入院誓約書やら、健保限度額適用認定証やらを受取り、後は保険関係の書類を受け取れば、入院準備は完了します。
あと、1週間分の寝間着やら下着やらは調達せねばならぬのですが。
下着以外の寝間着やらバスタオルやらはレンタルで調達するする事も考慮すれば荷物は少なくて済みそうですが、どうするか。
まぁ、今のところドレンがぶら下がる訳では無いので、出血とかは無いだろうとは思いますが。

さて、今日は久々の飛行機話。

P.13/36…これは英国空軍から機体メーカーに対する仕様書として1936年に出されたものです。
この仕様書がAvroとHandley Pageに提示され、それぞれ機体の設計に乗り出します。
同時に、B.12/36と言う仕様書もShortに出されました。

P.13/36の仕様書には何が書かれていたか。
先ずは重爆撃機としての任務が遂行出来る機体であること、そして、その発動機としてはRolls-Royceが当時開発していた先進的なメカニズムを持つ、バルチャーエンジンを2基装備することが謳われていました。
このバルチャーは、マーリンより一回り小型のペリグリンを2基組合せたもので、これ1基で2,000馬力近い出力を発揮する当時としては画期的なエンジンでした。
双発にすると総出力は4,000馬力に達し、1,000馬力のエンジン4基を装備するより前面投影面積は小さくなり、空気抵抗は小さくなり、高性能を発揮出来ます。

となると、4発爆撃機よりは小さな機体で済み、数が必要になっても経済的です。
随分とバラ色のエンジンなので、これを搭載した夢の様な爆撃機を英国空軍首脳部が夢想したとしても仕方ありません。

余談ながら、B.12/36の仕様書はShort一社特命で、一応4発爆撃機として発注されたのですが、経済性を重んじる余り、従来の空軍の標準格納庫を使用し、新たに建設する必要が無い様に、全幅が著しく制限されました。
その結果、アスペクト比が非常に低い主翼になり、総重量も31トンに制限せざるを得ず、全体的に非常に窮屈な設計になってしまいました。
その主翼配置も、近作の名作飛行艇であるSunderlandに倣った肩翼配置とした為、地上静止角を大きく取るには極めて長く複雑な主脚を採用し、それがまた本機の泣き所となりました。

主翼幅が小さくなると、高性能どころか、実用上昇限度が低くならざるを得ず、かつ、積載爆弾量の制限を招く結果になりました。
更に、窮屈な設計は爆弾倉を胴体下部に配置したのは良いのですが、搭載しきれなかった爆弾は中央翼内に搭載すると言う手法を採り、なおかつ胴体の爆弾倉は細かく分割すると言う設計にしたため、後の爆弾の大型化に対応出来ませんでした。

結果、爆撃機としての第一線での活躍は比較的短期間で終わることになります。
とは言え、第2次世界大戦初期の戦略爆撃機としてある程度の機数を揃えられたのは、このShort Stirlingしか無かったので、何とか活躍を続けることが出来たと言えます。

話を戻して、P.13/36を基に作られ、それが形を為したのはAvroの方でした。
Handley Pageの機体は、2機の原型機が発注されたものの、Avroの方が進んでいたのと、バルチャーの不足が懸念されたため、その後、設計が改められて、マーリン4発装備の4発爆撃機として完成しました。
これが後のHalifaxになります。

で、本命のバルチャー装備の爆撃機となった、Avroの機体は同社の所在地に因みManchesterと命名されて、ドイツの脅威に対抗するため、大々的に量産が開始されます。
先ず発注された200機の量産第1号機は1940年夏に完成しますが、安定性が不足したため、3枚の垂直尾翼を更に面積拡大し、水平尾翼面積も増やした改良型が11月に完成しました。
この改良型は、更に出力が1,760馬力から1,845馬力に増大し、高性能が期待された訳ですが…。

元々2基のエンジンを無理矢理X型にくっつけたもので、更に原型になったペリグリンは、Rolls-Royceにしても珍しい失敗作に近いエンジンでした。
要は小型化し過ぎて余裕が無くなったと言うもの。
ただでさえ失敗作に近いエンジン、それを2基繋げた訳で、特に排気熱の処理と冷却面に問題があり、故障が頻発しました。
後に、ドイツがHe-177で同じ轍を踏んだ訳ですが。

