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南方からの帰還 [読書]

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今日は久々にどっと疲れが出て朝ご飯を食べて何とか午前中まで起きていたものの、昼からグロッキー気味になって夕方まで寝ていました。
多分、じんましんによる睡眠不足が身体を蝕んでいたのかも知れません。
御陰様で、処方薬を服用したら痒みもほぼ無くなったので、医者の薬は偉大だなぁと改めて思った次第です。
まぁ、処方成分が少なければ市販薬で対応出来るものらしいですが。

そんなこんなで、今日はトイレの中でずっと読んでいた本の紹介。
『南方からの帰還 日本軍兵士の抑留と復員』(増田弘著/慶應義塾大学出版会刊)。
著者は大学の教授ですが、新宿にある平和祈念展示資料館名誉館長を務められている方です。

太平洋戦争に敗れた日本へは、各地の戦場から様々な方法で引揚が行われていました。
ただ、その全容と言うのは余り解明されておらず、海外からどの様にして何人が引揚げたのかと言う研究が手付かずの侭だったりします。
一番研究が進んでいるのが、実はシベリア抑留だというのは皮肉な話です。

一番対象者が多かった中国戦線は、戦犯とシベリアに抑留された関東軍兵士達を除けば、国共内戦中にも関わらず比較的穏便にかつ素早く引揚が行われた方です。

しかし、他の連合国、米国、英国、オランダ、豪州(ニュージーランド含む)軍管轄下においては、色々と事情があり、引揚げの期間や形態は様々でした。

これらのうち、豪州管轄のニューギニア島では飢餓や病気などの蔓延から、人道的な視点によりかなり早くに引揚が行われ、その余波で自活できていたラバウルなどを中心とする太平洋の島々からの引揚げも比較的スムースに行われました。

米国管轄のフィリピンでは、マッカーサーのお膝元と言う事もあり、戦犯を除けば比較的早くに引揚を行う予定でしたが、日本軍の指揮命令系統がほぼボロボロだった為に、戦後も何ヶ月かに亘って投降の呼びかけが行われたり、場合によってはそれを敵の謀略と見做した現地指揮官によって、戦闘が繰り広げられ、無駄な命が失われたりしています。
また、この地域は戦前や戦中に渡航した民間人も多く、軍人と一体化してしまった彼等の投降と引揚げも結構大変だったようです。
それにも増して、フィリピンでは現地の占領行政が酷かったので、民衆の憎悪は大きく、移動すると投石が起きるような状態であり、米軍の庇護が無いと、引揚げもかなり危険だったとか。

シンガポールやビルマを中心とした英国植民地やタイ、それにオランダ軍の戦力が整わなかった蘭印では、英国軍やインド軍を中心とした英連邦軍が進駐して植民地行政を再開させます。
英国は、行政を再開するに当たり、日本軍の叛乱を恐れました。
実際、日本軍は連合国が予想していた以上に兵力が多かった訳で、それを抑留すると監視のための軍が必要となり、白人の兵士が少なかった英軍ではインド軍を主体にするほか無かった訳です。

一方で英国軍は、植民地インフラ復旧の労働力として現地人を動かす必要に迫られます。
しかし、疲弊した現地人ではインフラ復旧の労働力たり得なかったりしたため、膨大な日本軍兵力を利用する事にしました。

米国はこうした使役をしても、国際法上のPOWとして扱った為、賃金もほぼ適切に支払われています(しかしながら、米軍でも現地ではマッカーサーの命令にも関わらず、現地労働力として報復的に使役する動きも無かった訳ではありません)。
しかし、英国はそんなことはお構いなく、日本降伏者として扱い捕虜とは認めませんでした。
この為、労働力として使役しても、給餌は最低で、しかも賃金を支払うのも渋ると言う状態。
また、彼等の引揚げも相当渋り、1947年12月まで引き延ばそう、更にそれ以降まで使役しようとすらしていました。
そう言う意味では、英国も厳寒の状態がないだけで、ソ連と大して変わりありません。

オランダも蘭印において英国と同調しています。
その上、蘭印は独立紛争も抱えていたので、日本軍をインドネシア軍と戦わせようとすらしています。

東南アジアからの引揚については、マッカーサーと英国軍側との間で激論が交わされ、マッカーサーがこれではソ連に強く出られないとして、国務省を通じて英国政府側に抗議して決裂寸前まで行った事が有りました。
これはマッカーサーに吉田茂が泣き付いた結果でもあります。

戦後、各地からの引揚げについてはシベリア抑留だけがクローズアップされ、他の国々からの引揚は比較的スムースに行われたと思われがちですが、敗戦とはこう言うものだとは言え、完全に国際法を蔑ろにした行為が英国やオランダにはあった訳です。
もっとも、これには向こうにも言い分があって、日本軍はジュネーブ条約に加入していないから、この扱いをしても構わないと言う理由付けがあったからですが。

因みに、こうした地域から引揚げた人達には、労働の対価として日本政府から(英国やオランダではない、両国政府は将兵に対する支払を拒んだ)200円が支給されたそうです。
戦時中しか知らない将兵達は、かなりの大金を貰ったと喜んだのですが、1947年当時、日本はインフレが進んでいて、200円なんてあっと言う間に消えるお金だと知って、落胆した人も少なからずいたとか。

この本では、主に英国からの軍人引揚げについての事情を中心に書いています。
一番資料が多かったのが英国だった為ですが、オランダや豪州、米国については表層的な動きしか書いていません。
オランダ関係の研究者が少ないのも一因でしょうし、米国についてはある程度の忖度が働いているのかも知れない。
これに、中国やフランス関係の引揚があれば更に完璧に近付くのでしょうが、それは叶わぬ夢でしょうか。

南方からの帰還:日本軍兵士の抑留と復員

南方からの帰還:日本軍兵士の抑留と復員

  • 作者: 増田 弘
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 単行本



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