羽田詣で-ねこの目 [飛行機]
今日はサーバ室床掃除の立ち会いで休日出勤。
掃除をしてくれたのは良いのですが、ご丁寧にワックス2度掛けをしてくれたので結構時間が掛かり、その上、サーバ室は通常の部屋よりも空調温度が低く設定されているため、ワックスの乾燥に時間が掛かり、終わってみれば11時半過ぎ。
何だかんだやっていると12時を超えてしまい、羽田に着くとイタリアはIFAのA.350-900の到着、ドイツのLufthansa German AirlinesのB.747-8Iの出発、Scandinavian Airlines SystemのA.350-900の出発に間に合わず、リベンジとあいなりました。
そして、今日は南風運用なのでD滑走路出発がなく、到着便のみ目の前を通り、出発便は逆からC滑走路に向かったため、結局IFAは撮りそびれました。
で、今日はねこの目天気。
日が差して、一気に気温が上がったかと思うと、急に暗くなって雨が降る。
雨が止んだらまた日が差して、路面が乾くとまた雨が降ると言う目紛しい天気でした。
12時半くらいから3タミに居座ってデッキに佇んでいたのですが、途中で傘を差して退避することを数回繰返してみたり。
14時半くらいになると、バケツをひっくり返したような雨になり、周りが完全に真っ白になりました。
このため、こりゃあかんと這々の体で3タミのモノレール駅に着いたらまた日が差してきていたと言うね。
流石に遅くなるので、すっぱり未練を断ち切って帰ってきました。
その後は赤羽に出て何時もの様にパンを買い、バスで帰ったら西友に寄り、最後に伸び放題だった髪の毛を1,000円床屋で綺麗にして貰ったのですが、床屋を出たところでまた雨に降られました。
今は土砂降りレベルの雨になっています。
と言う事で、撮影枚数が少なかったため、取り敢ず初撮りの機体とかを久々に貼り貼り。
上海航空のB.787-9。
5年前の機体ですが初撮り。
IFAのA.350-900。
1タミに行ったのでこれしか撮影出来ず。
中国東方航空のA.330-300。
中国東方航空から上海航空に移籍し、去年10月にまた親会社に舞い戻ったもの。
JALのB.787-9。
中々このOne World塗装機にはお目に掛かれず、実は初撮り。
ANAのB.787-10。
今年4月に就役したばかりの機体で、国内線のB.777-300後継機。
DeltaのA.330-900neo。
2年前に就役した機体。
これも同じく。
こちらは去年5月就航。
因みに此の時が雨のピークで心折れました。
中国南方航空のA.330-300。
中々中国南方航空のA.330-300は撮影する機会が無いです。
Solaseed AirのB.737-800。
ポケモン塗装機。
中国南方航空のB.787-9。
6年前に就役した機体。
ところで、ヤマト運輸の貨物機が羽田に来るようになったのですが、中国の中州航空の貨物機が羽田に飛来しました。
故障か何かは判りませんが、何時も成田常連の機体なので、羽田に来たのは珍しいです。
元々SKYMARK機で、Jeju Airで活躍した後、貨物機に改造され去年10月にフリートに加わった機体です。
そう言う意味では今日里帰りを果たしたのか。
支払停止とか退会とか荷物受け取りとか [パソコン]
今日は流石に在宅。
昨晩は土砂災害警戒レベルが3になって、公民館に避難所が設置されるなど、結構降ったようです。
今朝も結構降っていたので、帰りが心配になって取り敢ず在宅にしました。
昨日も書いたように、明日出勤して、ワックス掛けの立ち会いというのもある。
雨にならなければ、羽田に行こうかと思ったのですが、一応今の予報だと雨になるみたいなので、重いカメラを持っていく必要は無いかな…と言って持って行かなければ、今度は雨が降らないわけで。
