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近江の陣屋を訪ねて [読書]

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今日は朝雨が降っていたのですが、出る頃には止んで、傘を持たずに出掛けました。
路面が濡れていたので、気をつけて歩いていましたが、駅に入った階段ですってんころりんして、階段を滑り降りるという失態を…。

まぁ、服も破れず、頭も打たなくて良かったのですが、腰を思い切り打ち付けました。
ただでさえ、ヘルニアもちなのに、明日に引き摺らないことを祈ります。
雨の中、矢張り革靴で歩くのは危険ですねぇ。

さて、ここ数日通勤の行き帰りに読んでいた本の紹介。
今回は前の本と違ってかなり薄い本です。
『近江の陣屋を訪ねて』(中井均編著/サンライズ出版発行)。

簡単に書けば、近江国に存在した大名陣屋の考察です。
大名と言えば、大河ドラマや信長の野望などのゲームの影響からか、大きな城を構えていると言う印象がありますが、実際にはそうした城を構えている大名家は国主、準国主、或いは城主、城主格と言われる家だけで、江戸後期になると城主格と言っても城を構えている訳ではありません。
また、江戸時代の大名家の3分の1は無城と言って、居城を持っていません。

例えば、我が鳩谷も譜代大名が封じられたこともありました。
譜代直臣の阿部政勝は5,000石を知行し、その死後を継いだ阿部正次は、5,000石を加増されて諸侯に列し、陣屋を鳩ヶ谷に構えましたが、これも無城です。
その後阿部正次は22,000石を領して、大多喜に転封されて短期間で廃されましたが。

他に陣屋は、交代寄合と称する、大名に少し手が届かない旗本家の居所や、旗本の知行地に置かれた役所、大名の飛地に構えた役所も陣屋と称しています。
川口では関東郡代の伊奈家の赤山陣屋が前者では有名ですし、後者では井伊家の世田谷陣屋が有名です。

前置きが長くなりましたが、この本では近江にあった大名陣屋の痕跡を紹介しています。
他に近江では朽木家が交代寄合として陣屋を構えていましたが、あくまでも今回は大名家の陣屋の紹介で、市橋長勝が藩祖となる仁正寺市橋家、堀田正休を藩祖とする宮川堀田家、分部光信を藩祖とする大溝分部家の3つの陣屋について、陣屋の構造や周辺の都市建築の様子等を紹介しています。

とは言え、城に比べると資料も少なく、また、余り研究する人もいなかったり、多くが明治になって解体されたり、或いは都市開発の波に飲み込まれたりして、深掘りをする事が出来ません。
そもそも、陣屋を深く研究するにはこの令和の時代は遅すぎ、既に十分な調査が為されずに遺構が解体されたり、破壊されてしまったりして、資料が殆ど残っていません。

従って、それなりに資料が残っていたり、建築物の一部が移築などで残っていたのはこの3つの陣屋だけです。
近江には他にも陣屋が点在していましたが、それらについては軽く触れているだけでした。
つくづく、日本と言う国は歴史を大事にしない国だなぁと思ったりする。

町おこしの材料として、こうした陣屋を活用しようという動きが遅まきながら出て来たところが救いなのかも知れません。
凄く地味な研究成果を書いている本ですが、こうした陣屋が大名家居所の主流だったと考えれば、結構価値の高い建築物では無いでしょうか。

近江の陣屋を訪ねて (近江旅の本)

近江の陣屋を訪ねて (近江旅の本)

  • 出版社/メーカー: サンライズ出版
  • 発売日: 2021/05/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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