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Junkersの遺産 [飛行機]

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今日は夜から泊まりのお仕事なので、昼間にブログを書いておくテスト。

ここ数日、体調不良で寝ていた際に、ちょっと調子が良くなったらYouTubeを見ていました。
大抵は、音楽のMVだったりするのですが、古き良き懐かしき時代の飛行機の動画もありまして、その中でBB-152と言う飛行機のプロモーションフィルムがありました。

で、以前にも触れたかも知れませんが、今日はその飛行機について書いてみる。

第2次世界大戦前まで、ドイツは世界に冠たる航空大国で、様々な会社が活動していました。
Arado、BFW、Dornier、Hansa、Heinkel、Henschel、Junkers…などなど。
これらの会社は何れも1945年のドイツ敗戦により消滅したり、新たな業態へと転換していきます。
西側の占領地にあった会社は何とか工場設備を活用して復活出来ましたが、東側の占領地にあった会社は、ソ連が賠償として工場設備を接収したために全く復活の目途は立ちませんでした。

しかし、冷戦がそうした状況に歯止めを掛けます。
特にドレスデンにあったJunkersの設備は、撤去はされましたが、生産に携わっていた人材は多く残っていたため、ここを拠点に再び航空機の生産設備を設置し直し、MiG-15やIl-14と言ったソ連製の機体のライセンス生産を始めました。

ただ、MiG-15は兎も角、Il-12はピストンエンジンの輸送機です。
1950年代になると世の中の趨勢はジェットエンジンで動かす輸送機へと変わっていきました。
ソ連本国もそれに応えるべく、Tu-16爆撃機の主要コンポーネントを用いたTu-104を製作していましたが、純粋な旅客機として製作された訳では無いものなので、普通に民間で使うには騒音が酷く、かつ効率が良くありませんでした。

スターリンが死去してソ連の統制が弱まったのも相俟って、各国で自主独立の気運が高まります。
飛行機にしても同じ様なものです。
ポーランドはピストンエンジンの習作から入って、ジェット練習機へと進みます。
これはチェコスロヴァキアも同様です。
両国の場合は、ソ連も余り実績の無い軽飛行機、小型練習機の開発と言うニッチな分野に分け入って、独自の地位を確立しました。
一方、東ドイツは、これとは異なるアプローチを取ります。

Junkersの資産を利用して、一足飛びに大型輸送機を開発した訳です。
これは、1つにはIl-14のライセンス生産を行ってそのノウハウが会ったからと言うのもあったからかも知れません。
兎も角、ドレスデン航空研究所設計チーム指導者であるブルノー・バーデ技師を中心にしたチームは、ドレスデン第2航空機工場でジェット輸送機を設計、試作し、1958年5月1日にロールアウトさせました。

機体の名称は、彼の名を冠したBB-152で、152と言う数字は、有名なJunkers Ju-52に肖って付けられたものです。

実はこの機体、最初、Il-28の後継を目指した爆撃機として開発されたものでは無いかと言われています。
高翼単葉の強い後退角を持つもので、しかも、脚は民間輸送機にとっては胴体内の容積を損ない、バランスが悪い自転車式です。
民間輸送機として設計するなら、低翼単葉で、なおかつ、床下の貨物室スペースを設ける為に、前輪式のオーソドックスな型式にするのが普通だと思われます。

実際、Il-28の後継機として開発されたソ連のIlyushin設計局の作品で、Tu-98と制式採用を競ったIl-54でも、同様な脚配置、全く同じ構造の主翼設計になっていました。
これが設計されたのは1956年ですから、このノウハウを取入れて、BB-152は設計された可能性があります。
もしかしたら、バーデ技師もこのプロジェクトに関わっていたのかも知れません。

エンジンについては、Il-54はAL-7Fですが、これでは経済的では無いし、ソ連でも新設計のエンジンなのでおいそれと国外に技術移転はしなかったのでしょう。
BB-152に関しては、014型と呼ばれる推力3,160kgのエンジン4基を翼下2基のポッドにまとめて配備しています。
これは、Jumo004の発展型だと思いますが。
試作機にレドームは見えず、ソ連の飛行機によくある、武骨な航空士席と思われる透明部分が設けられています。
座席は48〜72名の想定で作られていて、ギャレーも設けられていました。

東ドイツのフラッグキャリアであったLufthansa(East)は、この機体を中距離路線に使用する予定だったそうです。
発展型として、更に90名乗りに大型化したBB-153も開発されていました。

しかし、このBB-152、これ以上は発展しませんでした。
市場が見込めなかったのもありますし、ターボジェットではこの程度の輸送量では経済性が無かったためでもあります。
かくして、BB-152はJu-52になり損ねました。

最大の理由は、COMECONの分業経済体制の中で、各国が独自の旅客機を持つ事をソ連が許さなかったからです。
中型及び大型の旅客機なら、ソ連には対抗出来る機体がIl-18を始めとしてありますからね。
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