持っていくだけ持って行って、後は持ち帰りでも良いかも知れない。
流石に2台も3台も持つ気にはならないけど。
さて、一時鳴りを潜めたのですが、最近また迷惑メールが飛来するようになりました。
曰く、宅配便の荷物が届いたので受取り設定をしろとか、クレジットカードの支払が出来ないのでここをクリックして設定をし直せとか、銀行の引き落としが出来ないのでカード情報を入力しろとか、amazonの支払情報が古いので更新しろとか、電力会社の電気料金が引き落とせなかったからここをクリックしろとか、ありとあらゆる理由でメールが飛んできました。
大抵は迷惑メールフォルダに落ちるので、とっとと削除するのですが、JRとクレジットカードの支払金額確認とかは似た様なメールが来て、それが時々まともな方まで迷惑メールフォルダに落ちるので、「これはどっちだ?」と判断に悩むことが屡々。
まぁ、かなりの確率で迷惑メールなので全部削除しても良いのですが、流石に必要なものまで消してしまうわけにも行かない。
と言う事で、判断に迷うものはURLをじっくり確認して確認する必要があったりします。
マウスをURLに翳してみると大抵URLが変なのだったり、.cnドメイン(=中華人民共和国が発行しているURLの番地で、その殆ど全てが迷惑メールに使われる)だったりと、じっくり見たら判るものなのですが、スマホの小さな画面だと見落とすだろうなぁと思ったりする。
一番良いのは、こんなメールを受信しなければ良いのですが、この世の中、迷惑メールを全く受信しないと言う事は出来ません。
大体の人は、名前とか数字をメールアドレスに設定しているでしょうからね。
全く適当な50桁くらいのランダム英数字と記号の組合せだったら流石に来ないかも知れませんが、まずもって自分が覚えられないのでは無いかと思います。
最近、こうした迷惑メールを受信すると、これをそのまま転送するようになりました。
パソコンのOutlookの場合、リボン右端をクリックして「クラシックリボン」に替えて、転送アイコンの右側にある「その他」をクリックして「添付ファイルとして転送」をクリックすると、迷惑メールが添付ファイルになり、転送画面が起動します。
転送画面のメールアドレスに「meiwaku@dekyo.or.jp」と入力して送信ボタンをクリックします。
このドメイン「dekyo.or.jp」というのは日本データ通信協会と言う業界団体のドメインです。
で、「meiwaku@dekyo.or.jp」は迷惑メール相談センター行きのメールアドレスとなります。
ここに迷惑メールを添付ファイルとして送ると、向こうさんで解析してくれて、後はよしなにしてくれます。
ここ数日、数通ずつの迷惑メールを送っていたら、迷惑メールが劇的に減り、ここ数時間は来なくなり、静かな週末を迎えています。
パソコンの迷惑メールに悩んでいる人は、ちょっと面倒で敷居が高いかも知れませんが、こんな方法で撃退することが出来ますという紹介でした。
また、日本データ通信協会の迷惑メール相談センターのページには色々と参考になる情報もありますので、ここのホームページも貼り付けておきます。
迷惑メール相談センター
情報提供のお知らせ
台風と聞けば血湧き肉躍る [日記]
…とまぁ不謹慎なタイトルですが、昔の漫画の台詞にそんなのがありました。
で、今、外は結構な雨で、土砂災害警戒レベルが3になっています。
新井宿周辺やグリーンセンター近辺で土砂災害警戒が出ています。
まだうちの近辺には被害が及んでません。
何時もなら、芝川とか新芝川辺りが氾濫危険水位に達するのですが、未だ少し余裕があるみたいです。
