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仮想敵は日本 [日記]

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今週は休みたい気分なのですが、そうも言っておられず出勤。
しかし、クラウドに保管したファイルを間違ってアップしてしまい、上つ方に叱られてショボンヌです。
と言うか、先週アップロードしたファイルが消えて無くなってデグレードしているのは何とかならぬか。

さて、この前はオランダ海軍の話を書いたのですが、ちょっと時を遡って、第1次世界大戦頃のオランダ海軍の話。

20世紀初頭、アジアにおいて脅威だったロシアの第1太平洋艦隊は、日本海軍の前に消滅します。
蘭印を領有していたオランダにとっては、ロシアに代わって今度は12インチ砲を搭載した日本の新造戦艦が脅威になったわけです。
1908年当時、オランダは11インチ砲を搭載している海防戦艦しか保有していませんでした。
これでは日本海軍に太刀打ち出来ない。

と言う事で、1909年に蘭印艦隊を含め、艦隊を増強すべく、1914年までに4隻の7,000トン級巡洋艦を中心とした建艦計画を立案します。
この中には少なくとも2隻の駆逐艦と大型潜水艦を蘭印に送ると共に、19世紀末に竣工した2隻の海防戦艦を改装して性能を向上させ、1910年と1911年には更にそれぞれ2隻、4隻の駆逐艦を建造し、1911年には蘭印艦隊向けの最初の潜水艦を竣工させて配備すると共に、4隻の砲艇を送り込みました。

1912年6月には更に4隻の7,600トン級の海防戦艦の建造を計画しました。
これは11インチ砲を前後に4門装備し、副砲に4.1インチ砲を10門、魚雷発射管を3基装備し、5.9インチの装甲を水線上に、バーベットには9.8インチの装甲を張り巡らせたもので、Amsterdam Dockyardに発注寸前に至りましたが、それよりも海軍当局は5隻の弩級艦(スペインのEspanaと同型のもの)を希望します。

この海軍当局の希望は財政的な負担が増すとして政府から却下され、海軍大臣は蘭印防衛についての対応を王室委員会に審議を委ねることになりました。

1913年7月2日、委員会は本国艦隊及び植民地艦隊の構築について審議した結果、報告書を取り纏めました。
それによると、20,668トンで21ktsを発揮する13.5インチ砲8門、5.9インチ砲10門搭載の戦艦9隻を建造し、5隻を蘭印艦隊に、4隻を本国艦隊に配備し、本国のそれは蘭印の予備戦力として保持するほか、蘭印艦隊の戦艦が改装する場合は、本国艦隊のそれを充当すると言うものでした。
この他、36ktsを発揮する1,200トン級の大型雷装巡洋艦(大型駆逐艦)を6隻、500トン級のFret級駆逐艦を8隻、魚雷艇8隻に、8隻の大型潜水艦と2隻の敷設艦をそれぞれ半分ずつ蘭印と本国に配備する方針を打ち出しました。
また、新しい蘭印艦隊の基地はBataviaのTandjong Priokに設置し、3基の要塞で守備することになっていました。

これらの艦隊設営予算にはおよそ17億フロリンと言う膨大な金額が向こう35年に亘って必要とされました。
当然、この答申は内閣に激震を及ぼしますが、政府としてはこの答申を無視するわけにはいかず、将来の投資として認めることになりました。
こうして、オランダ艦隊の増強が開始されることになったのですが、前にも書いたとおり、オランダは建艦技術はあるものの、戦艦の建造については海外に発注せざるを得ず、Germania、Blohm & Voss、Vickersの提案を受けた結果、Germaniaの提案が採用されます。
全体のデザインは、ジャワ海での活動に最適で、なおかつ、重厚な防禦で魚雷や機雷にも対応出来るものでした。
予定では、1番艦が1914年12月に進水し、1918年に完成の予定でしたが、第1次世界大戦の結果、立ち消えになってしまいました。

蘭印艦隊増強は、この大戦が過ぎるまで待つ事になります。
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