結果的にAvroで159機、Metropolitan Vicersで43機の合計202機の生産で終了し、後者の機体は生産中に13機が空襲で焼失しています。
第一線からも、1942年6月25日夜間のブレーメン空襲で引揚げられてしまいました。

とは言え、問題はエンジン側にあり、機体設計自体に問題がある訳では無かったので、Bristol社の空冷セントーラスエンジン、或いはNapier社の液冷H型24気筒セイバーエンジンを搭載した双発爆撃機として、再起するManchesterIIの計画が立てられましたが、両エンジンとも、まだ試作段階だったために日の目を見る事無く、オーソドックスに、今、英国が入手しうる最高のエンジンであるマーリンを4基装備したManchester3が計画され、1941年1月9日にはその原型機が初飛行し、,優秀な性能が得られたことから、Manchesterは打切りとなり、新たにLancasterと言う名称を与えられた機体が生産を開始した訳です。
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24時間営業 [日記]

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昨日同様、体調不良で今日もお休み。
大分、復活したので明日は行けるかな。

時に、今日ニュースを見ていたら、7-11のオーナーが24時間営業をしなかったのは、規約に違反するから違約金を支払え、フランチャイズ契約も破棄するぞ等と言う事を通告されたという項目がありました。
正直、7-11なんてそれこそ、1ブロックに1店出店している位なのですから、そのうちの1店が24時間営業していなくても別に客は困りはしないでしょう。
何時もの店が閉まっていれば、1ブロック向こうの別の店に行けば良い。

何店かでブロックを作って、何曜日どこの店が休み、或いは24時間営業を中止すると言う風にすれば、損害は最小に抑えられると思うのですが。
それでも、24時間を強行するというのであれば、本部から正社員を派遣して、24時間営業を支援すれば良い。
自分達が当事者では無いから、結果的に無理な営業を店側に押し付ける事になるのであって、実際に自分達が当事者として矢面に立たないといけないと言う話になるのなら、強硬な意見は影を潜めるでしょう。

結局、2代目、3代目になると、既にある事が当たり前になっていたから、創業当時の理念がどんどんおかしな方向に向いていって居るのでは無いかなぁと思うのですが。
初代の人達が店の人達と一緒になって作り上げていったものを平然と換骨奪胎して、儲けだけ重視するからこうなる。

人手不足になる一方で、こうした人間性を無視した経営は、今後株主からも批判が出される様になっていきます。
そうなると、今後こうした会社は成り立たなくなるのでは無いでしょうか。

消費者も24時間営業をするのを当たり前と思わない方がいいでしょう。
確かに、世の中には24時間仕事をしないと回らない業種もあります。
例えば、工場の稼働とか、インフラ関係の保守とか…。
でもコンビニはそれが必要とは思いません。

何しろ、私が子供の頃、24時間仕事をしていたのは自販機だけでしたから。
それでも、煙草とか酒の自販機は深夜販売が中止になりました。
近くの西友でも24時間営業をしていた時期もありましたが、今は終夜営業は逆に赤字か嵩むからか止めてしまいました。
そんなに多くの人が来る訳でもありませんし、その間の光熱費とか人件費を考えるとペイ出来ないでしょうね。

コンビニだって、今はどうか知りませんが、芦屋のコンビニは確か22時で閉店でした。
それでも別に困りはしませんでした。
正直、24時間営業を止めて誰がどれだけ困るのだろう。
例えば、社会実験で1ヶ月程度、24時間営業を中止してみれば良いんじゃ無いでしょうか。
それで問題が出る様であれば、何らかの対策を取れば良いでしょうし。
それこそ、働き方改革だと思うし、健康経営だと思うのですが。
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違和感仕事しろ [日記]

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今日は体調が悪くて、全身が怠くなったのでお休み。
終日、寝ていました。
恐らく、胆管狭窄から来るものだなぁと思うのですが。
せめてあと1週間、温和しくしてくれれば良いのに。