明日以降はどうなるか判りませんが。
明後日はこの台風の中、またも休日出勤なので、明日はリハビリに行きたいと言う事で在宅勤務です。
明日は出来れば、雨が降ってほしくないなぁと思っています。
時に台風と言えば、地震より余り思い出が無いのですよね。
子供の頃の台風は、ビュービュー強風が吹いて、雨が雨戸に叩き付けられて大きな音を出す(当時は木製だったので尚更)というのが思い出に残っているのですが、大体、夜になるともう眠くなってコテンと寝ていて、大抵の台風は夜に過ぎ去っていったため、朝起きると良い天気になったなぁくらいだった気がします。
1回だけ、1978年の台風17号の時に集中豪雨で大雨になって、床下が水に浸かった覚えがありましたっけ。
当時の家の前は砂利道と言うか未舗装道路だったので、大雨で泥だらけになっていて、歩こうにも長靴がズブズブ埋まり、1日家から出られずと言う経験があった程度。
そして、中学の頃も高校の頃も、こんな台風の中でも休校にならずにずぶ濡れになって登校したっけ。
今だったら、「事故が起きたらどうする」と親に詰め寄られて、休校になることが多いのでしょうが。
本当に、台風で強風警報が出ようが大雨洪水警報が出ようが休校にならなかったですね。
近くの学校は休校になっているのに、なんでうちだけ登校するんだよと不満たらたらだったのを覚えています。
今日のヤホーニュースで、台風に出勤する社員が出世するなんて言う記事があって、コメント欄で滅茶苦茶叩かれていましたが、そんな人がうちの学校にもいたのかも知れませんね。
中学はまだ近かったから良かったのですが、高校は駅と駅の間にあったので、自転車登校でした。
なので、上下合羽を着込んで、自転車をかっ飛ばしていたものです。
よく事故が起こらなかったなぁと我ながら思いますね。
台風10号は日本縦断の予想が出ています。
いままさに台風通過中の地域の人々も、これから通過しそうな地域の人々も、無理せず安全な場所でお過ごしくださいとしか言い様が無いですね。
出来れば、これ以上の被害が出ないように祈ります。
…私も含めてですけどね。
お金じゃないのよ [日記]
今日はお呼ばれで宴会。
それなりに勢いのある部署なので(今後どうなるか知らんけど)、営業部隊と開発部隊が正に一丸となって仕事をしているように思えます。
そりゃ、仕事がきついところもあるでしょうが、パワハラが横行していた時代の開発部隊を見ていた私からすれば良い時代になったものだなぁと思いますし、そう言うことをしないと若い人はとっとと辞めてしまうんだろうなぁなんて思ったりする。
ただ若手が多い職場の宴会と言うことは、あっと言う間に料理に群がって、直ぐに食い尽くすので、こちとら幹部連中と歓談していたら、ふと気が付くと何も残ってないという状態になっていました。
まぁ、今回はこちらはお金を払ったわけでなく、お呼ばれなもので、文句は言えません。
御陰でピザとペンネを食べそびれました。
先月増床したところは、各方面から好評を持って迎えられていて、総務の人も苦労が報われたようです。
いつもの会社と違って、別の会社を選択して良かったと思います。
出来れば、今後もこの会社を選択してほしいんですけどね。
中締めの企画や締めの挨拶も終始明るくてほっこりしました。
後は、食い物の数だけもう少し増やしてくれれば(以下略。
こういう風に感謝を示してくれる部署に対しては、我々縁の下の力持ちもやり甲斐があります。
ジャム、ゼリー、マーマレードの歴史 [読書]
台風10号はとうとう週末に日本列島を縦断するらしいです。
そんな中、土曜日に私は休日出勤でサーバルームのワックス掛け立ち会いですよ。
晴れていれば、その後羽田にでも行こうと思いましたが、この調子では大荒れの天気なのは目に見えています。
