焼夷弾 [日記]
今日は「敗戦記念日」。
明確に日本が降伏したのですから、戦争が終わったのではなく戦争に敗れた日です。
こういう風に言い換えをするから、変なのが湧いてくるわけで。
うちの親は両方とも戦前産まれです。
まだ少国民と呼ばれていた小学生でしたが、両親とも、戦後の教科書への墨塗りは鮮明に覚えていました。
勿論、幼児ではなかったので、結構強烈な体験をしています。
今は全く無いのでしょうが、私の子供の頃の夏休みの宿題には、
「おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんに戦争中のことを聞いて、文章にして提出しなさい」と言うものがありました。
当然、私の年代だと、まだ戦争体験者が身近にいた時代です。
で、両親の戦争体験を聞いたわけで。
母親の方は、大阪北部に住んでいたのですが、近くにダイハツの工場や大阪飛行場があった為に、米軍機の攻撃を何度も受け、遂には家に焼夷弾が落ちて家が丸焼けになってしまいました。
それなりにエエとこのボンボンだった祖父は、戦争景気で羽振りが良く、広い家に住んでいたのですが、家も家財も焼失し、恐らく戦後の財産税導入で、土地も取られたのだと思います。
母は防空壕に入っていたのですが、近くでは焼夷弾の直撃を受けて一家全滅したところもあったし、爆弾の爆風で近くの老婆が吹き飛ばされて木の枝にぶら下がっていたと言う話をしてくれました。
想像力の無い小学生の頃の私は、アニメの登場人物が単純に吹き飛ばされて木の枝に引っかかったと思い、面白くてケタケタ笑っていましたが(多分トムとジェリーでトムが吹き飛ばされてぺっちゃんこになったのが復活するとかそんなのを想像したのでしょう)、親は子供に対して余り刺激の強い物言いはしなかったのでしょうね。
多分、その老婆は二目と見られない姿でぶら下がっていたのだと思いますし、恐らくその時には命がなかったのだと思います。
まだそんな戦争体験者が存命な時でも、そんな事を思い描いていた訳ですから、それから更に時が経ち、多くが80~90代になってくると、益々悲惨な記憶が薄れていくのでしょうね。
本来なら、我々の世代が積極的にそう言った悲惨な戦争体験を伝えていかねばならないのですが、「日本は世界一」と刷込まれてしまった世代なので、中々そう言った切替が出来ないのだろうなと思います。
もしかしたら、何十年かして同じ事を遣らかしてしまうかも知れません。
その時、ちゃんと記憶を継いでいてくれたらなんて言われたりするんだろうなと考えます。
因みに、その後、母の家族達は、伝手を頼って豊中に移り住み、(今から見たら相当大きいと思いますが)当時としてはこぢんまりした家に大家族で住んでいました。
今は、その家もありませんし、よすがを知るものは全くありません。
そう言う意味では、記憶の断絶があるのかなぁと思ったりします。