時に、今日のニュースで凄い違和感があったのですが、まぁ、民放のニュースショーはどうでも良い。
NHKの7時のニュースで、堀ちえみさんの舌がんのニュースをあれほど長く取り上げる必要があるのだろうか。
池江さんの白血病は、現役アスリートの発症と言う事で、話題になるのは致し方ないと思いますが、今回のはたかが、と言っては失礼かも知れませんが、一芸能人の癌発症のニュースです。
先日、野口五郎さんも食道癌を発症したと言う話題がありましたが、野口五郎さんの方を取り上げることは無く、なんで堀ちえみさんの方は取り上げるのだろうか。

メリハリだとかステージの問題だったりとかがあるのなら、不平等だと思うのですけどね。
こうした話題が気になるのも、個人的に胆管狭窄からの総胆管炎で済むのか、胆管癌に至るのか、いまかなりボーダー状態になっているからではあります。
しかし、一般の人が癌を告知されるケースも多いでしょうし、それをニュースで取り上げることは先ず有り得ません。

本当に、たった1人の芸能人の癌発症、しかもステージ4と言う事まで事細かに取り上げる必要があるのか、疑問です。
と言うか、最近の7時のニュースはどうでも良いことをトップに取り上げすぎていて、バランス感覚が完全に狂っています。
例えば、統計不正の問題とか、基地問題とかそう言った政治関係のニュースを取り上げることは極端に少なくなりましたし、これをトップに取り上げることは殆ど無くなりました。

EテレのETV特集の制作部門を閉鎖するなど、政権に対する忖度が過ぎる様に思えます。
そのうち、首相の肖像を抱いて、「本日、我が指導者は…」なんてやり出すんでは無いでしょうか。
そうなったら、北の彼の国を笑えませんね。

いまなら未だ間に合うとは思いますが、今後、忖度が過ぎる様な事が罷り通るのであれば、本気で30年後には江戸時代がやってくるかも知れませんよ。
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214 [音楽]

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今日は体調が余り良くなくて…と言うか完全に病は気から状態なのかも知れない…それでも朝から来客があったので会社へ。
その後も体調が余り戻らず、仕事をする振りをしながら、適当にお茶を濁していました。

なので、今日は余り書く気力が起きないのですが、ちょっとだけ。
エビ中の妹分的存在で桜エビ〜ずというグループがあります。
元々はAKBなどで言う所の、エビ中のアンダーガールズ的存在で、本メンバーが転校したら、このグループから補充すると言う考えの元で作られたグループです。
しかし、色々あって途中で方向転換。

いまはインディーズで頑張ってる途中です。
インディーズとは言え、「鶏口となるも牛後となるなかれ」。
実際にこのグループの歌う「リンドバーグ」という曲はアイドル楽曲大賞インディーズ部門の2位に食い込んでいます。

現在、彼女達は12ヶ月連続配信曲を出している途中です。
先に挙げた「リンドバーグ」を始め、様々なジャンルの曲を出しています。
ですから、そんじょそこらのメジャーデビューしたアイドルより幅広い楽曲を持っていると言っても過言ではありません。
エビ中と同じく、最近はパフォーマンスが安定してきたこともあり、歌も振付もメジャーアイドルに何等遜色がありません。

そんな中、2月のシングル曲として出たのが「214」。
何ヶ月かに1回、MVが出るのですが、今回のは台湾でのフェスに参加した時のオフショット映像が使われています。

曲調と、彼女達の素の表情が非常に良い。
恐らく、ライブでもかなりキラーコンテンツ的なナンバーになるのでは無いかと思うのですが。

ただ、エビ中と同じで、どうも世に出る機会が見出せないのが残念です。
そりゃ、短期間で売るつもりなら、幾らでも手はあると思いますが、スタダの売り方は基本的に長続きさせる事を目的にしているので、コアな層にしか届かない…まぁ、最近はどのグループでもコアな層にしか働きかけが出来ませんけど。

いまはアイドルが飽和状態なので、メジャーデビューは中々難しいのですが、ポテンシャルが高いグループなので、勿体ないなぁと思います。
ま、個人的にはインディーズのまま武道館というのも面白いなぁとは思いますが。
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