幸い、南北線は浅いところを走る地下鉄と違って雨に強いので、行き帰りはすんなり帰る事が出来ますが、会社までの道のりが、最近、ビルの新築工事で雨除けが撤去された御陰でずぶ濡れになる事請け合いなんですよね。
合羽を着て行くにしても、滅茶苦茶蒸し暑かったらイヤだなあと思ったりする。
せめて、上陸したらとっとと去ってくれませんかねぇ。
まぁ、無理な注文とは思いますが。
さて、ここ最近、通勤の行き帰りに読んでいた本の紹介。
最近は電車の席に座っていてもそのまま頭を垂れる(=眠る)事が多くて、中々本を読む気力が起きません。
なので、かなりペースが落ちています。
今回は『食の図書館 ジャム、ゼリー、マーマレードの歴史』(サラ・B・フッド著/内田千穂子訳:原書房刊)の紹介。
原書房が歴史ジャンルとは言えこんな本を発行するのは珍しいのですが、この食の図書館シリーズは100冊以上も出ているものになります。
結構出版するのも大変だと思うのですが、ネタを集めるのも大変じゃ無いかなぁと思った。
今回の本はカナダの大学教授が書いた本となります。
一応、古代ローマやペルシャで作られたジャムやゼリー、マーマレードから説き起こすのですが、その後は一気に16世紀の欧州に飛びます。
まぁ、この辺はカナダのようなある意味欧州文化圏に位置する人が書いているので仕方無いですね。
ローマやペルシャで作られたのは、果物を蜂蜜やシロップに漬けたものです。
当然、こうしたものはコストが掛かり、余り庶民の口には入りません。
これが劇的に改善するのは植民地支配が確立した16世紀な訳で、ラテンアメリカで作られた低コストの砂糖が欧州に入ってくると、先ず貴族のデザートとして果物の砂糖漬が作られ、それを寒天質で包んだゼリーが作られていきます。
その後、英国が各地に進出してプランテーションで砂糖を作り始めると、その量が劇的に増え、産業革命とも相俟って一気に砂糖の価格も下がり、ジャムやマーマレードと言った果物の砂糖漬が庶民の食卓に上ることになります。
そう言う意味では、植民地の奴隷労働の結果が、宗主国の庶民の食卓を潤すと言う結果になった訳です。
一方で、ジャムやマーマレードと言ったものは、当初は農家の副業で作られました。
自前の果樹園がある農家が、形の悪い生食用の果物を棄てる代わりに、スライスして砂糖に漬けたのが始まりです。
それが段々と評判を呼び、19世紀にはそれが一種のベンチャーとなって、業容を拡大していくと共に、資本家の手に依って大規模工場が作られるようになります。
小規模農家から発展した会社は、全体的に家族的な会社が多かったのですが、資本家が資本を出して大規模な工場を最初から設立する様なところでは、今と同じ様な、否、今よりも酷い奴隷的な労働でこうした製品を作る会社もありました。
19世紀末になると、そうした会社のいくつかで争議が発生し、社会問題になるところも出て来ています。
大体、こうした会社の製品はボイコットされてしまい、行き詰まった会社は別の会社に買収されて、段々、巨大加工食品工業へと変貌を遂げていきますし、家族経営で始まったところも、代替わりの際に経営者一族が株を手放して、その会社のブランドイメージを欲した巨大加工食品工業に売却することも多くなりました。
しかし近年では、SDGsに代表される様に、巨大資本のブランド品よりも、近場の果樹園から新鮮な果樹をジャムやマーマレードなどに加工する小規模事業所が見直されています。
この本は、確かにタイトル通りの部分はあるのですが、寧ろ、こうした製品を作る食品工業に光を当てた感じの本になっています。
でもって、ジャムやマーマレードの記述はあるのですがゼリーはほんの一部しかありません。
