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入りません! [日記]

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今日も出勤。
取り敢ず、落ち着いてくれて良かった。
ただ、もう1度やらないといけない話が浮上してきて、一旦これは断ろうと思っていたりする。

さて、久々の軍事話。
未だ日本が世界に自由に渡航できない時代、唯一の情報源は本でした。
『世界の艦船』と言う本は未だに出板され続けていますが、1960年代には時々世界各国の海軍が特集で取り上げられていました。

オランダ海軍とかスペイン海軍、タイ海軍やギリシャ海軍等と言う、かなりマイナーな海軍の軍備が紹介されていましたね。

今日はそんな中、ギリシャ海軍の話を少し。

ギリシャという国は19世紀末にトルコから独立戦争を経て独立します。
当然、トルコとしては面白くなく、ギリシャとはエーゲ海の島や欧州側の領土を巡って戦争を繰り広げました。

当時、トルコはオスマン帝国末期で、弱体化したとは言え大国でした。
その海軍は戦艦から潜水艇まで保有しており、ギリシャは海軍力において戦力差がかなりありました。

そんな中、1912年に伊土戦争がありトルコは大敗、それを見たバルカン諸国が挙ってマケドニアの支配権を求めて宣戦を布告し、第1次バルカン戦争が勃発しました。
この戦争でギリシャはトルコの欧州領の内、エーゲ海沿岸を獲得、更に島嶼部にも食指を伸ばすことになります。

そうなると、再びトルコと戦争する事になるのは必至で、限られた期間に軍備を整えることになりました。
トルコが英国に超弩級艦を発注し、更にチリの弩級艦を購入する情報を得るや否や、1912年7月にギリシャは英国のライバル国であるドイツに戦艦を発注します。

最初のドイツの提案は、波の静かなエーゲ海で運用するため、13,000トン級の船体に、14インチ砲を前後と中央に連装砲塔3基装備の大型装甲巡洋艦と言うか巡洋戦艦的なもので、一旦はこれをVasilefs Georgiosとして発注しようとします。

しかし、交渉中に第1次バルカン戦争が勃発し、先述の様にトルコを圧倒する戦艦を建造することに方針を転換したため、10月に発注がずれ込み、建造期間短縮のため、オランダ海軍向けにドイツが提案していた戦艦の設計を流用して、少し小型化し、排水量は1.5倍の20,000トン級として、主砲も同じ14インチ砲ですが砲塔を前後に2基ずつ背負い式に装備して8門としました。
この艦は169.3万ポンドで契約を交わし、1915年3月には竣工する予定で建造が開始されます。

但し、折角ドイツに発注しても、ドイツ自慢のクルップ砲がお気に召さなかったのか、何故か主砲塔と主砲、それに副砲だけは米国のBethlehem Steelに発注しています。
こうしてSalamisとして起工された戦艦は、ハンブルグのVulcan社で建造が進められました。

ところが、1914年8月に第1次世界大戦が勃発。
ドイツの戦備が優先され、この戦艦の建造は12月にストップします。
更にギリシャが連合国側について参戦すると接収され、ドイツ戦艦として改設計が進められましたが、ここでネックになったのが主砲塔と砲の問題。

砲塔はドイツ製の砲を収める容積が無く、砲塔の旋回を行う為のリングはドイツ製の砲塔を収めることが出来ませんでした。
連合国はこの戦艦をドイツが何時就役させるのかとハラハラしていましたが、結局は潜水艦の整備を優先してこの艦の改造は放棄されます。

第1次世界大戦が終了すると、この艦の処遇が問題になります。
装備する予定だった主砲塔は、米国からドイツに戦前2基だけが主砲無しで引き渡されていましたが、残りは生産中止、主砲は英国に供給されてモニター艦のAbercrombie級に装備されていました。

かなり中途半端な状態になったのに加えて、輪を掛けたのが第1次世界大戦の後に、ギリシャがトルコに対して仕掛けた戦争です。
オスマン帝国崩壊の隙を突いた戦争で、ギリシャはトルコのかなりの部分を占領したのですが、トルコの政府を継いだケマルによって率いられたトルコ軍はギリシャ軍を撃破し、海に追い落とします。
その上、戦局が不利になっていた1923年には、主戦派の国王がサルに噛まれて敗血症で死ぬと言う事件が起き、国内財政も長期化した戦争で疲弊し、戦艦どころでは無くなりました。

それに相手は敗戦国ですから、戦勝国たるギリシャ政府はVulcanに対してSalamisのキャンセルを通告します。
一方でVulcan社側は契約が成立しているとして、前渡金として支払った45万ポンドの残金を支払うようにギリシャ政府を相手取り訴訟を起こすことになりました。
長い長い裁判が行われ、最終的に仲裁の結果、1932年4月23日にやっとギリシャ政府が3万ポンドの賠償金を支払うことで決着し、1932年にSalamisはスクラップとなって船台上から姿を消すことになります。

因みに、もう1隻、ギリシャはフランスにもProvence級とほぼ同型の戦艦を発注し、こちらはBasileus Konstantinosと命名されて1914年7月12日に起工されました。
当然のことながらこの1ヶ月後に第1次世界大戦が勃発して、フランスも外国向けの戦艦建造どころでは無くなり、建造を再開する事無く、1925年にキャンセルされています。
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