国衆 [読書]
今朝、家を出る時、雨が止んでいたので傘を持たずに出掛けようと思ったのですが、親に「降るで」と言われて渋々大きな傘を持って出掛ける。
暫く全く降っていなかったのですが、歩いて3分してふと見沼代用水を見てみたら、水面にポツポツと。
慌てて傘を差したら、直後に結構な降りになりました。
自転車で通学している学生さんや、保育園に子供を送ろうとしているお母さんが慌てていましたね。
天気予報はこれだから当てになりません(苦笑。
さて、先日読んでいて書評を忘れていた本の紹介。
『国衆 戦国時代のもう一つの主役』(黒田基樹著/平凡社新書刊)。
信長の野望・新生では、国衆を懐柔して、戦いに参加させるという事が出来るようになっています。
ただこの国衆、参加するのは参加するのですが、士気が余り高くなく、少しの攻撃を受けるとあっと言う間に瓦解してしまい、また戦いに参加させるには時間と資金が掛かると言う、余り頼りにならない存在で、家臣団が充実すると重用することはありません。
実際には国衆というのはどんな存在だったのか、と言うのに焦点を当てたのが本書です。
ケーススタディとして、北条家に属していた上野とか下野などの国衆を取り上げています。
北条家は、主家が発給している文書で残っているのが多く、統治機構が比較的再現しやすいと言う点が特徴です。
中央集権的な考え方では、主家の下に家臣団があって、その家臣団が統治する土地に各々の国衆が存在すると言う訳で、家臣団の統治の下に国衆が存在すると言う感じでした。
ところが、実際に発給文書なんかを分析してみると、どんなに小さな国衆であっても、領主からは一定の独立を保ち、家臣団よりも格上で、時には領主と同格であると言う家も存在します。
つまり、戦国大名の家臣の膝下に置かれているわけではなく、かなり自由が利く存在でした。
それ故、その動向については領主や家臣団も気にせざるを得ず、問答無用で成敗すると言う事が出来ない存在だったわけです。
勿論、国衆同士でも大小がありますから、領土争いがあれば国衆同士の諍いとなり、互いに戦を仕掛けると言う事も有ります。
政治力の有る国衆は、領主を味方に付けてその力を借りることもしますし、例えば国境に位置している国衆だと領主を味方に付けられなくとも、隣国の領主を味方に付ける事もします。
国衆同士の諍いから、意図せずに隣国同士の領主の戦闘に発展することもあった訳です。
北条と上杉の戦闘、上杉と武田と北条の三つ巴の戦いなんかでも、こうした国衆の諍いから起きたものもあったりします。
上手く大国を遊泳して、実力を蓄え、周辺の地域を切り随えて、それが一国になれば大名になります。
国衆出身の大名家としては、徳川家もそうですし、真田家、毛利家、長曾我部家、竜造寺家など様々な家があります。
何れも、最初は小さな地域の国衆だったのが、領主の後ろ楯を得て支配領域を拡大し、遂には一国を差配するまでになったものです。
但し、北条家と異なり、これらの家には主家との関係を描く発給文書の数が非常に少ないそうです。
それでも数少ない発給文書を紐解くと、北条家と同様の主家との関係性が見て取れるそうです。
もし、領主と国衆間の発給文書が多数発見されれば、より確実性は高まるとは思いますが、残念ながら西国になればなるほど、こうした文書の発見が少ないそうで、北条家ほどの確実な証拠が挙がってこないらしい。
それは東北方面でも同じだそうです。
因みに、『戦国大名と国衆』と言う本では武田家と国衆の関係を扱っており、また同じ様な本として『戦国時代の大名と国衆』と言う本があります。
読んではいませんが、多分、後者の内容の廉価版が本書じゃないかなぁと思ったりします。