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戦艦が駄目なら空母を買えば良いじゃ無い [日記]

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今日は朝方雨だったので、温和しくリハビリに出掛けて、パン屋、八百屋と寄って帰ってきました。
特に何もしないで終わってしまったので、何か一日を無駄にした気分です。
まぁ日頃結構働いてるから、骨休めはしないと駄目なのですが。
それにしても、益々成田が遠くなります。

さて、今日は久々に軍事関係の話。
先日、チリの戦艦の話を書いたのですが、第1次世界大戦前のオランダも、世界帝国の残滓が各地にあり、蘭印とか南米、カリブ海に植民地を有していました。
なので、近代になってもバランスの良い海軍を構築しています。

主力艦としては海防戦艦を保有していましたが、この砲はドイツに発注したもの。
弩級艦の世の中になってからは海防戦艦が見劣りしてきたため、戦艦を建造しようとしますが、これも砲はドイツに発注します。
ところが、第1次世界大戦により砲の入手が困難となって戦艦建造計画は頓挫しました。

戦後、蘭印に対する日本の脅威が増してきたため、1930年代に再び巡洋戦艦を建造する計画を立てます。
28cm砲を装備した、Alaska級とほぼ同じ様な戦艦になる予定でしたが、28cmと言う口径でも分かるように、これまた砲はドイツ頼り。
程なく、第2次世界大戦が勃発して、これまた戦艦保有計画は頓挫しました。

国土を占領された後、復興したオランダ海軍では、主力艦として英国から貨物船改造の護衛空母Nairanaが貸与され、Karel Doormanと改称して蘭印独立戦争に投入されていましたが、そもそもが改造空母ですからポテンシャルが低い。

そこで、新たに空母を購入することになりました。
残念ながら、蘭印には独立されてしまい、強力な艦隊を構築する必要は減少しましたが、ソ連の脅威は引き続き残ったため、NATOに加盟した西側諸国として何をするかを模索します。

結果として、東大西洋のプレゼンスを守るため、ソ連の潜水艦に対抗する為の装備を主にした、対潜艦隊を構築する事になりました。
戦艦に変わって、その主力となったのが、経済的に苦しくなった英国が売却を考えていたColossus級軽空母Venerableです。
この軽空母は、戦時建造計画で英国が建造したもので、正規空母に近い能力を持ちながら、極力商船構造を取入れて量産を可能にしたクラスになります。
しかし、戦争終結により行き場を失い、戦後、各国に売却されていきました。

オランダが購入したのは、1942年12月3日に進水し、1943年12月30日に建造所から引き渡され、完成が1945年1月17日と言う比較的新しい艦でした。
1948年、護衛空母に代えて英国から引き渡された艦は、再びKarel Dolmanと命名されて艦籍に編入されました。

引き渡された当時は、英国海軍の主力機であったSea Fury F.B.11とFirefly Mk.4/5で、前者が戦闘爆撃任務を、後者が対潜水艦任務を担っていました。
因みに、Sea Furyは23機がライセンス生産されています。

1950年代初頭になると、飛行機の発達による能力向上のため、改装が考えられ、Wilton-Fijenoordで、英国主導の改修が始まりました。
1955年から58年にかけて、アングルドフライトデッキ、飛行甲板の延長、着艦用のミラーの取り付けと油圧カタパルトに代えて、蒸気式カタパルトの取付、着艦装置の更新などが行われました。
一方で、電子機器類はPhilips製が用いられ、戦後に建造された巡洋艦や駆逐艦と同様の三脚マストが立てられ、そこにオリジナルに代えてLW-02捜索レーダーやLW01対空レーダーを取り付け、艦橋にはVI-01射撃管制レーダー、DA-01対空/対水上レーダーが新たに取り付けられました。
更にZW-01航海用レーダーなどが艦橋に取り付けられています。
勿論、従来のポンポン砲や40mm砲は撤去され、新たに新型の40mm対空機関砲が12機装備されました。

こうして、艦容を一新したKarel Dolmanには、新たにジェット戦闘機として1個飛行隊分のSea Hawk F.G.A.6と1個飛行隊分のTBM-3が搭載されました。
これらは1960年代初頭に8機のS2F-1と6機のHSS-1Nに更新され、対潜のハンターキラーグループの中心を担うことになりました。

また、1965年から66年に掛けて、機関の老朽化に伴い、再度入渠して英国Majestic級の空母で未成となって放置されていたLeviathanのボイラーと取り替えを行う事になりました。
略同型艦なので、流用は可能だったようです。

新たに活動を開始したKarel Dolmanでしたが、その活躍は意外にもあっさりした形で終焉を迎えます。
1968年4月29日、機関室で火災を起こして機関部に大ダメージを負い、オランダ海軍は遂に修理を断念、新たに名乗りを挙げたアルゼンチンにこの艦を売却します。
アルゼンチンは、これまた蒸気タービンをLeviathanのそれと交換して復活させ、1968年10月8日に未改装で能力的に限界に達していたColossus級空母Independenciaの後継艦として就役させました。
この艦が、後に英国とのフォークランド戦争で一躍有名になったVeinticinco de Mayoとなったのです。
タグ:空母 雑記
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