そして、最初に書いた様に視点は英語圏視点で描かれているので、大陸のこうした製品の発展には余り焦点が当たっていないように思えました。
多分、そこまで深く突っ込んだら、今のページ数の倍になるので、手軽な価格で出す事が出来ないのかも知れませんけどね。
サンサン [日記]
最近、汗をかくことが多くてワイシャツがビショビショになります。
通勤のちょっとした距離でも汗だくです。
今日なんかも、風が吹くと涼しく感じるのですが、風が止まると蒸し暑いこと。
御陰で何もする気力が無く、早く気温が下がってくれないかなぁと思います。
一昔前だとお盆を超えたらもう気温が下がって秋めいてくるのですけど、最近の気象は本当に異常を通り越して怖くなるくらいです。
そんな中、8月は台風の襲来が相次ぎました。
今も台風10号が日本列島を窺い、場合に依っては、列島縦断なんて予報も出ています。
ところでしょうもない知識ですが、気象庁の予報精度はウェザーニューズのそれよりも劣るという話があったりします。
確かウェザーニューズの予報精度が85%だったかの時に、気象庁は75%を切るくらいと言う話を以前何処かで聞きました。
気象庁の場合は、気象台とアメダスと言う拠点、つまり点の情報の集積で気象予報を立てています。
従って、気象台やアメダスの観測拠点がある周辺の予報精度が高いものの、そこから離れてしまうと精度が格段に落ちます。
一方、ウェザーニューズの場合は、ユーザが送ってくる気象情報を拾い上げて予報精度向上に充てています。
勿論根底には気象庁の解析データがあるのですが、それを補完する為に、利用者の送ってくる気象情報を活用しているので、粗い点では無く、細かい点の集積で予報精度を上げているわけです。
とは言え、そこは素人が収集する情報なので、ちゃんとした情報が送られない危険性はあるのですが、そこは予報官の腕なんでしょうね。
なので、そうした情報の集積度合いからするとウェザーニューズの方が有利なのではないでしょうか。
余談ながら、先週成田に行ったとき、近くで雷鳴が轟いたので、上空の雲を撮影して送ったら、雷雨の予報に役立てることが出来ましたと言うお礼メッセージが届いていました。
多分、こうした情報を積み重ねることで予報精度の向上を行っているんだなぁと思った。
対照的に、気象庁の方は、ここ最近の国からの予算削減で、拠点数が少ないのを経験豊富な気象官で補っていた有人の気象台が減り、優秀な気象官も減少、富士山レーダーも不要として撤去され、気象衛星も老朽化している状態で、中々こうした気象変化に対応が出来ていないように思います。
国土防衛という意味では、本来こちらの方に重点を置かなければ、国民を守る事など出来ないのでは無いかと思うのですがね。
国民や国土などどうでも良い、東京の一部、霞ヶ関近辺のみ無事ならそれで良いと言うのなら別ですが。
掃除で精根使い果たす [日常]
昨日はそこまで疲れていなかったみたいで、8時半過ぎに目が覚めました。
スマホでニュースをザッと見て起床。
床屋に行く手もあったのですが、今朝も殺人的な暑さだったので自粛。
来週1,000円床屋に行ってこようと思います。
朝ご飯を食べてから、ここ最近全く手を付けていなかった部屋の掃除。
しかし、掃除機のゴミが全く溜っていないのに幾度も満杯表示が出るようになりました。
何せ、2階の掃除機はサイクロン方式なので、本来はダストビンから先にフィルターは要らないはずなのですが、国産のなんちゃってサイクロンの為にティッシュペーパーでフィルターの前に事前フィルターを作らないと駄目なのです。
で、そのティッシュペーパーにゴミが詰まると、フィルターを通る空気の量が減って、ダストビンにゴミが溜っているという認識が為されると言うね。
