SSブログ

2匹のOtter [飛行機]

画像

昨日は23時過ぎまで仕事をして、ホテルに泊り、7時過ぎにホテルを出て会社へ。
ホテルが会社から徒歩2分の場所だったので、通勤が楽っちゃ楽。
流石に毎日これはしたくない。

先日の風邪の御陰で、お腹が緩くて、今日はものを食べたり飲んだりすると、途端にトイレに駆け込んでいました。
親もどうやら私の風邪が移ったらしく寝込んでいます。
今年の風邪は喉をやられ、食欲が無くなり、お腹に来てと中々本復しません。
インフルエンザよりもある種凶暴かも知れないですね。

さて、昨日はBB-152だったので、今週は何も無ければ飛行機話にでもしようかと思ったり。

カナダはその国土の広大さから飛行機による輸送が発達しており、しかも、未開の地が多い事から、小さな空地からでも離発着出来る機体が重宝されてきました。
カナダの航空機産業は第2次世界大戦で英国資本の企業が多数疎開し、裾野も広がっていきました。

そんな会社の1つに、英国のMosquito爆撃機を生んだDe Havillandのカナダ法人があります。
Mosquitoの量産をした傍らで、戦後は英国連邦向けの練習機を開発して、独自の地位を築きました。
練習機と共に重視したのが、未開の広い国土を縦横に駆け巡ることの出来る多用途機です。

最初の機体はDHC-2 Beaverと名付けられ、かなりの成功を収めました。
ただ、頑丈で離着陸距離が短く、多くの利用者の仕様を満たしていたものでしたが、如何せん搭載量が少ないのが玉に瑕。
市場はもう少し大きな機体を求めていました。
とは言え、双発機にするとかなりコストが上がるので、単発の侭で限界まで搭載量を持たせた機体が望ましい。

かくして、DHC-2を拡大、発展させたDHC-3 Otterが開発されます。
これは従来のDHC-2の使い勝手を受継ぎながら、1トン以上の貨物を搭載出来、かつ陸上機から水上機、更にスキーへの転換も素早く出来、稼働率の高い機体となります。
DHC-2の450馬力から600馬力のピストンエンジンに換装されたことで性能も若干ですが向上しました。

この機体は、DHC-2の後継としてU-1の名称で米軍にも採用され、世界各地の軍民で用いられました。
因みに、日本でもDHC-3は、昔の東亜国内航空の前身、日東航空で1機が用いられ、大阪と徳島の航路で用いられました。
この機体のお値段は、当時の金額で6,900万円だったという記録が残っています。

話を戻して、DHC-3でも大きな成功を収めたDe Havilland Canadaでは、市場のニーズを更なる大型化と読みました。
既に単発では限界に達していたので、当然、今度は双発機となります。

そして、Twin Otterと言う名称の機体を開発し始めます。
これも、原型に忠実に、実用性と離着陸性能に重きを置いた設計となりました。
こうして1958年9月に初飛行したのが、DHC-4です。

この機体はDC-3とほぼ同じ大きさの機体ですが、他のDC-3後継機と大きく異なるのは、その圧倒的な離着陸性能です。
航続距離は320kmと近場の場合、3.5tの貨物を、航続距離1,200km以上だと2.5tの貨物を、または乗客27名と荷物0.8tを搭載して飛行出来ます。
こうした貨物を搭載しながら、熟練したパイロットだと150m、普通の離陸操作でも270mあれば離陸出来るという驚くべき性能を有しています。
着陸も300〜400mなので滑走路は1,000mも要らないくらいです。
その貨物搭載も、矩形断面の胴体と相俟って、内部容積に無駄は無く、後部下面にはランプを兼ねた扉がつきますから、トレーラーに載せた貨物をその侭搭載する事が出来る訳です。

惜しむらくはエンジンが従来同様のピストンエンジンでした。
ただ、世界中に部品が転がっているツイン・ワスプエンジンなので、実用性を損ねるものでは有りません。
この機体は、Otterからはかけ離れた機体となり、結局、愛称はCaribouと名付けられ、これも米軍が多数を発注して、Vietnamの戦場で使われています。

更に、DHC-4のエンジンを、衰退の兆しが見えたピストンエンジンからタービンエンジンのT64に代えたのがDHC-5なのですが、それは本筋から離れてしまうので置いておいて。
ただ、DHC-5はそれなりに成功を収めましたが、丁度、この頃からはタービンエンジンを搭載して垂直に離着陸が出来るヘリコプターの性能向上とかち合ってしまい、米軍の関心も薄れたため、ヒット作にはなりませんでした。

さて、Twin Otterと言えば、この会社の次の作品であるDHC-6が有名です。
これは元々De Havilland Canadaが計画した機体では無く、カナダ空軍が発注した機体です。
1960年代と言えば、飛行機に対し様々なバラ色の夢があった時代、その中でも垂直離着陸、短距離離着陸と言うのは航空機開発に於ける永遠のテーマの一つでした。

カナダ政府は野心的なAvro Carを開発したりもしていますが、一方で地道な研究として、DHC-3を土台に、種々のSTOL装置の研究を重ねていました。
1963年、空軍はDHC-3の改造から一歩踏み出して、機首のピストンエンジンを取り外し、ノーズコーンを取り付け、主翼に国産のPT6Aターボプロップを取り付けて双発化すると共に、胴体内にJ85ジェットエンジンを取り付けて後部胴体左右に推力変向式の排気ノズルを出し、全幅のフラップで揚力係数を4にまで高め、最小飛行速度65km/h、離陸滑走距離は無風でも150m以下という数字を叩き出す実験機、STOL Otterを作り上げます。

このSTOL Otterからジェットエンジンを取り除き、民間機としてリファインしたのが、DHC-6 Twin Otterとして知られる機体です。
乗客は15名を乗せて、満載で305mの離陸距離で飛び上がれるSTOL性能を誇っています。
Otterと異なるのは、翼幅が2.1m拡がり、翼構造が補強されたこと、機首に気象レーダーの搭載スペースが生まれ、その部分に0.6m^3の貨物室が設けられたこと、客室後方にも1.5m^3の貨物室が設けられたことです。

双発化したことで性能が向上すると共に、有視界飛行での安全性が向上しています。
とは言え、当初のOtterとの共用部分は殆どありません。
1965年に初号機が初飛行すると、これもヒット作となり、爆発的に売れました。
日本でも、南西航空が離島便として採用したり、日本近距離航空がローカル線の機体として採用したりして、日本でもよく知られた機体になっています。
なお、この機体は現在でも別の会社にライセンスが売られて近代化改修型の生産が続いており、近年は日本でも第一航空が沖縄の離島便として運航していましたが、残念ながら事故を起こした後、市場から撤退して売却されてしまいました。

何時かは乗りたかった機体でしたが…。
nice!(0) 

nice! 0