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鉄道・路線名のひみつ [読書]

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今日は京浜東北線で久々に座れたので、そのまま川口に出てサンテピア行きに乗って帰ってきました。
何とか空は保っていたものの、家に着く直前から雨がパラつき始めました。
せめて後5分早ければ降られなかったのですが、ついていません。

さて、そうした電車での通勤中に読んでいた本の紹介。

『鉄道・路線名のひみつ 木更津線、人吉本線を知っていますか』(今尾恵介著/日本加除出版刊)
元々は日本加除出版の『住民行政の窓』と言う雑誌で連載していた記事を纏めたものです。
その名の通り、路線名や鉄道会社の名前にどんな謂れがあるのかと言うのを書いた本。

この人の本は何時もの様に読みやすいところがありますが、所謂初心者向けの本でもあります。
そもそも、鉄道路線名等と言うのは明治初期には存在していませんでした。
当時は省線と呼ばれる新橋と横浜を結ぶ線しか無ければ、他に識別する必要がありません。

しかし、明治中期から彼方此方で鉄道の建設が始まると、そうも言っていられなくなり、取り敢ず、街道沿いに建設された路線にはその街道名がつきました。
但し、中山道については中央線という名前が付けられたわけで。

その後、ちゃんとした命名規則が制定されて、幹線として建設された路線から、支線が出ていた場合はその幹線には「何々本線」と言う名前が付くようになりました。
また、東西から延びた路線には何々東線とか何々西線、南北から建設が始まった路線には、何々北線とか何々南線という名前が付き、それが全通すると大抵の場合、何々線と東西南北が外れます。

路線名には大抵起終点の名前から取った名前が付きますし、旧国名の一文字を取った路線を組合わせた名称もあります。
信越本線は、信州と越後を結ぶ路線ですし、東横線は東京と横浜を結ぶ路線です。

ところで、副題になっている木更津線は内房線の一部となっている路線で、蘇我~姉ヶ崎を結ぶ路線の事です。
その後、南へ南へと線を延ばし、安房北条(今の立山)まで開業すると北条線と名前を変えます。

そして、安房鴨川まで全通を果たした後、逆方向から延伸してきた房総線と接続した後、千葉~蘇我~大網~安房鴨川~安房北条~木更津~蘇我の路線全体が房総線と名付けられましたが、同一路線名では蘇我から大網に行く列車なのか、蘇我から木更津に行く列車なのか区別がつかないためか、4年後に千葉~大網~安房鴨川が房総東線、蘇我~木更津~安房鴨川を房総西線と改名し、今はそれぞれ外房線、内房線となりました。

もう1つの人吉本線は、門司と鹿児島を結ぶ鹿児島本線のルーツで、最初は人吉が終点だったため、人吉線と名付けられ、それに色々と支線があったので、人吉本線となりました。
その後、峠越えの路線が完成して鹿児島まで全通すると、晴れて鹿児島本線に改名されました。

ところが、本線の栄誉は長く続かず、八代から海沿いに南下した肥薩線と鹿児島から海沿いに北上した川内線が接合して全通すると、今度はこの路線が鹿児島本線となり、それまでの鹿児島本線は肥薩線に格下げされました。

こうした例は東海道線の熱海~小田原も含め、各地の路線でもあります。
取り敢ず、当時の技術が未熟で開通させたは良いものの、列車本数を増やすのが難しく、一方で土木技術が発達してトンネルや橋梁の建設方法が向上した為に、今まで路線を敷設できなかった区間に平坦な路線を建設することが出来た為、本線がそちらに移り、元の路線は支線に格下げされた訳です。

このような例を短い文章に纏めて、かつ当時の地図や路線図を掲載して、読者各位に解り易く伝えようとしたのがこの本です。
決して、学研の「ひみつシリーズ」ではないので悪しからず。

鉄道・路線名の・ひみつ ―木更津線、人吉本線を知っていますか

鉄道・路線名の・ひみつ ―木更津線、人吉本線を知っていますか

  • 作者: 今尾恵介
  • 出版社/メーカー: 日本加除出版
  • 発売日: 2023/08/18
  • メディア: Kindle版



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