ティッシュペーパーにゴミが付いてフィルターを塞ぐと、モーターに余計な負担が掛かって過熱し、下手をすれば壊れる可能性があり、暫くすると掃除機は故障を避けるために自動停止します。
何度ダストビンを開けてゴミを取っても、ゴミが直ぐにくっつくので、幾度もセンサーの満杯表示が付く。
好い加減腹が立って、ティッシュペーパーを交換するとちゃんと動く様になりました。
帯電して、ゴミが付きやすくなったのかも知れません。
経済的だと思ったのかどうかは知りませんが、まだ満杯になってないのにエラー表示になるのは逆にストレス溜ります。
ダイソンが売れて、国産のなんちゃってサイクロンが不振なのはこうしたところも影響しているのかも知れません。
掃除機をようようかけ終えて、これまた放置していたトイレ掃除。
何時もなら、洗剤をぶっかけて、たわしでゴシゴシ擦るのですが、今日は先日買ってきた粉洗剤を使います。
発泡剤が結構入っていて、水溜に粉をぶち込むと、発泡して、便器の中全体を包み込む代物です。
なので、温水洗浄便座のスイッチを切って下さいという注意書きがされていました。
なるほど、入れてみるとかなり大きな泡立ちで、温水洗浄便座のノズル取り出し口まで覆います。
そして30分ほど放置すると、泡が消滅して、汚れが全部落ちているという触れ込み。
確かに、便器内部の汚れはかなり落ちましたが、「サボったリング」は解消しませんでした。
これはこまめな洗浄が必要な様です。
とは言え、少し擦るだけでこの汚れも落ちたので、掃除の手間がかなり減るものだなと感心しました。
まぁ内部は奇麗になりましたが、外部は相変わらず拭き掃除しないと駄目なので、そこは再び拭き掃除し、ついでに床も拭き掃除。
御陰で内外共にピカピカになり、後は便器タンク内を洗浄する(であろう)薬剤を交換して終了。
それだけで汗がどっと噴き出し、Tシャツはベトベトになってしまいました。
掃除をしていたときにはそんなに汗が出なかったのですが。
ついでにシュレッダーのゴミを取り出して掃除終了。
こまめに掃除をすればそこまで苦労する事は無いのでしょうが、ここ最近ずっと休日は外出でしたし、尋常じゃない暑さが続いていますから、掃除機を掛けるにも熱中症でへたばる危険がありますしね。
今日はそこまで暑くなかったのが幸いでした。
掃除を終えたら、写真の整理を始めてやっと先々週分のチェックを終えることが出来ました。
昨日の分は、ざっとチェックしたのですが、そこまで酷くはなかった。
ところで、編集ソフトのアドインがこの前の騒動の所為か、アクティベーションが出来なくなり、無料バンドル扱いとなって従来使っていた設定内容が利用出来なくなっていたため、200ドルほどの新バージョンのソフトを買う羽目になりました。
全くマイクロソフトの御陰で、偉い目に遭います。
ただ、折角新しいソフトを買ったのですが、どうも前のソフトに慣れている所為か、全然、思った感じに編集してくれません。
暫くは試行錯誤の日々が続きそうです。
成田詣で-毎回何か起こる [飛行機]
昨晩、気象庁のホームページで成田の天気を見ていたら、13~14時に雨が降る予報。
これじゃ駄目だと思って、床に就きました。
ただ、ふと思いついてウェザーニューズのホームページも確認してみる。
すると、こちらは晴れ予想で曇りでも降水確率は0%。
どちらが本当か判らなかったので、目覚ましも掛けず、早起き出来たら天候を確認しようと思った訳で。
一昨日休まなかったら、多分早朝に起きずに、10時くらいまでぐっすりだったと思いますが、6時20分にパカッと目が覚めました。
とは言え、何時も成田に行く時間より遅いのですが。
窓の外を開けてみたら日がさんさんと照りつけています。
と言う事で出撃決行!
