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チャーチルの愛機 [飛行機]

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今日は成田に出掛けようかと思っていましたが、朝に親戚の家に電話をしないといけなかったり、リハビリに行かないといけなかったり、散髪をしに行かないといけなかったり、チケットを取りに行かないといけなかったり…などなど、色々する事があったので、行くのを諦めました。

こう言う日に限って、レア機材がやって来たりするのですけどね。
明日は風も弱まりそうなので、入院前に出掛けてこようかなl、と思ったりしていますが。

さて、先日Manchesterの話を書いた訳ですが、そこから発展した傑作機であるManchester Mk.3ことLancasterの話はほぼ今日のNHKニュースの沖縄の住民投票並にスルー。
と言う事で、今度はLancasterから出た派生型の話を書く。

第2次世界大戦中、英国は米国の参戦後は第1線機、とりわけ戦闘機と爆撃機の生産に集中し、それ以外の機種は米国からの供給に頼りましたが、1942年に例外中の例外として、C.1/42と言う仕様により4機発注して生まれた機体がAvro Yorkです。
Avroも、Lancasterの生産で手一杯でしたから、当然、新規開発をする余裕は無く、Lancasterの主翼、エンジン、尾部と降着装置を流用し、これにLancasterの倍の容量を持つ胴体を組み付けたお手軽開発の輸送機、と言っても、米国でも同じ手法で輸送機を開発しているので王道の開発方式と言えます。

1942年の仕様書でも、既に基盤は整っているので、試作機LV626は早くも1942年7月5日に初飛行、2号機のLV629も程なく初飛行しました。
この2機は当初、Lancasterの尾翼を流用していたのですが、容積が倍の胴体を取り付けると安定性が不足したため、Manchesterと同様に胴体にも垂直尾翼を取り付け、3枚の尾翼となり、これが標準型となりました。
因みに、1号機は後に空冷のハーキュリーズに換装し、唯一のMk.2となっています。

1943年3月に第24中隊に引き渡された3号機のLV633は、Ascalonと命名されてVIPの輸送に用いられ、チャーチルも愛用しました。
その後の生産は、AvroがLancaster生産に傾注していたため遅々として進まず、量産機1号機であるMW100が第24中隊に引き渡されたのが1944年5月、中隊に完全に充足したのが1945年の事でした。

終戦後も引渡しが行われ、1948年までに7個中隊が編成されて、戦後の日本にも姿を見せています。
この機体の最大の活躍は、1948年6月から1949年10月に及んだベルリン大空輸作戦で、この期間に23万トンもの物資を運びました。
ただ、急造の機体なので、戦後の輸送機としては物足りなかったために、本国では1952年までに後継機に置き換えられましたが、極東では1957年まで利用されていました。

最終的にこの機体は257機(うち、カナダ生産1機)生産され、英国空軍の他、1944年にBOACが英国空軍向けの機体を5機入手する事に成功して、既にほぼ落ち着いていたロンドン発地中海経由カイロ便に投入した他、1945年末までには25機を取得しています。
こちらは、マーリン20からより馬力を強化したマーリン502を装備したものとなっていました。

その後、アルゼンチン路線を開拓しようとしていたBritish South American向けに1946年に12機、Skywayに3機、更にアルゼンチンのFAMA向けに5機が生産され、戦後の民間機としてもある程度の成功を収めています。

一方、Yorkほど大々的な改造をしなかったのですが、爆撃機が輸送機に転用される事は英国ではよくあること。
Lancasterをそのまま輸送機に転用するものが誕生しました。
特に戦後に民間機が行き渡るまでのストップギャップとしての位置づけです。

Avro683 Lancasterは、その名の通り、Lancasterの生産ラインから抽出したもので、武装や爆撃用の装備を取り除き、爆弾倉に貨物室を取り付けて誕生しました。
この機体は1944年1月20日にBOACに納入され、G-AGJIの登録記号で3年に亘ってBOACの実験機として使用され、新型エンジン(ジェットエンジン)のテストベッドや民間機用の装備の開発に非常に役立ちました。

1946年にはBritish South Americanが6機のLancasterを空軍から払下げて貰い、こちらのうち4機は前部にも貨物室を追加し、南米路線の貴重品輸送用として、戦後、純民間機が就役するまで1年間使用されましたが、残りの2機は実際に使ってみると不経済である事が判って空軍に返却されています。

変わったところでは、Flying Refuelingと言う会社が、北大西洋線に於ける無着陸飛行を達成するため、空中給油用の装備を取り付けた4機のLancasterを採用し、数年間に亘って使用しています。

この他、1950年代まで7機のLancasterが民間航空会社で使われ、1機がAlitaliaで用いられていますが、これらは総て訓練機として用いられていました。

Avro685 Lancastrianの方は、もう少し改造に手が込んでいます。
非武装化、爆弾倉の転用は同じですが、後部胴体を客室にして9名から13名の乗客を乗せる様にしました。

元々はカナダのTrans Canada Airが考案して、1943年7月22日に生産ラインから抽出した1機を大西洋横断の定期郵便輸送路線に投入したのが始まりです。
初便は4,000kgの郵便を搭載して12時間26分で目的地まで運ぶことに成功し、以後、カナダ生産分の8機をこの目的用に転換して運航を続けました。

この成功を見て、BOACは32機を生産ラインから抽出して、1945年始めに引渡しを受けた機体をLancastrian1として、従来Empire Boatが行っていた豪州やニュージーランドへの長距離路線に試験投入し、戦前の路線の大幅なスピードアップを実現しました。
そして、1945年5月31日からBOACはQantas Airwaysと共同で豪州便を開始します。
長距離便なので9名の乗客と郵便物を、3日かけて運んだもので、Empire Boatの乗客24名に比べると半分以下と極めて不経済でしたが…。

また、British South Americanは1946年からブエノスアイレス、サンチャゴ、リマ線に、同機を入手して投入しています。
1946年には12機が生産され、3機がSilver City Air、4機がSkyways、5機がイタリアに設立されたばかりのAlitaliaに引き渡されましたが、その活躍期間は短く、最後の機体は1951年に液体貨物の専用機として小さな航空会社で使われた後にスクラップとなりました。
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