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急行列車 [鉄道]

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今朝起きたら土砂降り。
取り敢ず、ゴミ捨てに出掛けてずぶ濡れになって帰宅。
新聞をゆっくり読んで、それからちょっとパソコンして、昼前に掃除機を掛ける。

先週、大阪に出掛ける前日にざっと掃除をしたのですが、何故か知らねど彼方此方埃が溜っていました。
季節が良くなってきたから、窓を開け放して風通しが良くなった分、埃が舞ったのかも知れません。

それからこちらは月1回のトイレ掃除。
まぁ、こちらもそんなに汚れてはいなかったのですが、タンクに置いた薬剤がそろそろ切れていたのでついでに交換。

それから、先週からうちのトイレの窓に居着いていたカメムシをぶん投げ。
どこから入り込んだのか、網戸の内側にみっちり着いていて、網戸を少し開け放しても全然動こうとしませんでしたからね。
薬剤掛けて駆除しなかっただけ有難いと思ってほしい。

後は写真編集をして過ごす。
昨日はまぁ光が回って無くて結構暗めです。
ノイズ削除のAIを駆使しないと見られないレベルの仕上がりでした。
まぁ、まだ5月の写真を編集しているので、これが日の目を見るのはまだ先ですが。

さて、唐突感がありますが、急行列車の話。
神戸の東の果てから西の果てまで通っていた学生時代、新快速が走っていない時間にはディーゼル特急「はまかぜ」や急行「但馬」がまだ走っていました。
貧乏だった学生時代なので、殆どの場合は新快速が走っていない時間帯だと快速に乗るしか無かったのですが…。

でも、1回だけ誘惑に負けて急行列車の「但馬」に乗ったことがあります。
確か急行券は、三ノ宮まで500円だったか600円だったか。
それで車輌はキハ58系、座席は新快速とは異なり直角のクロスシートで、お世辞にも優等列車とは言えない設備。
精々がトイレがついて、冷水機が置かれているのが違い。
それで停車駅は新快速と同じく、明石、神戸、三ノ宮(元町も止まったっけ)。

乗るメリットは余り無いなぁと思ったのは内緒です。
新快速が走っている地域はそれに負ける存在でしたが、そうした優等列車が走っていないと急行列車は使い出がありました。

旅行で周遊券(今は死語)を使うと、急行列車の自由席にタダで乗る事が出来ましたから、貧乏学生の旅行には最適です。

首都圏では、急行「東海」がありましたね。
当時は首都圏だとほぼ普通列車だけだったので、優等列車は貴重でした。
当時は165系電車で、既に就職していた頃だったのでお金もあり、グリーン車を奢ったこともあります。
因みに、これが夜になると大垣夜行になった訳です。

信州から急行「ちくま」にも乗りました。
同じ165系ですが、冬に乗ると、隙間風が寒いくらいだったのを覚えています。

北海道に旅行した際には急行「宗谷」に乗りました。
寝台車が併結されていたような記憶がありますが定かではありません。
でも確か、寝台車に乗った様な気がする。
この寝台車の道中で風邪をひいて、肺炎に至ったので能く覚えています。

新潟からは急行「きたぐに」に乗りました。
既に583系化されていた時で、初めて電車寝台部分に乗りましたね。
JR東日本で583系には乗りましたが、その時は座席車として乗りましたから。
開放寝台列車の良いところは、車内で知らない人とお話しできることです。
結構知らない人同士で会話が盛り上がったような気がします。

北陸では急行「能登路」に乗りました。
既に国鉄色では無くなっており、車内も0系新幹線のリクライニングシートが転用されていて、結構快適だったのに驚いた覚えがあります。
ただ、既に末期の時でしたから、乗客は私だけでしたね。

西の急行列車は余り乗らなかったのですが、四国の急行「うわじま」は乗った覚えがありますね。
宇和島に部活の合宿に行くのに乗りました。
大学生と言ってもやっぱり貧乏旅行でしたから。
合宿終了後は、宇和島から特急バスで室戸や中村の方に抜けて、中村から特急で高松に行き、フェリーで帰ると言う事もしました。

今となっては贅沢な旅としか言い様が無いのですが、こんな旅はもうできないのでしょうね。
それこそ、二本の足で地域を結ばないといけないのかも知れません。
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