ただ、何時もだったら遅くても7時前に鳩ヶ谷駅発の電車に乗るのですが、遅くなったので2本後の電車で出撃です。
成田到着はギリギリ9時前。
いつものパターンだと良い場所が余り残っていないのですが、果たしてベンチは空いてませんでした。
ただ、暫くしたら旅行客がベンチから去ったのでそちらへ移動。
以後、ベンチから去る毎に場所を移動して、昼前にはいつもの場所に座る事が出来ました。
今日も暑いと言うことで、コンビニで飲料水を買うつもりだったのですが、京成のファミマは飲料水の種類が少なく、大容量のスポーツドリンクが見つからなかったため、水と紅茶とコーラを買う。
しかし、想像以上に暑かったので、当初準備した飲料水は飲み干してしまい、デッキ近くの自販機で仕入れようとしたのですが、何時もその自販機では嫌われていて、先ずSuicaを読み込んでくれませんし、今日は新札を入れたら新札は受け付けてくれませんでした。
仕方無いのでローソンへ。
いくつかの飲料水を仕入れてやっと人心地つきました。
そうこうしている内に、昼が過ぎると暗くなってきて、上空を雲が覆い始めます。
15時過ぎたら結構暗くて、ISO値を維持するのに苦労しました。
因みに、今日成田詣でに行ったのは、今まで夜の出発だったFiji Airwaysが夕方出発になったのを撮影しようと思ったためです。
今日はそれだけではなく、何時も夜間発着であったEthiopia Airlinesが1日遅れたので、そのDelay便を撮影するのと、吉祥航空の真っ赤なB.787-9を撮影する事でした。
ところが、上空の雲の御陰で太陽光線が遮られ、高ISO値となった御陰で、表面のざらつきを抑止するためには絞りを極端に絞らないといけない、それをすると暗くなると言うジレンマに陥ります。
サンニッパを買えば解決するのでしょうが、そもそもPENTAXでサンニッパは高いのしか売ってません。
と言う事で、相変わらず数でカバーです。
更に夕方になると、ターミナルは全然雨が降っていないのに、飛行機が離陸準備の為に転回する場所は大雨、そして雷雨となり、ゴロゴロと雷が鳴っていました。
こうなると安全のため飛行機は飛びません…て事で前回訪問時に続いての滑走路閉鎖となりました。
1時間ほど閉鎖して、成田空港が到着と出発の飛行機で溢れかえっていた頃にやっと動き出しました。
御陰で周囲が真っ暗になって、Fiji Airwaysと吉祥航空はリベンジする事になってしまいました。
他にも撮影を諦めた機体がいっぱい有りました。
それにしても、私が成田に行くと最近滑走路閉鎖が発生するのですよね。
ちょっと萎えます。
日没まで撮影に勤しみ、18時過ぎには帰るつもりで地下に降りたのですが、スカイライナー券の発行窓口がごった返している。
どうやら、成田周辺で発生した雷雨により、JR東日本の設備に影響が出て電車が止まっていたそうです。
こうなると陸の孤島である成田国際空港は、バスか京成しか移動手段がありません。
アクセス特急で帰ろうとも思いましたが、その状態だと既にごった返しているのは目に見えていた為、スカイライナーで帰るつもりで、かと言って並ぶのが面倒なので、ネット購入をしようと思ったら、直近のスカイライナーはまさかの満席表示、結局、1本後のスカイライナーのネットライナー券をゲットして、成田空港で30分時間を潰してやっと帰ることが出来ました。
多分バスも同じ状態だったのでしょうね。スカイライナーは1タミ→2タミの順番なのですが、バスは3タミから2タミ→1タミの順番ですから、先ず乗れなかったでしょう。
それにしても、最近は空港に出かける都度天候不順に見舞われ、更に滑走路閉鎖などの事件が起きるんですよね。
個人的にお祓いに行った方が良いのかしら等とすら思ってしまいます。
蒸し暑い [日記]
今日は再び数字いじりの日。
Excelと格闘して頭パンパンになった為、もう何も書く気力がありません。
本当はもう少しスマートなシートを作りたかったのですが、面倒になって適当です。
1日これと格闘していて、これ以上文章を打ちたくないので、今日はここまで。
明日は、晴れていれば成田詣でに行ってこようと思います。
