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爆撃機、レーサーになる [飛行機]

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いつも、行きはJRなのですが、帰りは座ろうと銀座線経由で帰っているのですが(経路はこれで申請しているのに、連絡定期が買えなくてJRの定期にせざるを得ない)、今日も座って本を読んでいた訳で。

ふと視線を上げると「妊婦マーク」をぶら下げた人が斜め前に立っていました。
こっちも腰が痛いから座っている訳だし、隣の女の人は流石に気が付くだろうなぁ、と思って、1駅スルーしていたのですが、その女の人、スマホに夢中で席を譲る気配が無い。
しょうがないので、次の駅で電車が止まった時に代ってあげましたが、視線を上げた女の人、流石に気まずかったのか、それとも元々この駅で降りるべきだったのか、次の駅で降りていきました。
大体、スマホをずっと見ている人は、周りを見る余裕が無いのだなぁと思ったし、こちとらもスマホを使っている時は気をつけないと…と思いました。

ここ最近、Lancaster一族の話を書いていますが、今日は脱線してそのライバルと言うか、三本柱の1つであるHalifaxの話を少しばかり。

Manchesterと同様に、バルチャーを搭載した双発爆撃機として計画されていたHalifaxですが、こちらは生産前にマーリン4発に換装した四発爆撃機に計画変更し、1939年10月25日に初飛行。
1940年10月11日には生産1号機、12月5日には早くも初のHalifax装備の爆撃中隊が編成され、1941年3月10日にルアーブル爆撃で初陣を飾りました。

Halifaxは初期型は爆撃機としてマーリン装備の機体が生産されましたが、マーリンが供給不足に陥る可能性があり、空冷のハーキュリーズエンジンを装備した型が開発され、以後の生産型はハーキュリーズを装備しています。
なお、対日戦用の装備として、燃料加圧装置と特殊気化器が開発されています。

爆撃機型の他、沿岸航空隊の哨戒型、パラシュート降下兵用の輸送機、更に大型グライダー曳航機も生産されました。
グライダー曳航機としての初陣は、1942年11月19日、南ノルウェーのドイツ重水工場を2機のHorsaで襲撃したフレッシュマン作戦です。
以後、シチリア島上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦、ライン空挺作戦などに投入され、特に大型のHamilcarグライダーはHalifaxが専用機として用いられました。

戦後、Halifaxはパラシュート降下兵輸送機及び貨物投下機として空挺部隊用の御用達の機体として用いられ、戦後も継続して生産されました。
1946年11月20日にHalifax A.9の最後の1機(RT938)が生産ラインを離れて生産を終えました。

Halifaxも民間機として用いられています。
C.Mk.8の12機は、Avro Tudorの生産が遅れて、BOACがそこら中にある機体を掻き集めた際に採用され、1年間、乗客10名と3,600kgの貨物と郵便を、ロンドンからアクラに運びました。
これより先、まだ大戦中には、Mk.�Vの1機が「Waltzing Matilda」と名付けられ、カモフラージュを付けた状態で、「G-AGXA」の登録記号を付けて用いられています。

この他、London Aero and Motor Serviceが6機のC.8を購入し、貨物特に生鮮物資の輸送に活躍しました。
Halifaxは爆弾倉に荷かごの形をした大型コンテナを持ち、ここに貨物を搭載する事が出来たため、非常に融通の利いた訳です。

とは言え、1948年には既に旧式化し始め、機数が徐々に減っていきます。
この機体の最後の華となったのが、ベルリン空輸です。
ありとあらゆる場所から41機のHalifaxが民間から掻き集められ、9機が墜落あるいは重要部の故障で飛行出来なくなりました。
また、空軍に在籍していた800機のHalifaxが平均6,500kgの貨物を輸送しています。

民間型が最後に光芒を放ったのが、登録記号G-AKEC、「Air Voyager」と名付けられた機体で、1950年9月20日にDaily Expressが主催したエア・レースに参加し、平均速度450km/hで24位に入った事です。
この機体は、1952年まで活動していましたが、惜しくも最後は地上に於ける事故で失われました。

軍用機としても、1952年3月16日、ジブラルタルに配備されていたG.R.6哨戒機が最後の飛行を終えて、1937年以来の活躍に終止符を打っています。
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