イタリア料理の誕生 [読書]
今日は全身筋肉痛。
最近、週末に中々身体を動かす機会が無かったので、流石に身体が鈍っていたようです。
そして、帰りにやっとこ不在者投票に行けました。
全く、2回も無駄足を踏んだ訳で、投票率が低くなるのが判るような気がします。
さて、今回は本の話。
『イタリア料理の誕生』(Carol Helstosky著/小田原琳、泰泉寺有紀、山手昌樹共訳/人文社刊)。
以前、寝物語でイタリア料理に関する柴田書店の本を読んでいたことがあったのですが、それに興味があって買った本です。
しかし、目からウロコが落ちました。
よく考えてみると、イタリアにしろ、フランスにしろ、ドイツにしろ、勿論、日本や中国もですが、1つの国の括りで料理を論じるのは間違っています。
料理というのは地域性のあるものですから、日本でも江戸前と京料理があるが如く、フランスだってプロバンス料理と地中海料理はまるで異なりますし、ドイツだって地域によって様々な料理があります。
中国だって、四川料理や広東料理など地域で分かれているわけですから、1つの国と言う括りで料理を論じることが出来ません。
イタリアも同様で、北方のジビエ料理と地中海に面した地域のイカやタコなどの海産物を使った料理はまるで違います。
その上、イタリアの場合は、国が長いことバラバラでした。
それは日本も同じで、両方とも急速に中央集権化を進めています。
主食にしても、日本では都市部は白米を食べていたのですが、玄米を食べていたり、雑穀が主食だったり、芋を食べていたりと様々です。
イタリアのイメージと言えば、ピザやパスタと言った小麦粉を練って作る料理が多いです。
第2次大戦のジョークに、「イタリア軍はパスタを茹でる水が大量に要るから、直ぐに飲料水が尽きる」なんてのがありました。
ところが、イタリア統一から第1次世界大戦直前まで、イタリアで主食と言えば、玉蜀黍粉を原料にしたパンでした。
勿論、小麦を食べる人もいますが、経済力の違いで食べるものや量が異なり、南になるほど小麦の摂取量は減り、全体でも摂取する栄養価は低いままです。
当然、南の貧農や下層庶民層は餓死の危険性もあるので、母国を捨てて新天地を求め、新大陸へと渡っていきました。
そこで出会ったのが、安定した職と共に安くて大量に食べられる小麦などの穀類です。
ある程度食べられるようになった移民達は、自分達の地域で食べられていた食物を懐かしく思い、豊富な穀物を利用したソウルフードを同胞のみならず、他国の移民達にも振る舞うようになります。
こうした食べものを作るためには、祖国に生産用の機器を発注しなければなりません。
かくして、ピザ用の窯とか輸入した小麦を使った乾燥パスタとかトマトソースが作られていきました。
それらは移民のいる地域に輸出され、国内の人々を潤すと共に、彼等もまた生活水準向上で、パスタやピザを食べ始め、それらがステータスシンボルとなっていった訳です。
こうした食べものが一気に世間に広まったのは第1次世界大戦の頃で、連合国側に立って参戦したイタリアは、連合国からの小麦を中心とする穀物の供与を受け、栄養価の向上に力を入れます。
但し、人々がこうした食べものを求めるには充分ではなく、かと言って、国内農業や食品工業の能力不足から、参戦後は小麦が不足し、敵国の捕虜となった人々に十分に物資を送れず、ドイツの捕虜収容所で最も栄養価の低い食べものを与えられていたのがイタリア人だとまで言われました。
第1次世界大戦は戦勝国にこそなりましたが、第1次世界大戦後は不景気の到来と対外政策の失敗、更に終戦で連合国からの穀物輸入が途絶え、国内は混乱が生じます。
これに乗じたのがファシスト党で、社会の混乱に乗じて政権を奪取します。
政権奪取後は混乱した食糧政策を立直し、食糧生産を軌道に乗せようとしますが、小麦戦争と呼ばれる生産競争の無理強いでまた農業に打撃を与え、挙げ句エチオピア侵攻で躓き、経済制裁で国内の産業が壊滅的になりました。
その状態でバスに乗り遅れるなとばかりに第2次世界大戦に参戦したため、1945年までずっと尾を引き、闇市の隆盛を招くと共に、遂に食糧生産は19世紀並に後退した訳です。
終戦後も同じ様に混乱しましたが、ここからは「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済成長により、国民の所得が上がり、農業生産力も向上します。
また観光資源としてのイタリア料理が有名となり、庶民もその恩恵を被るようになる訳です。
一方で、経済成長は、人々から余裕を無くしました。
スーパーマーケットの進出やファストフードの展開など他国からの文化進出も多くなります。
イタリアの人々はそれを単純に受容するのでは無く、よく吟味して受容する事をしていて、確かに両者は増えはしましたが、その伸び数はじんわり増えている感じです。
このように、イタリアの食を通じてイタリア統一からスローフード運動までの期間を通じての同国の近代史を辿るのが本書です。
イタリア料理を起点にした歴史の展開を見るというのは、新たな視点ですし、他の国でもこうした視点で歴史を論じることも出来るんじゃ無いかなぁなんて思いました。
それにしても、パスタやピザの歴史がそんなにも浅いものだとは知りませんでした。