バッシング [日記]
今日は流石に疲れたので休み。
何処に出る訳でも無く、ひたすら寝ていました。
月に1度はこんな状態に陥ります。
まぁ、この前から寝落ちがずっと続いていましたから相当疲労が溜っていたのだとは思いますが、今迄は気力でカバーしてた訳で、流石に少し涼しくなって疲れが出て来たみたいです。
明日からは頑張って会社に行こうと思います。
さて、今日は対馬丸撃沈から80年目だそうです。
日本の商船は第2次世界大戦中に殆どが喪われました。
第1次世界大戦で、あれだけ島国の英国が潜水艦戦で苦労していたのに、全くそれを教訓にせず、打撃戦力のみの充実に明け暮れ、遂には通商破壊にやられて物資が殆ど日本に入らず、折角の大型艦も役に立たなかったなんて本末転倒なことがあって敗北にまっしぐらだった訳です。
私の父方の曾祖父は医者だったのですが、日本で開業医になる道を歩まず、満洲に出向いて満鉄の嘱託医になった後、日本郵船に転職しました。
そして、明治男らしく冒険心に溢れ、船医として外航船に乗り込んで、当時の日本人にしては珍しく、欧州や米国など各地に足跡を印しています。
第1次世界大戦後直ぐのハンブルグでは、当時猖獗を極めていたコレラだかチフスだかの対策のための予防接種をボランティアでやってたりしてました。
何が曾祖父を駆り立てたかは聞いてませんが、そんな義侠心に富んだ人だったようです。
日中戦争が始まって、世の中がきな臭くなってくると好い加減に停年近くになっていた曾祖父は、欧州航路や米国航路への乗船は行わず、日本郵船の子会社の近海郵船に出向し、上海など中国航路の船に乗り込むようになります。
特によく乗っていたのが長崎丸と上海丸と言う船で、文字通り、長崎と上海を結ぶ航路で運航していた船です。
太平洋戦争が始まっても、当時の中国航路には敵影は無く、そのまま運航を続けていました。
ただ、佐世保や長崎と言えば要衝であるため、防備のために機雷原が設けられていきます。
その情報をちゃんと民間企業に渡していたなら良かったのですが、海軍はそれを疎かにしました。
結果、1942年初頭に長崎丸が機雷原に迷い込み触雷。
長崎丸はあっと言う間に沈み、乗員乗客に被害が出ました。
私の曾祖父も沈む船に巻き込まれ、意識を失います。
そして、大勢の仏様と一緒に救助船のデッキに上げられ、並べられました。
その救助船に偶々同僚の船医が乗っていました。
「ありゃ、○○さんも仏さんになったのか」とびっくりして近づき、鼻の穴近くに手を当ててみると微かに息をしている。
「この人まだ生きてるぞ!」と言う事で、慌てて病院に担ぎ込み、蘇生措置を施したら息を吹き返したそうで、家族に伴われて無事に家まで帰ってきました。
ところで、長崎丸の船長は触雷した後、乗員乗客を極力救助し、最後に自ら救助船に乗り込んで生還しました。
元々は海軍が機雷原の海図を郵船に渡していなかったのが原因で船が喪われたのに、その責任は一切問わず、逆に海軍は「国家の財産たる大型商船を丸々喪わせた」と言うキャンペーンを張ります。
で、毎度のことながら国民が煽られ、当時は日本軍が破竹の勢いだった頃もあり、「生き延びた船長は自害しろ」と言う論調が世を覆います。
結局、この船長は責任を取って自刃してしまいました。
ベテランの船長を育てるのにどれだけの年月が掛かるか、船は造り直しが効きますが、ベテランの船長は替えが効きません。
いずれにしても、その後の負け戦だったらどこかでこの船長は沈没船と共に死んだかも知れませんが。
その事件が切っ掛けかは知りませんが、結局曾祖父は近海郵船を退職し、西宮に戻って開業医として隠退生活を送りました。
もし、このまま近海郵船に乗り続けていれば、恐らく本当に海の藻屑になったでしょうし。
昨今の大運動会の出場選手に対するバッシングだとか、芸能人などに対するちょっとしたことでのバッシングを見るにつれ、当時と国民は然程変わってないのだなぁと思います。
結局、そんな人達は、人が(物理的或いは社会的に)死ぬのが楽しいんじゃないでしょうかねぇ。
そう言う意味では、快楽殺人犯と何ら変わらないんじゃ無いか、そんな風に思います。