SSブログ

日本列島空襲戦災誌 [読書]

CES_B737-800_1961_0001.jpg

今日は断捨離第2弾で、昨日整理したグラボを中心に秋葉原に売りに行く。
PCはそこそこの値段(但し、スペックが低過ぎて犬も食わないくらいなので、それなりの値段)で引き取って貰えましたが、タブレットPCとグラボについてはRadeon7770以外は引き取って貰えませんでした。
サウンドカードは持てなかったので諦め…とは言え、古い規格であるPCI接続なので同じ様に引き取って貰えないだろうと思う。
仕方ないので、秋葉原最終処分場に持っていって一山幾らで引き取って貰いました。
グラボは生ものに近いですから、旧式化したらもう引き取って貰えません。

そう言えば、GeForceがマイニング目的でグラボを買う人間がいて、在庫が枯渇しつつある為、専用グラボを生産した上、ドライバでマイニングの実施を制限するとか。
これに対して、とあるインフルエンサーが、専用グラボなんて作るとそれが不要品になって売りに出されても結局はゴミになるだけだ、とSDGsの観点から批判していました。
なるほど、そう言った一面もあるんだなぁと思った次第。
そう言う意味では、古いグラボを引き取って貰えないのも十分SDGsに反しているような気がしなくもありませんが。

結局、残りはHUBとかと纏めてリサイクルに出すしかありませんね。
果たして一箱で足りるか。

で、帰ってきてから壊れているサブPCのHDD交換の前に、不良クラスターをチェックしているのですが、通気性の悪いケースの御陰でCPU温度が90度、グラボが80度、各HDDが60度近くに行ってしまい、慌ててケースの側板を解放しました。
良い機会だからこれから夏に向けて、ケースをエアフローの良いものに更新してこれも不要品引き取りに回した方がいいかも知れない。

さて、この前机から掘り出した本をずっと読んでいて、やっと1冊読み終えました。
『日本列島空襲戦災誌』(水谷鋼一・織田三乗共著/東京新聞出版局刊)。

出版年は1975年ですから、今から45年前に出版された本です。
この頃は戦後30年経過しているとは言え、まだまだ戦争経験者が多い時代でした。

水谷鋼一と言う人は、名古屋新聞一宮支局長だったのですが、戦時統合で名古屋新聞と新愛知新聞が合併して中部日本新聞(今の中日新聞社)となった際にその東京総局に転勤し、戦争末期に東京総局の政治部次長兼情報蒐集デスクを務めました。
因みに、この人は作家高見順の義兄に当たる人で、高見順の日記に屡々登場します。

当然、こう言う立場の人でしたから、職業柄、大本営発表以外の軍部情報に接する事も出来ました。
この本の基は、彼がA5判ノート4冊に纏めていた「本土空襲記録」です。

このノートは、1942年4月18日のドゥーリットル空襲から始まり、1944年6月16日のB-29による日本初空襲、1944年11月以後の空襲について記載したものですが、当然、報道できない情報も多く書いており、その保管には非常に神経を尖らせたそうです。

これ自体は殆どが大本営発表、軍部情報、防空総本部情報、地方自治体からの被害情報などが淡々と書かれているだけです。
ただ、敗戦が近付くにつれて、大本営発表は無くなり(1944年以降は元々威勢の良い情報だけ載っけていて、有益な情報は全く無い)、軍管区情報も簡単なものしか出ず、なおかつ、地方自治体からの被害情報にしても、通信途絶で情報が得られないと言うケースが多くなってきます。

しかし、こうした情報でも軍部や国が殆どの書類を焼却してしまった今となっては貴重な史料です。
これが出版された頃、市民運動の高まりと共に、故郷の戦争体験を記録しようと言う動きが高まってきます。
水谷さんのノートは、こうした体験を記録する人々にとって、干天の慈雨の如き記録でした。
そもそも、政府の信頼できるデータが無いのですから。

その後、米国の戦略爆撃調査団のデータなどの米国側のデータを基にして、各地の空襲の具体的な実態が明らかになっていきますが、東京大空襲など関東・阪神地区の空襲だとか広島と長崎の原爆被害についての研究が進んでいるものの、まだまだそれ以外の地域や中小都市の空襲の実態は解明されておらず、地方自治体の歴史にも、ほんの少ししか描かれていなかったり、誤った記録が掲載されたりしています。
それを正す意味でもこの記録は貴重なものです。

ただ、これだけだと記録の羅列でしかありません。
が、各地の空襲を記録する会と連携して、これら空襲体験者の体験談を記載しており、この生々しい体験談によって単なる記録の羅列が具体性を帯びて、読者に現実を突きつける役割を果たしています。

ついでに、水谷ノートには東海大地震、濃尾地震による被害についても、簡単ですが記載があります。
これについても、報道されていなかったので、余り歴史の表舞台に出てこなかった記録です。

私ごとですが、小学校の頃に、家族の戦争体験談を聞きましょうと言う宿題が出た事が有りました。
当時は祖父母も生きていましたし、両親も戦争を体験していましたので、色々と聞いていたのですが、母親の空襲で逃げ惑った話を聞いていて、近くのお婆さんが、爆風で吹き飛ばされて木に引っ掛かっていたと言う話がありました。

その頃の私はそんなに深刻に受け止めておらず、アニメの影響で単純に吹っ飛んで木に引っ掛かった姿を想像して大笑いしたのですが、考えてみれば、爆風で吹っ飛んだのであれば五体満足で生きてはいないでしょうから、親は子供にショックを与えまいと言葉を選んだのでしょうね。
子供ながらに想像力が無い子だったのだなぁとこうした記述を読んでいて思った次第です。

その後、様々な史料も出て来ていますが、生の体験談ほど真に迫るものはありません。
正直、この頃の政府・軍部がもう少し敗戦を早めていれば、大部分の人達の人生がそこで狂うことは無かった筈です。
こうした記録を蔑ろにする世の中になれば、再び同じ様な事を為出かすのでは無いか、そんな危機感を覚えます。

日本列島空襲戦災誌 (1975年)

日本列島空襲戦災誌 (1975年)

  • 出版社/メーカー: 東京新聞出版局
  • 発売日: 2021/02/27
  • メディア: -


nice!(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2